第7話

 四人の戦闘員を送り出した春嘉は机に肘をつき俯き加減で溜息を吐く。


「どうしたの?不安なのかい」

「いつから居たんだ」

「ふふ。いま来たんだよ」


 いつの間にか背後に立ち、壁に背を預けるかのように立つ出雲は不敵な笑みを作り春嘉の隣に顔を出す。

 出雲の言うように不安がないと言えば嘘になる。だが、心配のし過ぎは彼らにとって侮辱を意味する。戦火を駆ける彼らに戦いの心配は不要だ、だが現状が現状であるが故に不安にもなるものだ。


「まぁ、いい選択だと思うよ。成長にも繋がるだろうし、なによりぼくは楽しみだよ」

「そうかよ」


 得意げに笑む瞳からは真意など伺い知れない。

 この神は一体何を考えているのか、人間のふりをして楽しむその姿に春嘉は自然と苛立ちを覚える。また一つ溜息を吐いて彼のネクタイを掴み席を立つ。

 困ったような戸惑いの声を無視し春嘉は部屋を出て行った。


 無事に現場に到着した翔と鎮生は、先行していたガーディアンの部隊と合流し現場の状況を確認する。

 衛と小羽が在駐していた。疲弊した表情で小羽がベンチに座っている心配した翔が駆け寄るも表情は優れず、歪んだ笑顔でこちらを見る姿は些か可哀想にも思える。

 それもそのはずで、現場は今規制線がいくつも張られている。

 瘴気の臭いが辺りに広がっていて気分を害する住民や隊員が増えていて手が回らないのだ。専用のマスクをしていても呼吸が苦しくなる。

 幸いなことに目標は周辺には確認できないということで、人命が優先される。翔と鎮生も手伝いつつ目標の捜索そして瘴気の浄化作業に当たった。


「ふぅ…これで全部ですかね」

「そうだね。お疲れ様、少し休もうか」

「はい…—っ?!」


 マスクを外し一息つこうとした瞬間二人の背中を得体の知れない何か恐ろしい気配が撫でる感覚がし咄嗟に振り返った。

 距離はある。だが、その先は太陽が派手に建造物を破壊したおかげで人の出入りが規制されていた公園だ。

 嫌な予感がして翔は鎮生の制止の声を聞く前に駆け出した。


「翔!独断専行は危険だ!」

「黒田戦闘員!」

「衛、あの公園周辺の人間たちを外へなるべく遠くに避難させて周辺全てだ」

「分かりましたっ」


 走りながら異変に気付いた衛に声を掛け、速度を速める。それでも翔は先を走ってる。此処からでは現場の状況が把握できない、そのまま向かってしまっては目標と鉢合わせることになる、鎮生は一旦道を逸れる。翔の動きを視野に入れつつ住宅の屋根に登り上から現場周辺を確認する。

 異常な気配は二つ。瘴気の濃さから一つは任務対象である目標だろう。だが、もう一つの気配に感じた違和感。何処かで感じた気配だ。翔ではない。

 まさかと思った鎮生は目標を視認、その対立するもう一人の人物と割って入るように屋根から飛び降りた。

 腰に装備していた武器であるカッター式のナイフを地面に突き立てるように振り下ろす。衝撃で少々刃が欠けたが問題は無いだろう。怯えたように尻餅を付いたまま鎮生を見上げる女性はやはり被害者の女性である本橋だった。

 しっかりとした面識はないが、鎮生は独自の調査スタイルで一度本人に接触しているその時の気配を覚えていたのですぐに戦闘態勢に入れたのだ。

 そして、目の前に対峙するのは黒い禍々しい程の気配と闇を被ったかのように人間の形をした異形の存在が赤い瞳でこちらを見つめる。

 目が合ったその時、鎮生の隠れた瞳が焼けるような痛みを引き起こす。この感覚が彼は大嫌いだった。なにかに引っ張られるようなそれでいて拒まれるようなその気分の悪い感覚が鎮生には不愉快で仕方がなかったのだ。


