第9話

 この国には古くから伝わる五神の伝承がある。

 この国を創った母神はこの国を守る為五つの心の五神を築いた。だが、それは神といえ人と近い存在であった。そして人々はその近さ故に傲慢にも愚かな振る舞いを強いる様になった。彼らは神だ。存在自体が人とは違う原理の中生きている。

 適切な距離感を保つには近すぎたのだろう。やがて民は人道を外れ強大な力を欲するようになった。

 そして、第一神がこの惨状を嘆き哀れみ、怒り朽ちた心が空を焦がし夜闇の帳を下ろした。光の無い日の光さえ届かない混沌だけがこの国を支配した。

 その帳は第二神である神さえも抗えぬくらいの苦しみであった。


「第一神を…邪神じゃしん。第二神を天光神てんこうしんと呼ぶ…」

「勉強熱心だな」

「わっ?!…ギル!」

「そんなに熱心に何を読んで…まだ調べてたのか、お前も物好きだなー」

「そうかな?」

「物好きだよ。そもそもそんなものに興味がある奴の方が珍しい。神様信仰もいいけどあまり覗き過ぎないようにな」

「どうして」

「ここの神様は普通の神様とは違う。意志を持って民に審判を下す、いついかなる時でも神は視ているってことだよ」

「ふぅん」


 夏の初め、空は真っ青に澄んでいる。まだ暑さはさほど強くはなく木陰が心地よい。

 そんな場所で翔は一人、神伝という本を読んでいる。前に鎮生のところで借りた本だ。古い本なので所々文字が霞んで滲む個所や虫に食われてしまったりしている個所もあるが要約すればいいので苦でもなかった。翔は最近任務の空き時間やトレーニングの合間を縫って、本を読んでいた。

 読んだところでこの体質や力のコントロールが効くようになるという保証はどこにもないが、翔は知りたかった。どういう神がいるのかどうしてこうなったのか、ただの探究心だけが翔を突き動かす。


「あ、そうだ。一個いい知らせを持っているんだが。聞きたいか」

「え、なに?」

「鎮生の意識が戻った」

「!」

「いまから会いに行くところなんだ、一緒に行かないか」

「行く」


 ギルバートの言葉に反射的に顔を上げ、即答で返す。その様子にギルバートは驚いた様子だったがまるで噴き出すかのように笑うと決まりだなと立ち上がり歩き出す。

 翔も本を閉じすぐに後を追う。

 あの事件以来、鎮生には会っていない。意識が戻らないと聞かされた時焦りと罪悪感に心を針で刺すような痛みに顔を顰めていると、太陽が翔のせいではないと慰めてくれた。珍しく困ったような悲し気な瞳に何も言えなくなってしまいそれから考えないようにしていたのだ。

 自分があの時もっと動けていたら、と後悔する気持ちはいまも消えていない。

 本部の奥、渡り廊下を通り何もない真っ白な廊下をただ奥に歩いていく。とても静かで窓の外も新緑に茂り外からも内からも外の様子は伺い知れない。辛うじて空が葉の隙間から覗く程度だ。

 神秘的な空間だなと独り言のように呟く。

 壁の装飾は白と青で掃除が行き届いているのか汚れがない。


「着いたぞ」

「いらっしゃい。どうぞ」

「あぁ。邪魔するぞ」

「し、失礼します」


 扉を開ける前に中から扉が開かれ、私服姿の太陽が出てきた。

 太陽は二人を仲に招き入れる、中は広く家具も綺麗に整えられている。

 リビングのような空間の奥にまた部屋がありそこに向かう扉を開けると、陽だまりの中で白いカーテンが揺れている。その窓から外を眺めるようにベッドに体を起こし座っている鎮生がこちらに気付き、柔らかく笑みを湛える。

 光に包まれるその様はとても綺麗で光に消えていきそうだった。


「具合はどう?」

「見ての通りだよ。まだ傷は塞がらないけど元気」

「そうか。それならよかった、傷は明日にでも塞がってるさ」

「ありがとうギル」

「どういたしまして」


 ギルバートは鎮生の体に触れると魔法を唱える。そうすると優しい夜の星空のような光が淡い星の煌めきに弾けるような光が鎮生を包む。そのまま吸い込まれるように消えていく様子に目を奪われる。

 ギルバートの魔法はとても綺麗で優しい。本人は星の一族である証だと言っていた、それはとても魔法使いであるギルバートを現すかのようで似合っていると言った時とても嬉しそうにしていたのを思い出した。

