第6話

 闇が空を覆うその隙間から星々が光り輝く。都会の空では珍しく綺麗な星空だ。

 暢気に天体観測をしていた翔と鎮生は、周りを偵察していた太陽に呼び寄せられ示す先を見る。その先には、大きな公園だった。

 中央には大きな川が流れそれを囲むように煉瓦張りの通路、そして左右に行き来出来る大きな橋が経っている。ここは昼間多くの人で賑わう。ランニングをする人、動物の散歩をする人子連れや老夫婦など様々だ。自然も豊かで見晴らしのいいカフェが常に人を連ねている。

 そんな場所もこんな夜更けには人がほぼいない。街頭が微かな頼りで足元が覚束ないくらい暗い。

 煉瓦張りの道を歩き奥へ進む。微かな臭気に思わず眉を顰める。


「見てみな」

「これが、瘴気」

「そう。下手に触らないように。気が狂って人間じゃなくなるよ」

「話には聞いてたけど…酷い臭いですね」


 瘴気と呼ばれるそれは草木に絡まるように粘着性のある液体を垂れ下げている。その周りに立ち込める何かが腐ったような酷い臭いは感覚を麻痺させるようで不快だった。

 瘴気は発見次第規制線を張り、民間人の侵入を禁じる。そうしなければこれは有毒ガスと同じで人の心を狂わせ、被害者が出る。過去に何度かそういった事例で罪のない人が犠牲になった。その為、早期対応が望まれる。

 太陽は手慣れたように、瘴気の周りに水のような何かを撒き散らす。すると蒸気の音と共に瘴気は次第に消えていった。


「さて、少しこの辺りを見てみようかぁ。二手に分かれたほうが楽かな…翔、鎮生と一緒に行動して。ボクは上から行くから」

「う、上?」

「そう。上」


 上と言われ指さす方を見るがそこには何もないただの空間だ。

 戸惑う翔を他所に太陽は背を向けたまま歩き出してしまい、鎮生と共に反対方向を歩く。鎮生が少し歩いたところで立ち止まる。瘴気だ。

 浄化に移ろうと踏み出した翔の袖を引かれ思わず立ち止まる。


「駄目。止まって」

「なん…っ」

「瘴気は、神気や人だけじゃなくて自然界全てに影響する」

「あれって一体」

「人と何か…混ざってる」


 冷静に隣で分析する鎮生は、数メートル離れた位置にいる人の姿をしたナニカと対峙する。異様な空気が肌に張り付く。様子が明らかにおかしい。

 何かを食べているような咀嚼音が響く、その音が酷く不快で仕方がない。

 嫌な予感がする。暗闇の切れ間から照らす光がその姿を暴くと同時にそのナニカがこちらに飛び付いてきた。

 翔は咄嗟に目の前で腕を交差させ身構えるが一向に痛みや衝撃は無く目を開ける。

 赤い雫が宙を舞う。眼前で口を開けて今にも食らい付こうとする生き物がそのまま崩れ落ちた。

 顔面には一本線が入り、皮膚が裂けている。

 動かなくなったソレに鎮生は容赦なく浄化の水を掛ける。酷い臭いだ。


「可哀想に」

「なんですか…それ」

「野鼠だろうね。意識の同化かな…仕方がないけど同情してしまうね」

「もしかして…それをさっき食べて…っ」

「……大丈夫?」

「…はい」


 急激な吐き気に口を押える。倒れている人の口には血が付いていて想像しただけでもゾッとする。


「一旦合流しようか」


 鎮生が携帯する端末で太陽を呼び出す。

 数分後、本当に上にいたのか上空から太陽が降ってきた。


「こっちもか」

「こっちも?」

「んー?いや、まだかわいいほうだけど。ここ通り道なのかな」


 太陽は現場の惨状を見渡し呟く。

 無残な姿になった、野鼠を持ち上げたかと思うと、それを眠る人間の傍に近づける。その瞬間眠っていたはずの人間が飛び起き、目の形その他外見が見る見るうちに変わっていく。


