第8話
白いスーツのようなガーディアンの制服を着て七瀬は上着を肩に載せたまま靡かせるようにただ広い廊下を歩く。その表情には微量の笑みを湛えて、すれ違うガーディアンのメンバーに軽く目配せしながら目的地へと急ぐ。
目的地と言っても探しているのはたった一人なのだが、普段は国家の代表として働く男の傍に付き従う秘書の女性である。
その女性を七瀬は探していた。そしてその女性は七瀬のよく知った人物であった。
「こんにちは。七瀬そんなに急いでどこへ行くのかしら」
「こんにちは。姉さん」
「あら、職務中は赤里秘書と呼ぶべきではないの?リーダーさん」
「失礼いたしました、赤里秘書官殿。僕は運が良いようです、待ち人がそちらから来てくださるとは…」
「なにかしら。手短にお願いするわこれから会議なの、代表の元へ行かなくてはならないからあまり時間は取れないわ」
「いいえ。お手間は取らせません、一つ質問に答えていただきたいだけです」
「なにかしら?」
「
「…何のことかしら。私は指令書は渡していないわ」
「……そうですか。質問はそれだけです、貴重な御時間感謝します。それでは先を急ぎますので」
「待ちなさい」
七瀬が視線を逸らし歩き出そうとした時、赤里秘書が引き留める。
既に背を向けている為、彼女の表情は見えない。
「何でしょう。僕も先を急いでいるのですが…」
「貴方、何を考えているの」
「はは。何も」
「…不穏な動きをするのは辞めたほうが良いわ。貴方の首が飛ぶわよ」
「それは…怖いですね。ご忠告感謝いたします、秘書官殿もお気をつけください。どうやらこの館内には大きなネズミが居るようなので…」
その声は先程とは違い、低く牽制の色が感じられる。
赤里秘書は何も言えなくなりただ七瀬の背中を見つめるしかなかった、その表情は苦悩にも満ちたような歪んだ感情が滲み、爪を噛んで睨みつける様を七瀬は一度も振り返ることも無く奇妙なまでに静かな廊下を歩いて行った。
七瀬は執務室に入る、そこにはガーディアンのメンバーである衛が机の前に立ちこちらに振り向くと一礼する。
「赤里さん」
「衛。今回の件は他言無用だよ。いいね、そして君は形式に則って謹慎となる。この件は久我と話し合いのうえで解決とする暫くは謹慎といった形で任を外れるが、その間に調べておいてほしい事がある」
「はい。瘴気と地下施設の関係性ですね」
「くれぐれも関係者に見つからないように、
「お任せください。…それと、小羽は」
「小羽には社会見学という命で別任務を任せてある。大丈夫心配はないさいまの此処よりは安全だろう…それと、今後報告の際は僕の携帯に直接連絡してほしい。ガーディアン端末には要点を省いて連絡して、此処に訪れるのは一週間後だ、いいね」
「はい。ご迷惑をお掛けします」
「平気さ。ネズミに食い散らかされる前に早く対処したほうが良い、争いになる前にね」
衛は一礼して執務室を出て行く。
七瀬は一つ溜息を吐くと椅子の背凭れに寄りかかり背後の窓から差し込む光を遮るように目元を覆う。
「堕ちてくれるなよ、姉さん」
その目にはいつもの柔和な雰囲気はなく、ただ冷めたような据えた瞳が虚空を睨みつけるだけだった。
人は稀に道を間違える。魔が差すというものだそうすれば堕ちるところまで堕ちるしかない、七瀬はそれを十分すぎるぐらい身に染みて理解しているつもりだ。そんな人道に背いたようなことを身内に課させるわけにもいかない。
早急な解決と、内部での混乱を避けるため人をなるべく本部に留まらせることがないように、スケジュールを組んだ。
机の上に置いていた資料を鍵付きの引き出しにしまい鍵を無造作にポケットの中に仕舞い七瀬は執務室を出た。
「こっちだ」
「ごめんね、時間がかかってしまった」
「構わない。時間ならたっぷりある、そうだろう」
「相変わらず、尋問でもするかのような鋭さだ」
「誤魔化すな。これはお前だけの問題じゃない」
