第11話
中央区から電車を乗り継いで終点まで行けばその場所は静かにただ待ち人を待っていた。実際には人生という道に迷い孤立してしまった人間をだが。
その場所に春嘉と出雲は訪れていた。
大きなブラウンの細いアーチ形の柵を押して色とりどりの花々が濃く鼻腔を擽る花道を通って少しだけ寂れたような平屋の家屋の扉の前で呼び鈴を鳴らす。
すると、それに応えるように軋んだ音を立てて扉が内側から開けられる。出迎えてくれたのは年端もいかない一人の少女だった。片目を包帯で隠したその少女は何処かぎこちなく彼らを迎え入れた。
怯えるようなそれでいて何かを訴えるようなそんな瞳が一つ、彼らを見つめている。何かを問いかけようとした春嘉を出雲が無言で制した。奥の部屋から小太りな中年の男性が駆けてくる。
「すみません。
「いいえ。構いませんよ」
「さ、こちらへ。お掛けください」
早乙女と呼ばれた出雲は顔面に余所行きの笑みを浮かべる。早乙女という名は偽名ではなく父方の苗字だ。神族である仕事をするときは秋月の姓を、それ以外であれば早乙女の姓を名乗っている。
神族は裏社会に生きる者であり、そのほとんどが存在を知られていない。人間などの外の世界との干渉は基本遮断されている。どういう訳か出雲は頻繁に外の世界と干渉しこうして自ら首を突っ込むこともあるが、今回は特に稀なことで共訪れた春嘉は若干の困惑を抱いている。
出雲は基本情報を提供しそれをカラスの人間が処理する所謂仲介役のことが多い。こうやって自らが出ることは滅多にない、それがどれほど重大なことか春嘉は知らない程愚かではない。
「えっと…早乙女さん、こちらの方は…」
少し、困ったような引き攣った笑みで出雲の隣で座る春嘉を見る。
「あぁ。お気になさらず、ぼくの部下です」
「そ、そうですか」
「何か問題が?」
「い、いえ!あの、その制服は特殊戦闘集団の…」
悪い噂が常に付き纏う特殊戦闘集団カラスはその制服を見れば一目で分かる。
黒い制服に腕にはカラスの腕章、自身がカラスの人間であると象徴するそれは人々を怯えさせる。
「何もしなければ彼は何もしませんよ」
「そ、そうですね。あはは、すみません…」
「いえ、気にしていません」
「あはは…」
無表情で返す春嘉に男は気まずそうに汗をタオルで拭う。
その間にあの出迎えた少女が、お盆にティーカップを三つ載せ静かにそのカップを置いていくその手は微かに震えていた。
その手が気になり密かに表情を覗き込めば怯えが滲んでいる。
何をそこまで怯える必要があるのか、カラスの人間が怖いわけではない様子だったただ、人が怖いのか。ここはそういう場所だ。
外の世界から孤立し追い出された者が住む場所だと、出雲は言っていた。
乳児から二十歳くらいの者が多く住み、それ以上の大人はここの従業員となり住み込みで働いていると聞く。だが、この少女は明らかに二十歳未満であり従業員ではない。
そして、通された部屋は綺麗に片付いており人の気配がしない。
「……っ」
「すまない。驚かせるつもりはなかった」
「奥の部屋に行っていなさい」
「は、はい…先生」
春嘉の視線に気づいた少女は目を見開いた後何かを言い淀むように黙り唇を噛んで俯いた。春嘉は固まってしまった少女に謝罪の言葉を口にして椅子に座り直す。
それに気付いた目の前に男は諭すように少女を下がらせた。慌てるように駆け出す少女は一瞬だけ春嘉を見て口を数回動かした。
『ごめんなさい』その言葉に春嘉は表情を動かさずに驚いた。何に対しての謝罪だと言うのか、真相は分からないがこの施設はやはり何かを隠している。
そう思わざるには負えない。
出雲から持ち掛けられた話だった。同族で信頼の置ける部下から知らされた情報だと徹夜明けの春嘉に突き付けた資料の束、綺麗な文章は確かにガーディアンからの情報網とは違う完全な裏社会の人間だけが持つ情報だらけで徹夜明けの頭には痛いものだらけ首を横に振る必要もないくらいに不穏な内容と、以前預かった未解決のガーディアンからの行方不明者リストの情報が過り、二つ返事で今回の依頼を引き受けた。
「で、どうするつもりだ」
「どうもこうも、今日は見学だけだよ」
「本当にそれで済むと思っているのか?」