 それから少しの間談笑をしていると、どこに居たのか太陽が声を掛けてきたいつの間にか制服を着て腰には自身の武器である長刀が携えられている。

 今日はカラス全体に任務はないと言われている、それなのにどうしたのだろうかと不思議な面持ちで首を傾げる三人に太陽な呆れたように笑う。


「なぁに。そんな目で見ないでよ。ボクだって好きでやってるんじゃないから、上層部からのお達しでいまから神族の本家に行くんだよ」

「あぁ…いつもの季節ごとの行事か」

「めんどくさいからあまり行きたくないんだけどね」

「どうして狼谷先輩が?」

「ん?あれ、言ってなかった?ボク一応神族の家系なんだよねぇ」

「え?!そうなんですか」

「まぁ、もう信仰する神もなにもないけど形式上はってこと。ボクの母親が第二神天光神に代々使える巫女でその命をボクが役替わりして担っているってだけ。まぁ、実際にはただの宴会だけどねぇ…あ、天光神って分かる?」

「はい!今日本で読みました!」

「え、まだ調べてたの…よくもまぁ飽きずに…」


 呆れたような感心するような声音に翔は困惑する。

 やはりいまの時代で自国の神について調べることは珍しい事らしい。その後茶化すように翔の頭を乱暴に撫でた後、鎮生にしっかり寝ているように言いつけると部屋を出て行った。


「あ、そうか。今日は上層戦闘員が本家に駆り出されていないから全員非番なのか、良かったな」

「良いんですかね…?」

「あの日以来少し落ち着いているって春嘉さんも言っていたしいいんじゃないか。平和なのはいい事だしな」

「そうだね」


 それからしばらくの沈黙が続く。

 優しい風と共に小鳥のさえずりが風に吹かれて流れてくる。

 のんびりとした空間の中翔が躊躇うように口を開いた。


「…あの、黒田先輩」

「翔、あまり自分を責めることは良くないことだよ。自信を無くしてしまうよ」

「でも…」

「これは、俺が望んだこと。それに翔に非があるって言うなら、それは俺のせいだ」

「違います!先輩のせいじゃ…」


 咄嗟に顔を上げた時、優しい瞳と目が合う。

 不意に伸ばされた手が温かく、優しく頭を撫でたかと思えば抱きしめられた。

 陽だまりの匂い鼻腔を擽ってもどかしい。

 何も言わないただ、優しい掌が撫でてくれる感触が酷く優しくて許されていく感覚がじんわりと広がる。


「先輩は、どうしてあんな戦い方をするんですか」

「さぁな。どうしてなんだろうな」

「俺は、先輩に生きていてほしいです」

「オレも、そう思っているよ」


 話し込んでいる最中、疲れたのか眠ってしまった鎮生を太陽に頼まれて様子を見に来たリリィに任せて翔はギルバートと共に渡り廊下を歩く道すがら本人には聞けなかった言葉を吐露する。

 ギルバートは驚くことも呆れることも無くただ言葉を零す。

 鎮生とギルバートは昔馴染みなのだという。昔は話すことも笑うことも下手で何かに怯えているような子供だったという話をするギルバートの表情はとても悲し気でどこか遠くを見つめるものだから、何か触れてはいけないような気がして翔は口を閉ざした。

 あの時見た、鎮生の表情は良いものではなかった。太陽のように戦闘に溺れ興奮するような光悦な顔ではなく、ただ酷く苦し気で泣きそうな顔をしていた。

 そこまでしてどうして戦場に身を置く必要があるのか何故、という言葉は胸の中に隠して翔は本部を後にした。


「いやはや、本日はお日柄もよく嘸かし貴方様のご機嫌も麗しゅうございましょう…」

「戯言は良い。要件を話せ」

「も、申し訳ありません。ええっと…」

「もう良い。あとで書面で寄越して時間の無駄」

「はっ…も、申し訳ございません…」

「下がれ」


 饅頭のような丸い顔で酒の臭いを纏わせ近づく者を肘置きに肘を置いたまま、宴席の中央の奥の座敷で座る出雲はいつにも増して不機嫌だった。

 その様子を一段下で自席に座り、食事をしていた春嘉は溜息を吐く。もう少し神らしく心穏やかに人間の言葉に耳を傾けられない者かと呆れる。

 その真横で同じく食事をしている太陽もうんざりとした様子で、酒の入った碗を台座に戻し席を立つ。


「おい。どこに行く」

「トイレ」

「…はぁ、全く」

「そうカリカリするな。折角の上手い飯が台無しになるぞ」

「そう、ですね」


 太陽の隣の席に座っている有志が落ち着いた声で春嘉を窘める。

 春嘉は上層戦闘員として有志と共にこの神族の宴会に参加している。太陽は正式な上層戦闘員ではないが、巫女の血筋である母親に代わりこのような宴会に参加している。

 そもそも、上層戦闘員であろうがこの宴会は神族以外は参加できない。

 ではなぜ、このような状況になっているのかというと、太陽は巫女として、その護衛として有志が付き、そして神族の当主として立つ出雲の護衛に何故か春嘉を指名したことが事の発端である。