私服に着替えた七瀬は、いつもの印象とは違う深い青い色のジャケットに黒いインナーといったラフな恰好で待ち合わせとしていたレストランへ向かった。事前に合わせた時間よりも数刻遅れたがそれも計算の内なので構わないというような相手も、普段の恰好とは違い、グレーのジャケットに黒いシャツに持ち前の金の髪を下ろし雰囲気が変わって逆に取っ付きにくい印象だ。
待ち合わせ相手は特殊戦闘集団カラスの春嘉で、既に座席に着いて一息ついているようだった。手には紙の書面、こんなところでも仕事に追われているのか関心を通り越して呆れさえ感じさせるその様に笑みが零れると、機嫌を害したのか睨まれる。
「さっさと座れ」
「怖いな、睨まないでよ」
「フン。報告を」
「あぁ。衛の証言をもとに本人と接触してはみたけれど、知らないようだね…」
「なんだ。何かを掴んでいるようだったのにその様か」
「キミは相変わらず、人を煽ることが得意なようだね。教育に悪いよ?」
「うるさい。続けろ」
「はいはい。掴んだといってもまだ弱いこれだけでは関係性は確実にはならない。曖昧なままキミに報告しても無意味だ、衛にこの件は一任してあるよ構わないね」
「あぁ。情報を分散させるならそれが一番いいだろう」
「敢えて、本部内に人を常駐させず行動させる。そうすることですべてに監視の目が付けば攪乱させられる…上手く行くかは分からないけれど」
「お前も気を付けることだ。それとこれは出雲からだお前にとのことだそうだ」
「ありがとう」
「眠れていないのか」
「は?」
「目の下の隈が酷い、根を詰めすぎないことをお勧めするぞ赤里リーダー。それとその端末は捨てるか停止させたほうが良い」
「……ああ。ゆっくり休ませてもらうよ。久我隊長殿」
「少し休んだら店を出たほうが良い。ではな」
春嘉は机に自分の注文した分の料金を置き個室を出て行った。
彼が出て行ったあと、話し合い中に感じていた微量の痛みが引いていき体に軽い痺れだけが残る。
春嘉は瞬時に異変に気付いたようだ、耳が良いのかそれとも単に警戒心が強いだけなのか、話し合いの最中のあの電流の走ったかのような微量の痛みは彼の能力である。
七瀬は震える手でガーディアン用の端末を取り出すと電源を落とす。
飲料に手を伸ばすも舌が痺れる感覚がして飲むのを止めた。
「もう少し加減してほしいものだ…全く、クソガキが」
疲労しているのも眠れていないのも事実だ。最近増え続ける正体不明の瘴気に飲まれた者の異形化はガーディアンの手を煩わせ続けている。
猫の手も借りたいくらいの多忙さにリーダーである赤里は各地に伝達や調査、国民の安全の為にと動く毎日。そして国家の代表はそんなこと露知らずに遊び惚け警護を増やせと文句を垂れる始末。頭を抱える日々に七瀬は困憊していた。
本当はこの日七瀬には唯一の休暇だったが、先日に起きた事件のせいで休暇にも仕事に追われている。春嘉のことを言えたものではないなと我ながらに思い微かに笑う。
七瀬は元よりガーディアンの人間ではなかった。寧ろこの国がどうなろうと知った事ではなかったが、奔放する弟を可哀想に思った姉が仕事を用意したのだ。大役という名の拘束でしかない。法ギリギリのこともやっていた七瀬は何度も姉を親を拒絶した。幼い頃から病弱だったせいもあり過保護になっていたのだろうが、七瀬にとってそれは酷く不快でたまらなかった。望みもしない軍人の門下生となった日も母が泣きながら謝る日々もうんざりで、もう門下生として武術を習わなくて良くなった時ふと何かが切れたように七瀬は家を飛び出した。逃げた、それぐらいしか思い浮かばなくて苦しさから逃げ出した。
「七瀬」
「次から次へと暇なんですか。出雲様?」
「七瀬、キミそのままだと死ぬよ」
「うるさいですね。貴方に何が分かると言うのですか」
「鎖を解いてあげようか?」
「神は人の話を聞かないのですか…なんです」
「キミの母に頼まれてと言ったら?」
「卑怯だぞ」
「何とでも。ほら、手を貸して」
レストランを後にし、少し歩いた所で七瀬は出雲に声を掛けられる。
