第5話

 その日佐藤小羽はとても緊張していた。心臓が軋む感覚がするくらいで、隣に座る小羽の所属するガーディアンの先輩である日向衛ひゅうがまもるが、心配そうな面持ちで数分おきに確認をするくらい表情が酷く歪んでいる。焦っているのか、困っているのか、分からない表情は衛を困惑させる。


「小羽。次で降りるよ」

「はい…」


 いまいる場所は電車の中で、多くの人が利用している。

 電車の電光パネルに映し出される文字は、これから訪問する場所の最寄り駅で小羽と衛は電車が停車した時、降りる人達と共にその地に踏み込む。

 人は疎らでどこか古びた印象の受けるその駅を出ると、すぐにあるバス停に留まるバスに乗り込んだ。終点の一つ手前で二人は降りる、そこから少し歩いた先にある大きな建物が今回の目的地だった。

 あぁ着いてしまったと嘆く小羽を知らずに、衛は先を進んでいく。置いていかれないように高鳴る心臓を抑え込みその建物に踏み込む。


「大丈夫か」

「お呼び建てをして申し訳ありません…連れの体調が優れないようでして」

「いや、俺は構わないが…立っていられないくらいならすぐ先に診療所がある診てもらうか?それか先生を呼ぶが」

「い、いえ…結構です。ちょっと緊張で足が震えてしまって」

「おいおい…」


 情けないと自身でも思う。先入観が小羽の心を邪魔しているのだ、同級生の所属する職場は、あまりいい噂を聞いたことがない。説明会の時に感じた恐れもあってかどうしても恐怖感を拭えないのだ。失礼なことだとは分かっているがこればっかりは仕方がない事である。

 二人が辿り着いたそこは、特殊戦闘部隊カラスの本部であり今はロビーにある椅子に腰かけている。

 緊張で強張った顔はどう見ても調子が悪そうで衛は、ロビーの受付でここの隊長である春嘉を呼び出すことにしたのだ。作業員に呼ばれ、部屋へ通すように言った春嘉だったが、次いで聞いた言葉に驚きつつロビーに向かう。そこにはいつものように伝達の為に訪れたのであろう衛と、説明会で一度会ったきりだった小羽が居た。

 どうしたのか、と聞くと緊張で今にも倒れそうな小羽を連れて奥に進むことが出来ないという事だったので、少々頭を抱える春嘉だった。


「まぁ、仕方がないか。別に取って食おうって訳じゃない。安心しろ、お前に危害を加えようって奴は一人もいない。いまは戦闘員全員出払っていて逆に好都合だぞ」

「冗談がお上手ですね…久我隊長は、我々のことを試しておいでですか」

「緊張を解そうとしたんだが、駄目だったか」

「佐藤は非戦闘員です。貴方の寝首を掻くほどの力はありません。そもそも僕でも貴方に太刀打ちできないでしょう」

「そうか?…衛、この話詳しく聞きたい。すまないが奥で話そう。佐藤、駄目そうか」

「い、いえ!行きます。仕事ですから」


 優しそうな春嘉の表情と、警戒心の無い衛の姿や話し方に緊張感が薄れた今なら大丈夫だと自分を叱咤する。少々恐れを抱きつつも奥の方へ歩き出す。

 ガーディアン本部にもあるような改札を通り、中へと進んでいく。

 小羽ももう一般の学生ではなくガーディアン所属のメンバーだ。毎回ビクビクしていては呆れられてしまう。しっかりしなくてはと頬を叩く、折角任せてくれた大事な仕事だずっと本部で事務仕事をするよりは良いと思い衛に付いてきた。

 改札を通って廊下を渡る、植物が顔を見せて花が咲き自然と心が洗われる感覚になる。

 廊下を抜けた先は大広間で、翔に聞いていた通り綺麗な場所だと感心する。いつの間にか緊張なんてどこ吹く風のように小羽は目を輝かせ辺りを見回す。


「佐藤、こっちだ」

「すみません!」

「気に入ったか」

「はい!とても素敵な場所ですね、翔が羨ましいかも…」

「小羽は正直だね」

「すみません!違うんです、ガーディアン本部が決して嫌なわけじゃ…」

「あはは、違うよ責めてない。少し揶揄っただけだよ」

「仲が良いな」

「そうでしょうか。でも、後輩が出来ることは嬉しい事ですより賑やかになりますしね。久我隊長もそうでしょう?」

「そうだなー。うちも最近はうるさいくらい賑やかだな」


 階段を上りながら交わされる会話に少々和む。先程まで真剣な表情で最近街中で発生している事件や、現在の情勢などで小羽にとってはまだ難しく集中して聞いていることが出来ないからだ。

