第12話
拳銃が向けられた瞬間、春嘉は少女を庇い伏せた。そのお陰か、銃弾は当たることも無く鉄骨に当たり軽快な音を立てる。
「こっち!」
少女の手に引かれその場を急いで離れる。
普段は立ち入りを禁じられており、健康診断と称した実験の時のみに立ち入るというその場所は薬品や瘴気の臭いで満ち、酷く気分を害した。
「平気なのか」
「分からない。そういう風に作られているかもしれない…から」
「そうか…」
呼吸を圧迫される感覚に、瘴気が濃さを増していく感覚に酔いそうになる。
春嘉は普段の任務から瘴気に耐性はあるもののここまで密集しているところに遭遇したことは無い。浄化剤は常にポケットの中に入っているがこの濃さでは恐らく役には立たないだろうと考え、ポケットに突っ込んでいた手を取り出して走る。
「この下。見える?」
「なんだ、あれは…」
「あれが、兵器。この国は兵器を造ろうとしてる。誰にも負けなくて且つ苦情が出ない誰も苦しまない、兵器」
「あれが、兵器だと…」
少女が示した先にあったのは階下にある広い空間、体育館のような場所にカプセルのような機械が均等に並べられている。その中には肉の塊のようなものが人の形を成して蠢いている。
あれが平気なのだと少女は言う。兵器ということはあれを外に放つということだ、まだ未完成なのであろうが、そんなものが外に出されれば戦乱は避けられない。多くの犠牲者が出る。
「兵器を作っているのか?」
「うん。先生はそう言ってた、私たちはその為の材料で作り変えるって適正者になれば自由になれるっていうからだから、素直に従ったの。でも、違った私の友達もあそこにいる、あれが友達なんて思えないだってあんなのバケモノじゃない!」
「……」
春嘉は絶句した。あの肉塊は人間でいまその姿を変えようとしている。
そして思い至る出来事を春嘉は恐る恐る聞いてみた。
「ここから、外に出た奴はいるのか?」
「いない。けど、先生が試作品?を持って外に出て行ったことはある」
「…じゃあ、あの異形化した奴らも発生源不明の瘴気も…なぁ、ここは一体何を作っている」
「だから、兵器を―っ?!」
少女の肩を春嘉は掴む。
「兵器だけじゃないはずだ」
「先生は何も言ってくれないから、私は…」
「何でもいい見たものでもいい!」
「…薬とか、変なおじさんが話してた。この薬を使えばこの国は安泰だって…」
「薬…」
恐らく、その男というのは中川だろう。
以前七瀬が言っていた、中川の不穏な動き、そしてその薬の正体。
「キミは、最初から神気なのか?」
「…私は、神気じゃない」
「いつから?」
「やっぱり私は神気なの?この体はもうおかしいの?」
この少女は自身の異変を分かっていなかったのだ。取り乱す少女は口々に、神様からの贈り物と口にした。
神気は、神からの贈り物ではない。遺伝でもない。これは、ストレスや心労が耐えきれない苦痛に変わった時に体質変化で起きる異常現象だ。その詳細は不明であり生まれ持って生まれてくる者もいる。
春嘉は後者だった。生まれた時からあるこの力に悩まされた。親に拒絶された、周りからも信頼は得られなかった。だとしても、少女は何も知らずに此処にいるはずはない。
「キミのその目はどうしたんだ」
「…分からない」
「見てもいいか?」
「うん…」
包帯を外す。そこには本来あるはずの目がないあるのは意志に逸れた動きをするキミの悪い大きな目玉だった。
「これを外したことは?」
「ない…。先生が絶対に外しちゃダメってだからお風呂に入る時も取らないの。それにいつも従業員の人と入るから…」
「そうか…。すまない、ありがとう教えてくれて、戻ろうここは危険だ」
「待って、お願い。助けてくれるよね?」
「……あぁ」
春嘉には分かっていた。この少女はもう何をしても助からない。いずれ中にある得体の知れない何かに内側から食い破られ狂人化し人を喰らい尽くすバケモノになる。
ここはそういう施設なのだ。
春嘉はただ、黙って静かに少女の手を引いた。そしてこの子の息を引き取る時その手を取るのは己であると実感した。
「子供たちと一緒に、安全な場所に行くんだ」
「安全な場所?」
「外で遊んでいるといい、良いと言うまで中に入ってはいけない」
「でも、先生が陽が暮れたら危険だからって」
「大丈夫、怖い事は何も起きない」
少女は頷いた。
そして、子供たちの中に走って外で遊んでいい事を告げると子供たちは喜んだ。駆け出していく背を見送った。
最期くらい好きなことをさせてやりたいと思ったからだ、春嘉は携帯端末に表示された出雲の場所を確認すると歩き出そうとした。その瞬間何者かに服の裾を掴まれた、振り返れば少女が春嘉を見上げている。
「どうした」
「名前聞いてない」
「名前?」
「うん。助けてくれる人の名前聞いておこうと思って…あ、私は
「…
「春嘉さん…えへへ。ありがとう!春嘉さん!」
嬉しそうに笑んだ顔は年相応に愛らしく希望に満ちた顔だった。