 太陽はこの宴会を非常に毛嫌いしており何度か欠席をしたりしていたが、流石に成人してからはそれを止めた。が時折こうして席を離れどこかに行ってしまう。

 有志はこういう場に慣れているのか、酒に呑まれた呑兵衛たちに絡まれても上手く躱している。その表情も飄々としていて流石だとしか言いようがない。

 春嘉も得意ではないし、何より勤務中だとは言え春嘉自身お酒が飲めないのだ。正直いまこの空間に漂う酒の臭いも頭を揺らすようでとても苦痛だ。


「吞んどるかね!若いの!」

「いえ、勤務中ですので…」

「なんだ!固い事を言うな、祝いの席だ呑まんとやってられぬだろう。神にも面目がいかんではないか。神の御前で出されたものを断るのは不敬ではないか!」

「いや、飲めないので…」


 やけにべたべたと触ってくる輩は酒に酔っているのか声も大きく、近くに居た者達を呼び寄せる。困り果て、有志の方を仰ぎ見るも有志も大勢の者に絡まれている中には女性が混ざっている、恐らく勘違いした関係者が婚姻の為に娘を差し出そうとしているようだった。

 いつもはカラスの制服を着ている彼らに誰も近づこうとしない。だが、何度も参加している為なのかそれとも護衛である者たちに取り次げば出雲に話を聞いてもらえるという魂胆なのか今回はいつにも増してしつこい。そもそも出雲が真面目に会合に勤しめばこうなることもない。


「あの、本当に勤務中なので…っ」

「一口だけなら構わんだろう!」


 完全な悪酔いである。

 強引なまでに酒の入った碗を押し付けてくる。面倒だと感じた春嘉は一口飲めば解放されるだろうと碗を手に取り恐る恐る口元に運ぶ、それをじれったく思ったのか輩が手を伸ばす避けようとして思わず酒を呷るような体制になりまずいと思ったその時上から手が伸びてきて碗が手から離れる。


「おっさんたち悪酔いのしすぎじゃない?それこそいいのかなぁ…御前の前なのに」

「なっ…」


 碗を持ち酒を呷った太陽が、嫌な笑みで笑う。背中が冷える感覚に春嘉の前に集まっていた輩は振り返り、出雲に向く。

 何時から見ていたのかただ黙ってこちらを見据える出雲の表情は慣れていなければ足が竦んでしまうくらいだ。

 仮にも神の御前である。このような失態は信仰者にとっては身の内が震えるような心地なのだろうとぼんやりと思う春嘉に、太陽が手を頬に宛がう。


「酔ってる?それとも雰囲気酔い?」

「……あぁ」

「奥の部屋、ノヴァがいるから行ってきなよ。ここにいたら前後不覚になって帰れなくなるよ」

「嫌なことを言うな」

「はいはい。ほら、立てる?」


 酒は吞んでいないし先程の物も口に入れていない。口に含む前に太陽に奪われたのだ春嘉が酔うことは無いだろうが、酒に弱い人間はその臭いだけでも酔ってしまう。

 いつもはそのようなことにはならない春嘉も今回は多忙だった為疲労した体にこの場は酷だったのだ。

 太陽は宴会場に戻った後、絡まれている春嘉を目撃しそれと同時に出雲を見た。隣で顔面蒼白気味で謁見の申し立てをする者に目もくれずただ怒りの眼差しを渦中に向けているものだから呆れたように自らその中に入り春嘉の持つ碗を奪った。