「あはは、だからキミを連れて来たんだよ」
「危険性が無ければ、適当にカラスに投げた癖に」
「そうだねぇ…でもキミもこの施設に入った瞬間に分かったはずだよ、この平屋には地下がある。それも結構巧妙に隠されている。だから建設上は隠されていても気配でバレる。今頃焦っているんじゃないかなーわざわざぼくらをここで待たせているんだから。詰めが甘いねいつだって全ての予測を立てないと、目を付けられれば終わりさ」
「はぁ。そこまで分かっているなら話し合いは不要なんじゃないか?」
「最初から暴力なんて、可哀想だろう?自分の罪を自分で話させるそうすることで罪の重さを人は実感するんだよ。あっちも穏便に済ませたいだろうからね」
「そうか?」
「人間はいつだって自分が可愛い生き物だから、命が惜しいんだ例え人の命を奪っても…自分は死を恐れている」
「……」
出雲はいつもそうやって相手の首を静かに絞めていく。
その手に掛かれば決して逃れることは出来ない。彼にとって全てが駒で自分の物だ。
実際、春嘉もその内の一つなのだろうが。
「大変お待たせいたしました」
「いえ、急に押し掛けたのはこちらですので。多少汚くても何も気にしませんよ」
「そんな訳にはいきません!大切なお客様ですので」
「それはそれは、お気遣い感謝しますよ」
冗談を交え、出雲と男は先に進む。
奥へ続く廊下には、壁に子供が書いたであろう絵が飾られている。徐々に聞こえてきた子供の声は外からだった。中庭で子供たちが楽しそうな声を上げて走り回っている。その中に、あの少女がいた。
「彼女は、ここに来て長いんですか?」
「え?あぁ彼女は、子ども扱いがとても上手くて我々職員もとても助かっているんですよ。それに子供たちからも人気で彼女の傍を離れようとしないもので少し困っていましてねぇ」
「へぇ、そうなんですね」
「お気に召しましたか?」
「……ええ。とても」
一段低い声で、出雲がガラス張りの窓から中庭で子供と戯れる少女を見ながら言葉を零す。
今回此処に来た目的は、政府機関での人手不足の解消として政府の特務機関で使える人選である。これは建前であるが男はそれを信じているようだった。
意気揚々と、子供たちの個人情報を出雲に話す。それを春嘉は黙って聞き流した。
ここは、養護施設とい形式を模した、人間を強化育成する施設であるという話は本当なのかと脳裏で思う。それが確かであるならば普通の人間と神気と呼ばれる人間その両方が同じ屋根の下で暮らす。ここはまるで収容所のようだなとどこか他人事のように思った。
「さて、一通り見て回ったはずですが。いかがですか?まだ…」
「あぁ、そうですね。少し子供たちと話をしても?」
「え、ですが…。ここの子供たちはその、事情を抱えているので…あまり」
「大丈夫です。その為に彼がいます」
「は?」
「ね、そうだよね」
「…あー。はい」
突然話題を振られ春嘉は戸惑った。子供相手はあまり得意ではない、確かに太陽やリリィの世話は幼少期の頃から見てきたがどちらも自我がしっかりしている時だ。
頭を抱えそうになった春嘉は取り繕った笑顔で返す。
暫くの沈黙の後、出雲の圧に折れた男は了承をした。しかも、一人の従業員付きで。
春嘉は従業員と共に外に出る。
温かな日差しが子供たちを照らしている。近づいてくる人影に敏感に反応して子供たちの楽し気な声が止む。怯えるような瞳が春嘉を睨みつける。
困ったように頭を掻く春嘉に従業員は黙っている。何も言わずにただ隣に立ち佇んでいる。その感情のない表情はまるで人形で不気味だ。
「あー…えっと…」
「こちらに、きて」
「え、ちょ」
春嘉の手を引いたのはあの少女だ。
日差しを遮るような日陰の中に案内される。庭園の中にある白い長椅子に腰掛けるとその隣に少女が座る。
「あの、お兄さん神気ですよね」
「…なんで?」
「カラスの人は人じゃないって先生が、一番怖い人たちででも私たちを救ってくれる神様の信徒だって」
「信徒?」
「貴方たちも邪神様の信徒なんでしょう?」
「…邪神…?」
その言葉に胸騒ぎがした。春嘉はこの国の神の情報に酷く疎かった。興味がないわけではないただ、何故か調べてはいけない知ってはいけないと思っていたからだ。