「先輩!」

「武器を構えて、彼女を安全な場所まで連れて行って」

「はい!」

「だ、メ」


 翔が本橋に手を貸し、立ち上がらせると対峙する目標が何かを引き摺る音共に片手を伸ばすその瞬間地面を影のような闇が辺りを包むみ空を焦がすように染め上げる。

 飲まれる―。

 それはほんの一瞬で気が付いた時には、辺りは闇に包まれていた。焼けつくような酷い気配、辺りに瘴気が立ち込め建物を焼いてく。

 酷い臭いに顔が歪む。視界もぼやけるように焼けて足が震える。

 心臓が警鐘を鳴らすように早鐘を打つ。ここは危険だと逃げなければと追い立てる。


「…っ」

「翔、マスクを…しなさい」

「先輩…先輩のマスクは」

「俺は平気、気をしっかり保って。いいね?」

「…はい」


 震える足を叱咤し、気を失ってしまった本橋を支える翔の表情は苦しそうだ。彼にマスクをするように指示し、自身のマスクを眠ったままの彼女に付ける。

 一般人にこの瘴気の濃さは危険だ、長居は出来ない。構えは解かない、動きの見せない敵は姿を変え周りに赤黒い球体を体の周りに浮遊させている。

 本橋を離れた場所に避難させ、構えたままの鎮生の後ろに付く。

 その時、急に敵が呻くように苦しみだした。


「ヴゥゥゥ」

「なんだっ?!」

「来る―」


 動物の呻き声と共に悲鳴が混じったその声は酷く心が締め付けられる感覚がした。

 その瞬間、浮遊していた球体が二人目掛け発射された。


「あーもう!数が多い!」

「……」

「ちょっと、かーくん?なんで黙っているのよ」

「おかしい」

「おかしい?何が…」

「ここ一帯にこんなにも野獣が住んでいるはずはない」

「野獣って、これ野良犬や猫が瘴気によって変異した変異体って話でしょ」

「そうだけど。数が多すぎる」


 まるで踊るようにリリィは持ち武器である鞭を振り回す。攻撃を受けた対象は四散し消えていく。その全ては元は野犬や野良猫である。

 だが、太陽にはそれが違和感でしかなかった。ここはそもそも水源の近くで水源の近くは全てガーディアンの管理地区であり所謂国の政府が管轄区としている場所だ。なので一般人は愚か動物なども近寄れないようになっているはずだ。

 なのに異常な数の瘴気に侵された異形の動物たちは一体どこから湧いて出たというのだろう。


「ここは水源の近くでしょ、それならこんな数の動物がいればガーディアンが対処できるはずだよ。それなのにこうなるまで放置していたってことは…なにかおかしいと思わない?」

「……ねぇ。それが本当なら私たち騙されたってことになるわよね」

「騙されたというか嵌められた…かなぁ。さっさと終わらせて鎮生たちと合流しよう」

「ええ。急ぎましょ」


 二人は強く地面を蹴った。

 攻撃を避け、斬り込む。嫌な音が響き思わず顔を顰める。

 それは、悲鳴や叫びにも似た女性の声だ。それだけでも心が締め付けられるように痛む。攻撃を避けきれなく掠った時に過る映像がより鮮明さを増していく。

 痛みが苦しみが否応なしに脳に流れ込んでくる。

 これは、記憶だ。彼女の記憶だ。姿形が変わっているせいで写真で見た印象は無いに等しいが記憶がそれを教えてくれた。


「あの人も、被害者…?」

「死人に口なしっていうのはこういうことを言うのかな」


 苦しかっただろう。ずっと、辛かっただろうにこの女性は一人で耐えてきた。この女性は優しかったから、自身の愛する人が次第に自分を見てくれなくなっていった時も、子供が出来た時喜ばれたときの嘘の笑顔も、本当は全部分かっていた。

 だが、自分の幸せより相手の幸せを優先した。どれだけ悲しくても苦しくても引き留めたくても、そこに自分が居ないのであれば相応しい相手にと手を離した。

 何にも縋ることなくただ、後悔だけが彼女を生かした。

 これは、憎しみではない後悔と悲しみだ。愛する人の幸せを望んだ。その相手が決して自分でなくても幸せになれるのであればそれでいいと思った優しさが生んだ悲劇だ。

 では、この悲劇の幕引きはまだ終わらない。終わりはしない。

 後悔だけが彼女を生かし、そしてその矛先はその相手に向いた。脅かしたかったわけでも苦しめたかったわけでもなかったのだ。


「分かった…もういいんだ」

「グゥヴヴ」

「翔、合図したら力を使っていいから地面に振り下ろして」

「え…?」

「終わりにしよう。これ以上は、駄目だ。彼女は犯人じゃない」

「わ、かりました」


 地面に付きそうになる足を必死に叱咤し、鎮生は氷の結晶を纏う。

 いまにも意識を飛ばしそうなくらい不安定な翔は動けない、けれど指示に従うように炎と地の力を拳に込める。それはまだ不安定で揺らいでは消えかける。それでも意識を一点に集中させる。炎と地の色が混ざり溶け合う。