そして、春嘉は歩き出す地下へ続く道をただ進む。廊下の間にある培養液の入ったカプセルや小瓶が所狭しと並んでいていずれもスモークが掛かっているのか中までは見えない。ふと触れた場所が何かのスイッチだったらしく、スモークが消えた。
その中にあったものに春嘉は息を呑んだ。そして自然と頬を温かい雫が落ちた。
「……」
小さな赤子のような何かがこちらを見つけて微笑んでいる。
こんな小さな液体の中で、可愛らしい笑顔を向けている。他のカプセルの中も同様にまだ成長段階の子供が眠っている。
心が酷く痛んだ。必要ないからと捨てられた助けられた命だったはずだだが、ここに在るものは全て処罰対象になる。出雲の力を以てしても助けられないだろう。
「春嘉」
「い、ずも」
「一旦外に出よう。奴に見つかる前に」
不意に掴まれた腕を振りほどかずに、春嘉と出雲は走り出す。
遠くから高らかな声が聞こえれば次いで怒鳴り声が響いてくる。
死角になる廊下の奥、静まり返った室内は不気味だ。
「平気かい?」
「あぁ…。どうだったんだ」
「キミも見たと思うけど、これはこの国の理を捻じ曲げる行為だ。神族はこの行為を許すわけがいかない、歪んだ理を正す為にもここは消さなければならない」
「子供たちはどうなる」
俯いたまま問う声に出雲は遠くから聞こえる子供の騒がしい声に微笑んだ。
「あの子たちも遅かれ早かれ同じ道を辿る。ここで終わらせてあげたほうがあの子たちの為だと思う」
「そうか」
「ぼくがやろうか」
「…いい。俺がやる」
「そうかい」
春嘉は、
ただ、ごめんなと謝罪の言葉を繰り返した。望美はただ一言いいよと言うだけだった。
「一瞬だから」
なるべく痛みがないように、優しく苦しまないように。目の前の子供たちはもう十分苦しんだのだから、と言う春嘉に望美は首を横に振った。
笑って春嘉に背を向けて頭の包帯を取り、月夜を見つめた。瞳が光って宝石のように輝いた。その瞬間小さな背から溢れた宝石の瞳の大きな羽は周りにいた子供たちを吞み込んで。耳を塞ぎたくなる音が耳に届いて、信じられない光景に春嘉は動けなかった。
「望美!」
「はい。これで残ったのはわたしだけ。春嘉さん、いいんだよ」
「—っ!」
雷鳴が轟いて、空を薄灰色に染めていく。零れる雫は誰のものでもない。
陽だまりのような笑顔を抱き締めて、その首筋に手を宛がってもう一度謝罪の言葉を口にした―。
子供たちの声はもう聞こえない。
出雲は狂ったように研究に没頭する男を呼ぶ。
その声に応えない。
「こんなことに意味があると思うかい?」
「なんです、急に。これも必要なことなんですよ」
「一体何に?この国にとってかい、こんなものが本当に必要だとそう思うかい?」
「ええ!それにこれは、あの方を呼び起こす為に必要なものです」
あの方、その言葉に出雲は傘沼の喜々とした表情を見つめる。
「貴方もご存知ではないのですか?邪神様を」
「……邪神を呼び起こしてどうする?」
「もう一度、彼にこの国の実権を握って頂くのです。そうすれば馬鹿な人間どもの平和ボケした頭を冷ましてくれることでしょう!そうすれば国にはどこにも負けない立派な国になります。素晴らしい事ではありませんか」
呆れてしまった。
出雲は邪神ではない。だが、それは絶対に執り行ってはいけないことだ。
確かに彼は、この国の第一神であり元は実権を握っていたが、ある時それを放棄しこの国を滅ぼしたのだ。そして、邪神は人々からも恐れられてきたというのに。
この男は分かっていない、それがどれほどに恐ろしい事か。出雲でさえそれを恐れているというのに。
「いますぐにこの実験をやめろ。さもなければ今ここで貴様事ここを沈めてやる」
「何故です!ここでやめてしまえばこの国は強くはなれないでしょう!」
「強くある必要はない。そもそもそれは強さではない、どうしてそこまで力に固執する。それは何かを貶める為に使われるものではないだろう」
「さっきから何を言いたいのですか?私は忙しいのです、説教なら後でしてもらえますか、調節が必要ですので…」
出雲の忠告も虚しく。傘沼は再び液晶画面と睨み合いを始めた。
下には多くの従業員がいるが仕方がないだろう、彼らもこの罪に加担した罰は受けるべきだろう。
出雲が片手に力を込めようとした瞬間、遠くで爆発音が響き施設内で警報が鳴る。
「な、何事だ!」
「……あぁほら。裁きが待っている」
「ふざけた真似を!」
「おい。覚えておけ」
出雲が手に込めた力は水流となって溢れ出す。
扉が開かれ、破壊の限りを尽くさんとばかりの表情で睨む春嘉が傘沼の胸倉を掴む。
それの行動に何故か体中に電流が走り傘沼は筋肉が硬直したように動けない。
「一瞬の過ちは一生の過ちだ。それが分からないほど愚かなのか?」
「—ッ」
その手が離れたかと思えば、春嘉は軽々しく傘沼を階下に投げ落とした。
もう水は海のようになり、胸下まで迫っている。水は息を増して麻痺した体は思うように動いてなどくれない。
沈む体と意識が、最後に写すのは光の消えた室内で輝く二つの目だった。
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