第13話
白いカーテンが揺れて割れたガラス窓の破片が雨風と共に部屋に散らばる。衝撃と破壊音に近くにいた翔は肩を震わせて、持っていた本を閉じた。
一瞬気を取られていたがすぐに奥の部屋にいた鎮生を呼びに行きついでに箒と塵取りを手に取る。
「…新聞紙で防げるかな…」
「どうでしょう…、俺有志さん呼んできましょうか?」
「うん。お願いするよ」
「はい、すぐ戻ります」
翔は散らばった破片を搔き集め、袋に捨てると困った様子の鎮生に問い掛ける。
ここは鎮生のアトリエで、風通しもよく日当たりもいい場所だ。だがいまは数時間前から発生している嵐のせいで窓を頻りに雨風が叩き付け梁がガタガタと音を立てていた、それを聞きつつ読書に勤しんでいた翔が気付いた時には一瞬にして粉々になった出窓だった。
鎮生は少し落ち込んでいるようだ。それもそのはず近くにあった家財や書籍が濡れてしまっている。一刻も早くこの吹き抜ける窓を塞ぎたいが成す統べなく。
自身が濡れることも厭わずとにかく散らばった物を手に取る。
「…酷い嵐だ」
「鎮生、平気か?怪我は無いか?」
「ありません」
「そうか、それなら良かったが。ふむ、板を取ってこようとにかくここを塞がないとだな。翔一緒に来てくれ」
「はい!」
翔が呼びに行ってくれたお陰か、有志が急いで駆け付けてくれた。室内に入ってすぐに雨で濡れたまま窓の外を見つめる鎮生に駆け寄りそのまま雨の当たらない場所まで移動すると怪我がないか確認される。怪我がない事を言うと心底安堵したようで強張っていた表情が緩み頭を撫でられる。鎮生はそこで安堵の息を吐いた。
そのまま暫くして直ぐに有志と翔が木材を抱えて帰ってきた。急いで窓を塞ぎ、部屋を掃除する。
「二人とも怪我がなくて良かった。何かあれば俺は執務室にいるから声を掛けてくれ」
「はい」
「あの、有志さん」
部屋を出て行こうとした有志を鎮生が呼び止める、少し困ったように視線を彷徨わせたあと言葉を紡ごうとして口の開閉を繰り返した。
「太陽とリリィなら先程連絡があって無事だ。春嘉は出雲が一緒にいる平気だろう」
「!…ありがとうございます」
朗らかに笑う鎮生の頭を有志は優しく撫でた。
今日は、夕方から別任務で太陽とリリィは任務に出て行った。春嘉は朝から重要任務で居ない。そして、翔は帰ろうとした時出掛けの太陽に止められた。
嵐になるから外に出ないほうが良いと、なので今晩はカラス本部で寝泊まりすることになったのだ。嵐は今も尚勢いを衰えることなく続いている。その中でも街では瘴気が萬栄し発狂した人間が人間を襲っている。
本部内を手薄にするわけにもいかずに鎮生は残された。だがいつもいるはずの相棒が居らず不安なのだろう終始落ち着かない様子で有志もそれに気づいていたのか慰めるように肩を叩く。
「時間も時間だな、どうだ。一緒に晩御飯を食べ行かないか?」
「いいですね!行きましょう、先輩!」
「うん」
有志の気遣いで、翔と鎮生は食堂に向かった。
食堂にはやはり多くの帰宅困難者の作業員や併設されている診療所の患者が詰めかけていていつもよりも賑わっていた。
「凄い人だな…大丈夫そうか?鎮生、やはり部屋で…」
「平気、です」
「無理をしなくてもいいんだぞ」
「大丈夫です」
「では、端の方に行こうか…おや」
人が苦手な鎮生の顔色は本人が言うよりも悪い。人の視線や話し声に圧迫感を感じやすい彼はトレーを持つ手が震えている。
有志は辺りを見回して、ふと見知った人間が居ることに気付いた。丁度食堂の端に位置する四人掛けのの席に白衣を着た撫子が座っていた。撫子もこちらに気付いたのか柔らかく微笑んで三人を招き入れる。
「助かったよ撫子」
「私は何もしていないさ。この嵐で帰宅困難が多いみたいだな、太陽やリリィとは連絡は取れたのか?」
「ああ。二人とも無事だ、幸いあちらにはガーディアンが常駐している問題は無いだろう」
「それなら良かった。だが、夜中か明け方が正念場だね。ニュースは見たかい?東地区、北地区で土砂崩れと洪水被害が出て、交通がストップしている。それだけじゃない被害者も多く出ている、それに加えて瘴気が発生しているというニュースが出ている」