「翔!」


 燃えるような熱さが体内を包む。その瞬間を待っていたかのように鎮生の声が翔を呼び覚ます。突き上げた拳を真正面に地面へと叩き付ける地面は亀裂を走らせ真っ直ぐ敵の方へ向かっていく、割れた地面からは炎が上がるそれはまるでマグマのように熱く暑く燃え上がる。

 甲高い悲鳴と共に次の瞬間熱は一気に冷える。刺すような痛みの冷えが肌を裂いて凍っていく感覚に翔は炎を強め熱を保つ。

 氷の結晶が宙を舞う祈るような姿勢から、手を差し出すかのように前へ伸ばす。赤いルビーのような瞳から零れる雫は結晶のように砕け赤い柱が生まれる。

 凍り付いた敵は黒い瘴気を消滅させ元の姿に戻る。

 氷の柱に触れればそれは乾いた音共に砕け、中には何も残らない。

 空を抱くように鎮生はその結晶を抱きしめた。


「黒田戦闘員!藤堂戦闘員!」

「鎮生!」

「翔!」


 三つの呼び声に翔は朦朧とする意識の中、視線を向ける。その時、目にしたのは焦った様子の小羽の表情だった。駆け出す太陽とリリィは武器を構えている。

 ぼんやりとした頭の中、どうして二人がここにいるのかという疑問もぼやけ始める。

 突風のような旋風と微かに感じた刺すような冷気。頭上を通り抜けた刃は背後にあった何かに命中し、視界が赤に染まる。

 赤い飛沫が舞い、ぐしゃりという聞きなれない音と共に背後に眠っていたはずの本橋が倒れる。


「え」

「下がって!」


 リリィは翔の腕を引き後ろに飛ぶ。

 肌に感じる警戒の気配に意識はクリアになる、目の前には先程まで護衛対象だった女性の本橋がいる、はずだった。

 いまやその姿は歪んでいるように見える。額には先程放たれた鎮生の刃が刺さりそこからひび割れるように黒い歪が出来ている。笑っている顔も不気味で恐ろしい。


「耐えられなかったみたいだね…もう既に終わった命だけれど」

「どういう…」

「翔も見たよね。記憶の中長井さんの旦那さんを殺したのは彼女だ。そして全てを奪ったのも彼女だ」

「あの時の記憶って…」

「貴女は神気ではなかったが、彼女が失踪した日からおかしな現象のせいで、神気になったそしてそれが恐ろしかった…。嫌いな人と同じになった気がして、焦った貴女は正士さんと口論になったそして気持ちが溢れた貴女は彼を殺してしまった。水辺に移ったその姿は異形のそれでありもっと恐ろしくなった。そして全て貴女は彼女のせいにしようと考えた。貴女は被害者を演じ全ての責任を彼女に擦り付けたんだ」

「うるさい…うるさい!!」


 顔を覆った本橋の爪は黒く鋭利なものになっていた。腕も黒く変色している。異形化が始まっているのだ。


「羨ましかったのよ。なんであんな奴が幸せになれるのよバケモノの癖に!!だから奪ってやったのよ全部全部奪ってやれば、あのバケモノは死んで居なくなると思ったから。命乞いでもすれば許してやったのにさ!」


 乾いた音が辺りに響く。

 リリィが本橋の頬を叩いたのだ。


「馬鹿なこと言わないで。嫉妬で他人の幸せを奪ってはいけないわ」

「でもっ!」

「そんなことをして、自分の嫌いな人間になって貴女はそれで幸せなの?こうなってしまったら貴女は二度と人間に戻ることは出来ない。一生バケモノとして過ごすのよ。本当にそれいいの?」

「……っ」

「大好きだったんじゃないの?」

「っ!?」

「少し調べさせてもらったの。貴女は長井さんと親友でよく一緒に居たそうね、でもある時から貴女は彼女と遊ぶことをやめた。神気であることが分かったから親や友人から拒まれることが怖かった。…そうでしょう?」