「最近多いんだよね。突然変異」

「…っ?!」


 翔は思わず後ろに数歩後退る。鎮生も驚いたように目を見開いている。

 そんな中、太陽だけはそんなこと微塵も気にしていないように続ける。目の前のモノを弄ぶかのようにただ立っている。


「これ、欲しい?」

「ホ…シイ」

「そう。いいよあげる」

「ヨこセ…!」

「上手く呑み込みなよ」

「!」


 手に持った野鼠の死骸を相手の口に押し込むと、嫌な笑みを浮かべその口を押えるように掴んだ瞬間、光が散る。

 強い光に目が開けられず、世界が白む。

 肌に生温かい感触を覚えそれを拭う、手の甲に付着した液体は赤く、黒い。臭気と鉄の匂いが辺りを占める。

 呆然と立ち尽くすしかない翔の隣で鎮生が溜息を吐いた。


「どうするつもり」

「清掃員呼ぶしかないなぁ」

「そうじゃない」

「はは、大丈夫。どうせ夜明けには朽ちるからここで終わらせてあげたほうがこの子の為でしょ」

「…身分の証明の仕様がないのに…」


 珍しく呆れたような鎮生の声は、この惨状を物語る。

 血塗れで佇む太陽の周りには、鉄と臭気そして所々にナニカの破片だ。

 飛びそうな意識と込み上げる吐き気に身動きが出来ない翔は、ぐちゃぐちゃになった心をどうにか落ち着かせる。

 血溜まりの中で無邪気な笑みを浮かべる太陽の姿は恐ろしく、震えを抱かせる。

 何故、この状況下で笑っていられるのだろうか。その疑問は答えを得ることなく空に消えた。


「やってくれましたね…狼谷戦闘員…」

「ごめん」

「素直なのはいいことです。ですが、これでは遺族に何と言えば…」

「自業自得?」

「太陽」

「いいです。それはもうこちらでどうにかします」


 駆け付けた清掃員と、ガーディアンの衛は現場を見て唖然としている。

 その様はまるで悪戯をした子供を叱る大人のようで、翔はその光景を呆然と見つめる。

 瘴気の影響で汚染された水は濁り、草木は枯れ、復旧に時間がかかるので公園は一時封鎖された。


「それで、何か掴めましたか」

「いや何も」

「そうですか」

「そっちはなにかあった?」

「新たな証言です。これは被害者の奥さんの同僚の方から聞いた話です」


 特殊清掃用の車に備え付けられてあるシャワー室を借りた三人は、椅子に座り衛の手から資料を渡される。


「妻の長井智子ながいともこさんのことについてですが、死去したという話を知らなかったそうです。ずっと連絡を取っていたそうで…ですが、夫である正士まさしさんが亡くなった日に連絡が取れず心配していたそうです。そして今回捜査で事の事情を知ったという形です。結婚と同時に会社を辞め。そして死去という名の失踪の前日妊娠が発覚したそうです。とても嬉しそうに話していたと言います」

「これ、昼ドラか何か?」

「フィクションであれば良かったのですけれどね。そして、その姿を見たという目撃情報も入手しました」

「…殺害現場に居た?」

「ええ。ですが我々が到着した時点でその姿は無く、目撃したという人は正士さんの同僚で智子さんとも面識があった方です。追いかけたが人混みの中でいつの間にか見失った…との事です」