手に持っていた端末はカルテかと思っていたがどうやらニュースを見ていたようで、撫子が皆に見えるように向ける。その画面には土砂崩れの様子や洪水で車や木が薙ぎ倒される様子が映されている。ここは立地的には田舎に近く高台にある、そう被害には合ったことは無い。
年に数回こうやって大きな災害が起き、国全体が大混乱に陥りやすい。街の人々は眠れない夜を過ごすのだ。その為いつでも緊急要請に対応できるようにはなっている。
その時大きな雷が鳴り、停電が起きる。真っ暗になった食堂内で悲鳴が上がり困惑の声が広がる、照明はすぐに非常灯が点灯し非常用電灯に切り替わる。
「異変がないか見てきます」
「俺も行こう。すまないが撫子ここを頼めるか」
「ええ」
三人は席を立ち、館内で異変がないか巡回する。取り残された人は居ないかなど確認するのだ。
幸いにもほとんどの人間が食堂内に居たお陰で、整備などの作業員が取り残されていただけで事なきを得た。一応全員を食堂に移しやり過ごすことになった。
「太陽?」
端末が鳴り鎮生がそれに応答する。電波が悪いせいで声が上手く聞き取れない。雨の音と飛び交う怒号に鎮生は焦る。
それに気づいてか翔が駆け寄ってくる、耳を近づけ耳を済ませる。
「—東—区」
「ごめん太陽、上手く聞こえないっ」
「あ―あ、き―る?……聞こえる?」
「聞こえる!」
「有志さんの端末に繋がらな―て、何してる?」
「いま、本部内の電源が落ちて人数把握してる」
「あぁ。わか―—。ごめ、—」
「太陽?」
「————」
その瞬間ブツリという異音を共に通話が途絶えてしまった。
一定の電子音を耳から離し、点呼を取っている有志の傍に鎮生が駆けていく。
「有志さん。太陽からいま連絡があって…」
「そうか。分かった、こちらから掛け直そう」
「その必要はないよ。有志、外は思った以上に危険な状態なようだ」
「なに?」
鎮生が今あった出来事を話すと、その後ろから撫子が真面目な表情で鎮生の肩に手を置き有志に携帯端末の画面を見せる。
そこには、リリィが撮ったであろう動画が流れている。
酷い濁流で道が寸断され、唯一のその地区との繋ぎである橋が流され車や大きな木など屋根や瓦などが風で飛ばされ濁流に飲まれていく様子だった。
そして爆発音と共に瘴気が溢れる。粘着性の高いそれが濁流に混ざり街を覆う。
草木が枯れ、その浸食が早く林の中で撮影していたリリィの息を呑む声と同時に太陽がリリィを抱き上げてその映像は終わっている。
その動画はメールで送られてきており件名には、東地区と書いてあった。
「なんてことだ…」
「東地区は人口が最も多い場所だ、この規模じゃ一晩持たない」
「二人では厳しいな。翔、鎮生東地区に向かってもらえるか?」
「東地区って…」
「俺の住んでいる地区…?」
「あぁ。いまそこが最も危険である可能性が高い。とにかく現場にいる太陽たちと合流してくれ」
「了解!」
その時、館内に緊急警報が鳴り響き駆け付けた作業員の切迫した声が鳴り響く。
「報告します!」
「どうした」
「東地区ほぼ壊滅!瘴気、抑えられません!」
「なっ―」
「どうなっている…」
「何かがおかしい…なんだ、この胸騒ぎは…」
「先輩?」
「理が…壊れる…?」
「先輩!」
「おわっとと、良かった擦れ違いにならなくてってどうした?そんな切羽詰まった顔をして…」
執務室を飛び出そうとした鎮生と偶然現れたギルバートが衝突する。
ギルバートはノヴァの指示でここに来たそうだった、詳細は知らされず。有志は丁度良い所に顔を出したと言うように、鎮生と翔を東地区に向かう手助けを頼んだ。
「行くぞ、用意は良いな」
「ああ」
事情を知ったギルバートは二人を連れて東地区に瞬間移動する。それも魔法で出来る術だった。一瞬にして景色が一変する。
聞こえてきたのは飛び交う怒号と悲鳴、そして困惑の声と激しい水音と吹き付ける風の音。
翔は目を疑った。自分が住んでいたその場所はこんなにも荒廃していただろうか。至る所で火の手が上がり黒煙が空に昇っている。