「…そうよ。いくら突き放してもあの子は私を嫌わないでいた…でも私はあの子を裏切った…ごめんなさい、ごめんなさい」

「詳しい話は本部で聞くから」


 手招きされた衛は部下と共に、本橋を連行した。落ち着きを取り戻したのか彼女の姿は元に戻り、額の傷は消えていた。


「ゴホゴホッ」

「鎮生、しっかり」


 急に咳き込み始め口を押えた鎮生の掌からは血が零れる。

 慌てる翔の肩をリリィが軽く叩き落ち着かせる、これは力の代償だとその後初めて知ることになった。

 太陽が崩れ落ちる鎮生を抱え、小羽が先導する車に向かう。

 カラス本部に着いた途端、出迎えた撫子と春嘉によって鎮生は診療所へと消えていきそれに付き添って太陽も居なくなった。

 診察室で残された二人はただ待つしかできない。


「大丈夫でしょうか…」

「人のこと言えないでしょう」

「え?どういうことですか」

「はぁ…貴方自分の怪我の具合も把握できないの?…痛み感じてない訳じゃないわよね」

「あ…言われてみれば、ちょっと痛いかもしれない…」

「馬鹿ね。痛みがなければ際限がなくなるわ嫌でも感じていなさい忘れないで」

「…はい、すみません」

「責めているんじゃないのよ。ただ、痛みの分からない奴の戦い方は無鉄砲で嫌いなの」


 まるで、誰かに向ける言葉ようで翔はただ黙ってリリィの応急処置を受ける。

 ここに来てから、治療を受けることは多々あったがここまで大掛かりな出来事は初めてで自然と不安の色が滲む表情にリリィは溜息を吐き、椅子に座る翔と目線を合わせるように対面する位置に座る。


「くーちゃんは、治癒の力が効かないの」

「それって」

「魔術の治癒も、神気である撫子お姉さまの治癒もただ進行を遅らせるだけ傷を塞ぐにも、他の人の倍の時間がかかる。まるで拒むかのように弾かれる時もある。無意識なんだと思う、でも望んでいないのよ。あの子はきっと…のよ」

「死ぬために…」


 その後、駆け付けたギルバートによって、治癒の魔法をかけてもらい翔の傷は全て塞がった。そのまま春嘉に呼ばれギルバートは治療室に入っていく。

 特にやることも無く、ただ帰りを待つようにロビーで座っていた翔を見かねたリリィは、帰るように促した。

 きっと今日の出来事はニュースになっているから家に帰って家族を安心させてあげなさいという指示に従い、翔は制服から私服に着替えリリィに挨拶をして本部を出た。

 本部を出て、電車に乗る際に携帯端末を見ると着信が二件入っていた。

 母親と学校からだった。

 学校にはメールで返信をし、母親には電車を降りてから家に向かう道すがら電話を掛けた。

 母の声に自然と声が震える。それを誤魔化すように少し大袈裟に声を発して誤魔化した。


「おかりなさい。翔」

「ただいま。母さん」

「…翔?どうしたの、どこか痛いの?翔」

「……っ」

「どうしちゃったのよ、大丈夫。翔、泣かないの」

「泣いてない」

「あらーじゃあそれは一体何かしらね」

「…汗」

「そう?じゃあさきにお風呂入ってきなさい」

「…うん」


 玄関の扉の前には母が翔の帰りを待っていた。きっとニュースを見てとても不安にさせただろう。少し焦ったようにそれでいて翔の顔を見て酷く安心した表情を見せるものだから翔の瞳が揺らいで零れる思いが止まらなかった。この年で母親に泣きつく訳にもいかず見栄を張ってしまったがそれもバレバレである。

 夜のニュースで実際に目にした全貌は、顔までは見えないが制服を見れば分かるだろう。悲惨な状態になった地面や現場を忙しなく走り回る作業員とガーディアンの面々。膜のように包まれた時の辺りの均衡状態は繰り返し放送されていたようでネットにもその映像や写真が出回っていた。

 その翌日には、その全てがネットからも消えていた。

 そして、昨日の騒動の発端である人物である本橋砂希が取り調べ中に自殺したというニュースが流れ、ソファでそれを聞いていた翔は足元で遊んでいた幼い弟を抱き上げ抱きしめた。


「母さん」

「なに?」

「人は何の為に生きているんだろう」

「なに、哲学?」

「そうじゃなくて…こう、漠然としたさ」

「…生きるために、幸せになる為、かな?」

「……」

「だって、わざわざ不幸になる為に生まれてくる子なんていない。死ぬために生きるなんて勿体ないでしょ」

「そう、だよね」

「そんなこと言っている暇があるのー?」

「あ、やば!電車乗り遅れる、行ってきます!」

「行ってらっしゃい。ホント、お兄ちゃんは朝から騒がしいわー。ね、そら


 翔は抱えていた弟のそらを母に託すと床に置いていた荷物を引き上げ忙しなく外に飛び出していった。天は何も分かっていないのかただニコニコと笑っているだけだ。

 翔は気分が晴れたように、走る。

 空もまた雲一つなく晴れている、その日はとても清々しい朝だった。










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