雑踏の中良く気付いたものだと感心するが、振り向かなければ良かったと同時に後悔もした。周りを歩く人々は七瀬と出雲の傍を自然と離れるように歩いていく。
まるで世界に取り残される感覚に眩暈がする。頭が重く沈む感覚に目の前で不敵に笑う神を睨みつける。無礼な振る舞いに目の前にいる神は眉一つ動かすことも無くただ笑う。
やめろ。そんな目で見るな憐れむようなその目をやめろ。そう叫びたいが限界な体は冷や汗を流し、自然と手を伸ばしていた。
無様だと思う、七瀬は出雲が嫌いだった。母を見捨てたこの神が大嫌いだった。なのに、体は勝手に彼に助けを求めているのだから滑稽である。
最悪だ。そんな言葉も暗転する意識と共に深くに消えて行った。
「キミには生きてもらわないと困るんだ」
勝手なことを言うな。その叫びは言葉にならず消えていく。
次に目が覚めた時、七瀬は自室のベッドの上で目が覚めた、ご丁寧に疲労は全て消えている。気怠さも何もない、ただあるのは何処にも出せない忌まわしさだけだった。
七瀬の体には神族の血が流れている。そして七瀬は神気ではないが神力を持つ稀人である。
七瀬は机に置いていた酒類の瓶を地面に薙ぎ倒す。瓶の割れる音と酷く苦痛に満ちた七瀬の顔が割れた破片に映り込んだ。
「何故なのですか…っ、なぜ!!」
神よ―
宿命からは逃げられない。
神族は皆力を持って生まれない。限られた人間だけがその命を配する。誰の為でもないただ神命を賜るだけ。それは全て神の為だけにありその命は神の為に存在する。
この国を作ったのは天即ち神である。
天は地を成し、地は人を成す。それが全ての始まりだった。
嫌というほど刻まれた感覚は七瀬を酷く蝕んだ。姉であればと、同じ血同じ顔対である姉であればよかったと憎んだこともあった。
同じ日に生まれ落ちた双子の姉に、神力は終ぞ《ついぞ》現れることは無かった。
「ねぇ。何を考えているの」
「…何も?そんなことを問うている暇があるのなら、愛するあの子の傍にいてあげたらどうかな」
「うざ…。さっきから臭くて堪らないんだ、神聖を逸脱しかけた成り損ないの気配がアンタからするんだよねぇ」
「何が言いたいのかな」
「中途半端に手を掛けるならいっそのこと神域にでも閉じ込めてしまったほうが楽だと思わない?」
「物言いが物騒だ。まぁ一理ある、だが貴方もそれをしない説得力が欠けているとは思わないかな?…それにアレはぼくのものじゃない」
「……もういいよ。不愉快だ」
暗い廊下で、出雲と太陽は互いに言葉を落とし合う。
誰も居ない空間で二人の気配は禍々しい物に変わっていく、それを断ち切るかのように太陽は歩き出した。
苛立ちを含んだ踵の音は次第に小さくなっていく。
太陽は本部の裏手に続く渡り廊下を歩く、重たい扉を開け奥の部屋へと向かう。
その扉の奥には一つの大きなベッドがあり、そのベッドの上に一人規則正しい寝息を立て眠る者がいる。
あれからもう三日だ。目覚めぬ待ち人は本当に眠っているだけなのか心配にもなる。そっと胸元に耳を預ける。音は小さいがしっかりと鼓動している。
「……ょう」
普段なら聞き逃してしまう声が今日はやけに大きく聞こえ太陽は顔を上げる。
まだ焦点の合わない瞳は誰かを探すように彷徨う。その瞳を捕まえるように視界に入り優しく声を掛ける。
「おはよう。鎮生」
「おはよう…太陽」
柔らかい笑みが迷子の子供のようで心が痛む。だが、帰ってきたそれだけで太陽は嬉しかった。
迷い子は必ず光の中へ帰る。それは必然ではないこれは運命だ。
「還ったか。やはりあなたの想いは強いらしい」
それはまだ光の中にある。
それが消えた時空は崩れ崩壊する。
出雲はただ、天に差す光の柱を見やる、金色の光の柱は全てを照らし迷い子を導くだろうそれはこの世の理であり、それは決められた節理である。
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