悲鳴を上げて命からがら逃げだせた人間たちは瘴気や泥で汚れている。東地区から中央区に繋がる道路で人々は白い制服を見つけ泣きつくように保護される。
ガーディアンだ。
「小羽!」
「翔!良かった、無事だった…」
小羽の白い制服は雨や泥で薄汚れている。翔の姿を見るなり泣き出しそうな顔を破顔させて大きな瞳から涙を零す。心底安堵した様子で崩れ落ちた体を翔は抱き締めた。
「ごめん。心配かけて」
「ううん、大丈夫、生きていてくれていたなら良かった」
「ありがとう。あのさ、母さんを見なかった?」
「ごめんね、私には分からない。この先の中央区に入ってすぐの体育館があってそこが避難所になっているからそこにいるかもしれない…」
小羽が示した先には多くの民間人が集まっていた。中央区は勤務先や学校などの就業施設が多くある。ので、避難先では多くの人間が集まるのだ。
その時、遠くから翔を呼ぶ声がした。
振り返るとそこには雨風に打たれながらも必死にこちらに手を振り名を呼ぶ母の姿があった。
「母さん!」
「翔!」
母親に駆け寄ろうとしたその瞬間、喜びの顔からその表情は一瞬で青ざめた。
背後に居た見慣れない青年が振り上げた一撃で母親の顔から表情が消え体が前のめりそのまま地面に倒れ込んだ。
伸ばした手が後寸での所で真横から現れた影に体を後ろに引き込まれ地面に倒れ込んだ。鎮生だ怪我をしたのか肩を抑え苦痛に顔を歪めながらも翔を心配する目は優しい。
一瞬にしてその場が瘴気に似た気配に包まれる。静電気のような電流が体を駆け巡る感覚と地に縫い付けられるような圧迫感に息を忘れる。
「息を…して。ゆっくり、気を飛ばしては駄目だよ」
いつかの日に掛けられた言葉に似ている。その言葉に翔は詰まっていた息を吐いて吸う。そうすることで自然と体の緊張が抜け体が動く。首を恐る恐る動かせば、母親だったその姿は形を変え、異形と化していた。流れる血は黒く口元は裂け鋭利な牙が剥き出しで、目は赤く何も映すことも無くただ背中から生えた黒い羽を鋭利な刃に変えて翔たちに向けている。
信じられない光景に、翔は戯言のように母を呼ぶ。その声は次第に大きくなっていく。
小羽はその様を目撃し、言葉を失った。ガタガタと震える体は力を奪っていく感覚すらして自身の足が立っていることを放棄するように砕けたかのようにその場に座り込んだ。
「母さん!」
「……」
母は答えない。
虚ろな目で翔を見下ろしている。何度も何度も呼ぶ。
また、名前を呼んでほしくて変わり果てた母を呼び戻すように。
歩き出した翔を鎮生が制止する声もいまの翔には届かない。
黒い礫が翔目掛けて飛び込んでくる。
小羽の悲鳴と鎮生が走り出したのは同じ瞬間だった。
「目を覚ませ!!翔!」
その呼び声に意識を戻した翔は目にした光景に息を呑む。
自信を庇うように立つ太陽の恰好は所々怪我や泥、雨で汚れている。その前にはリリィが鞭を振り下ろしている。そして背後には体を支えるギルバート、そして―
翔の体に倒れ込むようにして覆い被さった力なく倒れた様子の鎮生の姿だった。
鎮生の背中にはあの黒い礫が突き刺さっている。
体中の血の気が引いていく感覚に、体が震える。容赦なく叩き付ける雨は止むことなくただこの現状を翔に問い掛ける。
一瞬飛んだ意識の中で起きた出来事に翔は脳をフル回転させる。雨の冷たさと反比例して体の熱は上がっていく。
「くははは」
突如耳に聞こえる笑い声。
それは母親の命を奪い姿を変えた、青年から発せられた声だった。
何が面白いのか何がその光悦に満ちた顔をさせるのか翔には一つも理解が出来なった。
「いやぁ…残念だよ。兄さん?」
顔を上げた、その青年を翔は知っていた。
その青年の髪の色を、瞳の色を翔は記憶の中で一つの真実に辿り着いた。
そうだ、何故気付かなかったのだ。あの時母の傍にいなかったいなくてはいけない存在を―。
「そ、天…?」
天と呼ばれた青年は、笑みを深く落とした。
雨は止まない。
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