 奥へ奥へと進むと、執務室に通される。中に物は多くなく大きな机とその前にも長い机対面するようにソファーが二つ並んでいる。そのソファーに腰を下ろしすぐに話が始まった。


「さて、この記述に関して詳しく聞かせてくれるか」

「はい。最近中央区辺りで頻繁に目撃情報が出ている瘴気についてですが、今のところ民家に被害は出ていません。昼間の見回りの時点では浄化作業も滞りなく進み、終了後に再度確認見回りを行い、消滅を確認しています。ですが、夜間に同じ場所だけでなくそこから数メートル先の民家の裏手に少量ですが瘴気を確認通報が来ています。そして時々変な物音が聞こえると、通報がありました」

「瘴気に中てられたか…」

「恐らくは…そして恐れていた出来事が昨日、被害者が出ました」

「民家裏の河川敷か…」

「はい。すでに現場は警備隊によって封鎖、辺りの調査も始まっています。ですが、遺体の損傷が激しく、捜査レベルを引き上げたことによって我々の管轄から外れてしまうことになり、カラスへ依頼を出すことになりました。その資料が…」

「これか。酷いな、刃物のような…だがこれは」

「ええ。損傷部分からの少量の瘴気、被害者の傷口は一般的な刃物では出来ない大きなまるで爪のようなもので肩口から心臓を通り、右脇腹を抉るように引き裂かれていました。他に目立った外傷も見られず即死ですね」


 春嘉の手には先程渡された資料があり、数枚に渡り細かく事件について書かれている。被害者の写真、そして被害者に関する情報だ。

 昨日の出来事であるというのに一晩でここまでの情報を調べ上げる彼の腕はやはり優れていると言える。ただ事実だけでなく、事件現場からの徒歩で逃げた場合の逃走経路、車での逃走経路。共犯者の有無の状況などを分けあらゆる可能性を簡単にまとめてその都度報告をしてくれる。

 日向衛は年齢こそ若いが、その才能は優れておりサポートに掛かれば彼の右に出る者はいないだろう。ガーディアンは各才能に分担されている。なので代わりがいない。


「既婚者なのか」

「ええ。ですが、その下にも書かれてあるように複雑な点があります」

「これは…どう言ったらいいんだろうな…」


 春嘉の心底呆れたかのような物言いに衛も賛同するほかはない。

 その事実に関しては背後で話を聞く小羽も同意見だ、小羽はすでに情報を頭の中に叩き込んであるので資料は見ずとも覚えている。

 被害者は、一般男性であり既婚者である。事件発見の同日被害者の住む自宅に行くとそこは既婚者が住まうような場所ではなく、しかもその家から出てきたのは妻でもなく愛人である女だった。不倫をしていたのだ。

 痴情の縺れというのは事件ではよくあることだ。なのでそこに驚きはしないが、その妻とは別居しておりその妻に会いに行こうとしたが母親によればその妻は数年前に死亡しているということだった。

 妻の方の実家はすでに両親ともこの世に居らず、妹はこの国を出てしまって音沙汰なし、捜査は難航していた。念の為、愛人の女に事情聴取をするも何かに怯えた様子で話にならないという。


「何かを知っていることは確かなのですが、小羽を同伴させ話を聞こうとしたのですが」

「何て言われた」

「ただ…呪いだと」


 回答を求められ、小羽は困ったように返す。昨日の夕方小羽はリーダーである七瀬に呼ばれ調査室に顔を出す、そこにいたのは若い女で小羽の三つほど上の女だった歳が近いほうが話もしやすいと部屋に置いて行かれたが、小羽には聴取のやり方など教わったこともない。そもそもサスペンスなども好まない彼女は普段友達の相談事を聞くように恐る恐る問いかけた。だが、すでに何かに怯え焦点の合っていない瞳はうわごとのように同じ言葉を繰り返すのみ。