「気配が残っているなら辿れるけど」

「瘴気の気配を残すのは危険です。既に現場は浄化済みですがご希望であればご案内します」


 現場に居たという事実が本当なら、瘴気や何かが残っているはずだがそれはすでに浄化済みであることは重々承知で現場に向かう。

 現場に戻ったなら、そこに何度か足を運ぶ可能性もあり得るからだ。


「でも、それが本当ならどうして現場に…?」

「犯人は現場に戻るって言うでしょ」

「そうでしょうか…俺だったら怖くて戻れないですよ」

「臆病だねぇ」


 だが、翔の言うことも一理ある。死亡ではなく失踪したということならわざわざ現場に戻り人目に自身の姿を残す真似はしない。

 それでは、自身がやりましたと言わんばかりの行動である。

 公園から離れた河川敷にはまだ、規制線が張られ一般人の立ち入りは禁じられている。その傍には献花が置かれ凄惨な現場を彷彿とさせる。

 四人は現場に足を踏み入れる。

 何か視線を感じ翔は振り返る、辺りを見回しても見当たらない。


「視られてるなぁ」

「そうですね。神気でしょうか」

「どうだろう、人間の気配もするけど…。二ついる」

「犯人は二人?」

「どうだろうね」


 太陽は規制線を潜ると中に入る。焦げたような場所は草木が朽ちている。

 衛の話によるとそこに遺体があり、朽ちている個所は血痕の残った個所だという、恐らく瘴気が移り血に混ざったのだろう。

 しゃがみ込みその草木に触れようと手を伸ばした。その時、目の前で火花が散る。


「狼谷戦闘員!」

「シー…声が大きい、平気だよ」

「石?」

「鎮生、おいで」

「その石、捨てて」

「衛、袋頂戴」

「太陽、石を今すぐ捨てて」

「分かった。大丈夫だから怖い顔しないで」


 慌てた様子で衛は太陽に袋を渡す。その中に転がってきた石を入れる。

 すると石は見る見るうちに形を変え液体に変わる。途端に臭気が溢れる。

 鎮生が嫌な顔をした理由はこれだ、ただの石ではない瘴気が染みたそれは当たっていれば惨事になっただろう。

 余程触れられたくないのか果たしてー。


「太陽」

「…分かったから」

「狼谷先輩、それっ」

「大袈裟だよ」


 怒気を含んだ声が太陽を咎める。掴まれた腕は先程まで石を持っていたほうだ、諦めたように握り込んでいた手を開くとその手に嵌めていた手袋が破け血が滲んでいる。

 体の変化がないのが幸いだが、瘴気に触れれば人は正気を保てない。

 すぐに鎮生が持っていた浄化の瓶で焼けた個所を洗う。痛みを感じていないような仕草に翔のほうが怖くなる。


「狼谷戦闘員。念の為ではありますがすぐに診てもらった方がいいでしょう。任務は中止です」

「はぁ…大袈裟だな」

「藤堂君の前ですよ」

「はいはい。仰せのままにー」


 衛が小声で囁くと、太陽は気分を害したように舌打ちをし、車に戻っていく。

 その後、太陽は診療所で撫子から治療を受け大事ないということで事なきを得た。

 いつの間にか姿がなかった鎮生は、その後の見回りの任務にも参加しなかった。そして太陽の機嫌が直らない為か春嘉は二人を任務から外した。

 そして、それから二日後事件は起きた。


「あれ、私達じゃ無理よ」

「レベルが超えています。オレと先輩じゃ翔をサポートしつつの戦闘は難しいです」

「連携が難しいのか?」

「違うわ、障害電波かなにか知らないけれど通信機に変な悲鳴が入るのよ。だから指示が回らない、タイミングがズレるから危うく翔を殺しかけたわ」

「それはやめてくれ…。参ったな」


 春嘉は頭を抱える。リリィとギルバート以外で現段階では翔を任せられる者がいない。太陽と鎮生はいまだ朝礼にも姿を見せない、呼び出すことは簡単だが太陽の方は扱いが難しい、下手に機嫌を損ねると面倒なのだ。

 そして今回の事件は、引き続きあの夫婦の事件だ。進展と言えばそうなのだろう、被害者の女性である、本橋砂希もとはしさきが実際に怪我をしたのだ。何者かに追いかけられ、焦った彼女は赤信号の道路に飛び出した。護衛に付いていた警備隊により軽症で済んだが酷く憔悴した様子で、本橋の家族から早急な解決をと苦情が入った。

 人為的なことならその者を捕まえれば容易いがそうもいかない。

 ようやく姿を現したかと思えば、その姿は黒く濁り人の形しか保てておらず素性を知ることは出来ない。敵意は無く、近づけば悲鳴なような金切り声が響き連携が取れない。意識を乱されるのであっては迂闊に近づけもしない。

 微かに聞こえる声は気味悪く掠れているが、証言の通り「かえして」という。

 彼女が傍にいると大きくなる声に、守りながらの戦闘は気を散らす。


「人を守りながらなんて、私には無理!出来ない!」

「先輩、落ち着いて…」


 嫌々と子供のように喚くリリィの腕には至る所に切り傷の痕が残り、今日に至っては髪が切れたのか左右でバランスが悪くなっている。女の子にとって命とも言うべきそれは可哀想なほどにバラバラでリリィはいまにも泣き出しそうだ。慰めるギルバートも至る所に傷を作っている。このままでは二人の精神が持たない。

 ここまで苦しむことはいままで一度も無かった。二人が弱いのではない、相手が未知なのだ。ガーディアンも手を困らせており最近報告にきた衛は見るからに徹夜明けで同行した小羽も同様に顔色が優れなかった。

 今回の事件と同様に変異体も目撃されている。野犬や野鳥、植物が異常状態に陥り人や公共施設に悪影響を及ぼしている。これに関して、カラスも調査をしているが進展はなく人手を分けるにしても実力に差があるので分担が難しい。