友人でもある出雲は確かに神であるが邪神ではない。それに、鎮生や太陽のように神関連の情報に聡くなく翔のように自ら知ろうとも思わない。
なのに、その言葉を聞いて酷く心を抉られたような衝撃が走り汗が頬を伝う。
「違うの?」
「違う…な。俺は、神様信仰をしていない」
「じゃあ、どうしてここに来たの?」
「それは…」
本当のことを言っていいのか、躊躇った。
少女の表情が焦ったような泣きそうな顔に歪んでいく。
「お願い。外から来た人、私たちを助けてっ」
悲痛にも似た声に春嘉は目を見開く、片目から零れた雫は涙じゃない。
宝石によく似た結晶だ。弾けて消えていく。
この少女は神気なのだ。
「落ち着いてくれ。一体何が」
「私たちは騙された、ここは私たちを助けてはくれない。私たちはいつか自分を失ってきっとバケモノになってしまう。誰かの命を奪うなんて絶対いや!お願い、私と一緒に来て」
「どこに―」
その言葉を掻き消すように少女は庭園を春嘉の手を引いて走り始める。
子供たちの声が聞こえない。
すっかり出雲を信用した男は内情をベラベラと零した。
地下にあるものの正体を、ここがどうして作られ何が今後起こるのか。
全て酒の力ではあるが、出雲は持参した酒を目の前の男に呑ませた。押しに弱い男は勧めれば今後のことも考えずに馬鹿みたいに喉を潤した。馬鹿な男だと出雲は嘲笑した、こんな隙だらけの男を信用した。腕だけ良ければいいと思っている上っ面だけの男に託した政府の代表の中川は余程の阿呆だと出雲は考えた。
「あぁ、そうだ。早乙女さんよければ貴方の意見が聞きたいんですよぉ」
「ええ。いいですよ、何が聞きたいのですか」
「ぜひ、地下にある施設へ…あ、中川さんには内緒にしてくださいね」
「当たり前ですよ」
「はは。あなたはーとても冴えておられてうらやましいなー」
しっかりとした声ではない言葉がふらふらと揺れるように投げかけられる。
出雲は男の後ろを着いて地下に続く扉を進む。
薄暗い廊下は、薬品の臭いと軽い電子音で包まれていた。
そして微量の瘴気の気配。当たりだと瞬時に判断し春嘉へ連絡を取ろうと端末を取り緊急連絡を取る。
その時、近くでその音が響いた。
一本道を挟んだ通路、鉄骨のその道に春嘉とあの少女がいた。
向けた視線と視線が噛み合い、嫌な予感がした。
男が叫ぶ。
「おい!そこで一体何をしているんだ!」
怒鳴るような叫び声に、男が拳銃を取り出し発砲する。
「何を―!」
「ネズミは早く処理しなければなりません…」
「相手は子供だった、その必要な無いはずだ」
「子供…?うちにそんなものはいない、いるのは全て実験道具ですよ。失敗作でも上手く合わせれば、いい素材になりますからねぇ!」
「自分がいま何を言っているのか理解しているのか」
「私は正気ですよ、あなたは冴えた方だと思ったのに…いやでもあんな失敗作ではなくいまの成功したものを見てくださいそうすればあなたにもこの価値がお分かりでしょう!」
酔っているのか正気なのか目の前の男は、あまりにも異常だ。
発砲した先には既に人影はない。春嘉がいるのだ上手く逃げたのだろう。
しかし何故、彼が此処にいたのかそれは分からないが一緒にいた少女がそれを握っていることは確かだった。
「さぁ!こちらをご覧ください!」
鉄の扉を開けて、中には無数の機会と数人の従業員がこちらに見向きもせずにただ作業をする異様な光景が広がっていた。
そして何よりも異様なのは、階下に広がる無数のカプセル。
人一人入るそのカプセルは大きな管に繋がれ、中で何かが蠢いている。
吐き気を催すような異様な光景に、出雲は男を睨みつけた。
男はただ笑って、声を高らかに叫ぶ。
「素敵でしょう!これこそが人類の最終形態であり神の創造物を超える最強の武器と成り得ましょう!そして、この国は他の何物にも負けず天下となる…そして、人々はこれを創った私の名を永遠に心に刻むでしょう!そう、私こそが母神を超える人間、いや神である、
高らかに笑うその様を出雲は、鋭い目で見つめていることを傘沼は気付かなかった。
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