「ずっと、言うんです。あの人の呪いだって…、きっと彼の心を奪った私が憎んだとだから同じように…今度は私の番だって言うだけで話なんて出来ませんでした」

「実際に会ったことがあるのか、その奥さんと」

「いえ。その時には既に他界していたようで、なのでその可能性はないのですが。ある日からずっと不思議な現象に悩まされていたそうで」

「なんだ、心霊現象だとでもいうのか?」

「それが…彼女はずっと誰かに見られていると警備部に問い合わせていたそうで警備隊も調査をしたそうですが異常は見られず考えすぎなのではという事になり、それからしばらくして次は、目の前に現れるようになったとか…」

「おいおい、本当なのか」

「本当に奥さんだったのか聞いてみたところ、写真と同じ人だったとそのままの姿でと言ってくると言っていました」

「なにを返すんだ?旦那をか?」

「分かりません。問いかけても同じ言葉が返ってくるそうで、そこから女性は男性からの結婚の申し出を断り続けたそうです。そして昨日、男性は事件で死亡しました」

「…災難だな。その女性は今どうしている」

「警備隊数名で護衛をしつつ普段通りの生活をしてもらっています。異変があれば報せるようにと言付けてあります。暫くは危険はないでしょうが…油断はできません」


 二人の報告を聞き、春嘉は黙り込む。何かを思案しているようだったがすぐに顔を上げ分かったと一言呟いた。


「この件はカラスが引き継ぐ。だが、引き続き護衛はそっちで任せたい、頼めるか」

「はい。承知しました、赤里にもそう伝えます」

「なにか証拠を掴めると良いんだが…」

「そうですね。今のところ神気の人間が関連していることは明らかなのですが、関係者が少なく、妹さんに話を聞ければいいのですが」

「今晩から人員を回す。なにか他に言付けはあるか?」

「いえ。ありません」

「ならいい。そろそろ、あいつらも帰ってくるな…」


 あいつらというのは、出払っているという戦闘員たちだろうか。小羽は少し翔の顔が見れればと思っていたので期待する。

 最近は任務が多忙なのか、学校でも顔を合わせることがない。最後に顔を合わせてから一週間以上が経っている元気であるならそれに越したことは無く、ただ顔が見れればそれで良かった。

 そう考えていると、タイミングよく扉がノックされ春嘉が返事をする。なにやら賑やかな声が響く、扉が開き戦闘員の格好をした隊員が入ってきた。その恰好を見て小羽は若干の悲鳴を上げる。

 彼らの格好は見るも無残な状態で赤や紫のペイントのような液体で濡れている。


「何してきたんだ…」

「これ?血ぃ」

「ひぃい」


 太陽の脅かすような声音と瞳が小羽を捉える。身長の高い彼は小羽に覆い被さるように状態を倒すので威圧さも兼ねて効果抜群だ。

 上擦ったような悲鳴が小羽の口から洩れ、思わず衛の服を掴んで後退る。

 それを諫めるように衛は小羽の肩を支え軽く叩く重ねらた手は暖かく、安心感を得られた。


「脅かすな馬鹿。本当に血な訳ないだろう、お前もいちいちビビるな。てかあの写真見たならこんなのどうってことないだろうが…」

「実際に見るのと写真で見るのとでは違います!」


 叫ぶように否定する小羽は顔面蒼白だ。落ち着けるように衛がまぁまぁと背後に隠すように太陽の前に出る。


「おかえりなさい。狼谷戦闘員、ご無沙汰しております」

「居たの衛。珍しいね後輩?」

「はい。佐藤小羽です、佐藤挨拶して」

「よろしくお願いします…」

「はは、怖がられてるー」

「お前が脅かすからだろう」

「狼谷先輩、タオル…って佐藤さん?!」

「翔!」


 隊服を脱ぎ首にはタオルを掛け慌てた様子で駆け付けた翔は小羽を見て驚いたように目を見開いた。小羽は安堵したように声を上げる。

 翔の髪は太陽同様赤や紫で色づいている。何処に任務に行ったらこうなるのだろうかという疑問を抱きつつ元気そうだったので安心する。

 二人に配慮するように、衛と春嘉が時間を割いてくれ小羽と翔は外に出た。廊下から見えていた景色が一望できる。


「心配かけてごめん。訓練とか任務で忙しくて学校にも行けてないんだ」

「そうなんだ。確かに大変そう、でも元気そうで安心した。前に会った時また思い詰めた顔してたから、次は一体何に悩んでるんだろーって思ってた」

「あ、はは。問題解決はしていないけどでもとにかく頑張るって決めたから。それに俺いますっごい楽しいんだよね」

「へぇ…確かに楽しそう!いいなぁ。私は不安だよ」

「どうして」

「だって私には、翔みたいに大きな夢なんてない。ただ立派な人間になれたらなって思ってただけだから…ちょっと不安?なのかもしれない。本当はこの職業に向いてないんじゃないかなって、でも一度決めたことだからやり通さなきゃって思うけど…はぁあ、翔が羨ましいよ」