 そこでやはりと思う。強い酒だ、前回の時と変えたのか臭いが強い。

 出雲が手配したわけではないのだろうが、太陽は一気にそれを呑む。それを見た者達は感嘆の声を上げるが正直太陽もこれ以上吞む気にはなれなかった。


「ノヴァ―」

「なんだ。酔ったのか」

「さぁ、雰囲気酔いじゃない?」

「そんなことがあるのか」

「あるでしょ。今目の前にいるじゃん」


 雰囲気酔いして前後不覚になっている人間がここにと春嘉を差し出す。

 戸惑った相手は、宴会会場を出てすぐの奥の部屋にいた。星を瞬かせたような空間は清浄としていて別世界の様だった。奥の襖を開け放ち夜の闇を部屋へ落としている。

 だいぶ足元が覚束ない春嘉をノヴァに預けるとノヴァは押し入れから布団を一枚出す。うつらうつらと舟を漕ぐ春嘉を横にしそのまま寝かせる。余程疲れていたのか数刻もせず寝息が聞こえ安堵する。


「宴会はまだ続くだろう。終わるまで彼の様子は私が見ておく、すまないが出雲を頼めるか」

「いいけど、だいぶお怒りみたいだよ?いいのあれ」

「いつものことだろう。今回は賢老たちも参加している、今朝方少々揉めてはいたがな、それでこの宴会では怒りが収まらないのだろう。悪酔いする輩も多くいる…それに」

「気に掛けている人間がこれじゃあねぇ。…ボクも戻らないと、またね」

「あぁ」


 太陽がその場を去るとノヴァは星の煌めきを強くした先程よりも空気が澄んで穏やかになる。隣から聞こえてくる喧騒の声も鳴りを潜めるように。

 眠る春嘉の眉間の皺が無くなり、眠る表情が穏やかになる。その様子に安堵し彼はその隣に腰掛ける。

 まだまだ夜は長い。

 喧騒の中、出雲は頭を抱える。拝謁を賜る者が聞かせる話は前置きが長い者、緊張しているのか何を言っているのか分からない者、単に興味が湧かない者が居た。

 そして最も不快なのは、酒を無理に押し付けようとしている輩だった太陽が気を利かせてくれていなければその場を凍り付かせていただろう。

 戻った太陽が目配せしてくれ微かに安堵し、くだらない会話を続ける。


「本当にくだらない」

「では、我の話はいかがでしょう」

「自信があるようだね?」

「ええ。これはほんの一興即ち娯楽ではございますが、興味深い話を耳にいたしました」

「言ってみてよ」


 出雲はくだらない世間話に飽きていた。微かに感じる話し手の嫌な笑みに感化され話の続きを促す。

 その者は普段外交を主とする男であり、いつも他者を嘲るように話をするいけ好かない男だった。忠誠心は誠なほどに義理堅い。定期報告は常に同じ時刻に書面及び謁見時に手短に話す。出雲も一目置いている存在ではあった。

 酒に強いのか、話す口調は常と変わらない。


「先日行われました政府主催のパーティーを主も覚えておいででしょう?その中で実に興味深い話を耳にいたしまして…」

「……で?」


 その男は静かに傾けていた碗の中身を喉に流す。

 そして全体を一瞥し、太陽と有志に微笑んだ。その姿に二人は思わず身構えたが何事もなかったかのように目を出雲へと向けて口を開いた。


「ほんの噂話ではありますが、先日とある施設が建ったという話は聞いていますでしょう」

「あぁ、あの生活困難な人間を支援する施設か…それが?」

「あれがどうも怪しいと言うのです。何せあの施設は養護施設とも孤児院にも近いが最近はあまりにも静かすぎる…と」

「どういうことだ」

「建物自体がどこに建っているか主はご存知ですか?あれは、中央区から離れた場所にある田舎の山荘にあります。そしてそこはよく瘴気や魔物の類いが出ると噂されている。まぁそのような施設を建てるなら文句が出ない場所というのもありましょうが、それでは政府の代表が後押しをしている意味がない…まるで何かを隠しているようではありませんか?」


 その場の全員が男の言葉に黙り込み、嫌な顔をする。


「まさか、政府の人間が何かを企んでいると?」

「ええ、そのせいかあの時の中川代表は非常にご機嫌で普段は滅多にお誘いしないようなご令嬢方などを呼び派手なパーティーでしたように思えましたが」

「…お前のことだから、もう調べているんだろう?」


 出雲の試すような視線に、男は笑みを深めた。

 そして立ち上がり、出雲に隣に腰を下ろすと鞄から一つの文書を取り出した。それを出雲に差し出す。それを受け取るとすぐに開封し文書を読む。

 納得したように、あからさまに出雲の顔が歪んだ。

 太陽は横目で出雲を見やる。

 出雲の表情が手で隠れてはいるが柔和な笑みを浮かべそれが興味深いとでも言うように目が細められた。これは、面倒だと思うが意識を逸らすように手元にあるお茶を喉に流し込んだ。




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