 外部支援であるギルバートも情報収集で何日も本部を離れる。春嘉が向かえば良いのだが、上層戦闘員である彼は国からの要請で動けない。総隊長は常に多忙で不在だ。

 益々頭を抱える。


「もういい。いまは休め」


 目の前で喚くリリィの精神状態を心配し、春嘉は二人を任務から外すことにした。

 夜も更け始めている。翔は今日も一人訓練場に籠っていることを知っていた彼は部屋を出ると地下にある訓練場に向かう。

 階段を下りていくと何かが弾ける音と共に金属の鈍い音が響く。下までは行かず数段上で翔の様子を見る。すると目を疑う光景を飛び込んできた。

 それは、翔と鎮生そして遠目で太陽が指示をしている姿だった。


「遅い!切り替え早くしないと自分が死ぬんだよ」

「はい!」

「ちゃんと鎮生の声聞いて。目だけで追うな、音も聞いて!」

「ーっ」

「距離感意識して!気を散らすな、集中しろ!」

「はい!」


 鎮生の生成した結晶を避け、時に切り捨て、自身の持つ力で跳ね返し溶かす。サポートである鎮生の声を通信機で聞き取りつつ指示通りに切り伏せる。大小様々な結晶は黒と紫の混ざった色が鈍く輝く、切り伏せた瞬間に散った破片は肌に付着すれば低温火傷を引き起こす可能性がある。その為、彼自身の力である「火」が頼りだ。

 翔には珍しく二つの力が身に宿っている、「火」と「地」だ。出雲の見解で気付いたそれは扱いに慣れれば大きな助けになる。だが、それと同時に身に余る力は自身を喰らい災厄を招く。なので、訓練は毎度のことながら朝方まで続いていた。

 最初の頃は出雲直々に指導をしていたが、最近は鎮生や太陽が指導していたようだ。

 長らく見つめていたその時、空間の温度が上昇する。

 まずいと思い、春嘉が立ち上がる。


「そこまで!」

「……春嘉」

「夢中になり過ぎだ」

「久我隊長、お疲れ様です」

「あぁ、お疲れさん。太陽いいか」

「うん」


 駆け寄った翔の瞳が炎のように揺らぎ、薄く頬に血管のような模様が浮かんでいる。

 自身よりも背の高い彼だが、まるで子犬ようで愛らしく見え思わず労いも込めて頭を撫でてやる。

 顔色を窺うように呼び寄せた春嘉は、二人から離れた位置で太陽と話をする。


「気付いてたろ」

「当たり前でしょ、それにボクが気を散らせば翔は動揺する」

「流石だな」

「で、話って何」

「もう一度、任務に付けるか」

「なにそれ、命令すればいいでしょ。隊長さん」

「俺は、命令って形でお前らを縛りたくないんだよ。頼みたい、いけるか」

「どーしよっかな」

「おい…」

「考えとく。それよりも、人足りていないならそっちに入ろうか」

「なんだ。乗り気だな」

「気分がいいからね」

「分かった。状況を見て判断する」


 話をしながら向ける視線の先には、翔と鎮生がいる。鎮生の表情は変わらず微笑みを湛え、翔の上気した頬は赤く目元には赤い液体が溜まっているのを見て取ったのか小さな結晶を渡していた。


「使い物にならない訳じゃない。けど加減を間違えれば持っていかれる」

「……」

「一つの力でさえ危ういのに、二つともなると体にかかる負荷が大きすぎる。爆弾抱えてるのと同じことだよ」


 太陽の言う言葉が重く張り詰めているように感じる。間近で見、感じるその力の強さに危機感を示すのは珍しい事だ。

 彼がコントロールできたとしても心を力に呑まれれば…と考えるだけでも恐ろしい。それを出雲はそれを見過ごさなかった、手元に置いてどうするつもりなのか春嘉にも見当はつかない。

 無邪気に笑うその姿が陰るのは避けたいなと心が痛む。

 春嘉は、太陽に目配せし訓練場を出た。

 翌日の夕方、戦闘員全員が総隊長室に呼ばれる。


「異論はあるか?」

「本当に大丈夫なの?この編成…確かに、変異体も大事だけど」


 リリィの不安は最もだろう。

 新たに編成されたペアは、異色と言ってもいい。

 事件の解決に向かうのは、鎮生と翔。変異体の対処に向かうのは、リリィと太陽だ。

 普段、太陽と鎮生は常に一緒にいる相棒で、この二人の連携は引けを取らない。それを分断したことは双方に少なからず不安は残る。しかも鎮生はサポートだ、前線にはここ二、三年まともに出ていない。近接よりも遠距離攻撃に秀でているのが彼だ。

 まだ課題を多く残す新人と組むというのは、誰もが疑問を抱くだろうがこれを決めた時鎮生は了承した。

 ならば賭けるしかない。もし何かあれば、リリィと太陽を向かわせればいい。全員で掛かれば倒せない相手ではない。


「正直俺は、リリィと太陽の方が不安だがな?喧嘩するなよ」

「それはリリィ次第でしょ」

「かーくんに言われたくないんだけど」

「だから、喧嘩すんなって」


 先行きが不安なのはやはりこちらなのかもしれないと思う春嘉だった。




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