「そんなことないと思う。俺はガーディアンになれなかった時佐藤さんが羨ましかった、でも今は違う。他人と比べても何にもならないだろう。自分が今すべきことが何かあるはずだって、思って俺もすごく悩んだ。実際何回も挫けそうになった、それでもあの人たちは辞めろとは一言も言わなかった。それが答えだと思う」

「翔…変わったね」

「え?そうかな」

「変わったよすごく。だっていままでの翔はすごく素っ気ないっていうか冷たい感じがしてた。自分一人で全部抱えて背負っていくんだーって感じ。近寄りがたいっていえばいいのかな。けど、いまの翔すごく輝いて見える。かっこいいぞ」

「な、なんだよ…急に」

「うん。なんだか言葉にするとスッキリするね。私も頑張ってみる!負けないんだからね!」

「はは!俺も負けない」


 小羽は翔の前に拳を突き出す。翔は少し驚いたのちその拳に己の拳を合わせる。

 満面の笑みを浮かべる小羽の表情はとても晴れやかで、陽だまりにも似た輝きを感じさせる。

 翔に感じていた心配は、小羽にもあったのだ。翔は小羽がいつも教室に一人居残り勉強をしていたのを知っている。彼女なりに沢山努力し国の情勢や、心理学、ガーディアンの基礎知識を頭に叩き込んでいたのだ。

 同級生たちが煌びやかな放課後を送る間も、一人勉強をしていた。

 それに合わせ、学校の選択授業は戦術を取り体も酷使していたことだろうそんな彼女が立派でないなんて言えない。けれど、ここでそのことを褒めたとして彼女は喜ばない、不安に揺れる瞳を安心させたかった。

 互いに互いを思って出来た友情に救われた気がした。


「ありがとう」

「ん?なにか言った?」

「いや。なにも、そういえば佐藤さん、この後時間ある?」

「特に何も。さっき時間貰ったから暇だよ。というか翔はいつまで私の事、佐藤なんて他人行儀で呼ぶの」

「そうだな…じゃあ、小羽。ご飯を一緒に食べに行かない?ここの食堂の料理はとっても美味しいんだ。」

「うん!早く行こう翔!」


 小羽は、照れたように笑う翔の手を引いて走り出す。よろけそうになった翔だが手を引かれるまま走り出す。

 その様子を遠目で見ていた衛と春嘉はただ黙って顔を合わせるだけだった。


「来たか」

「なぁに、また任務?」

「お前たちに任せたい任務がある。無理はするな安全最優先で任務に当たってほしい」

「うわぁ…酷いねこれ。まぁいいよ」

「鎮生、今回は翔を同行させる。サポート任せたぞ」

「はい。分かりました」


 隊長の前に呼び出されたのは、太陽と鎮生の二人だ。

 この二人は普段、ペアとして任務に当たっており少々の難はあるが相性は抜群だ今回の任務は、既に瘴気に侵された神気の可能性が高い示談交渉は意味を成さないだろうなので、この二人に任せることが適任だと判断した春嘉は二人を呼び出した。

 そして、その任には翔も加わる。一抹の不安は残るがいつまでもふざけた任務ばかりではこの先何があるかは分からない。

 国は今にも終わりを迎えつつある、瘴気に侵されれば救う者もない。


「やっぱり、夜は冷えますね」

「風邪引かないように」

「はい、気を付けます」

「さっさと片付けて帰ろー」


 暢気な声が夜の街に消えていく。

 翔は初の夜間の任務に心躍らせていた。

 黒いカラスの制服は翔の為にカスタマイズされたものだ、小ぶりの刀を腰に差し訓練を続けてきた腕前を発揮する時が来たのだと意気込むその姿は闇夜に消えて行った。




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