第3話

 翌日翔は、いつも通り学校に登校していた。この学校は特殊で進路が決まった学生はその時点で自由登校になる。学校に登校し授業を受けるも良し、訓練場で体を鍛えるも良し、図書館で調べもの、気まぐれに登校なんていうことも許される。

 そんな中、自身の所属する特殊戦闘部隊カラスから今朝届いた連絡事項には、学校が終わり次第本部に集合、という簡素なもので特に予定も無かった翔は普段通り学校に登校することにした。

 昨日はギルバートに自宅まで車で送ってもらい、そのまま帰宅すると思った彼は、母親に事情説明も兼ねて挨拶がしたいと言われ彼を自宅に上げた。ギルバートは少し申し訳なさそうにしていたが、これも仕事なんだとぼやく姿に苦笑交じりに肩を落とす。戦闘員でないと言う彼だが実は意外な役目を担っているのだなとぼんやりと思う。特に問題は無いと言うと、目尻を下げ礼を言われた。自宅には既に母が帰宅しており、ギルバートの姿を見て驚いたようだがすぐに察した様子で彼を中に招くが彼は玄関先で十分だと断り、母に封筒に入った手紙を渡し早々に去っていった。


「なにそれ」

「案内状みたいなものよ。住所と連絡先ね、意外としっかりしてるのねー」

「ふぅん…」

「はい。こっちは提出するものみたいよ、忘れずに持って行きなさいね」

「うん。ありがとう」

「どんな結果であれ、アンタが満足しているなら母さんは何も言わないわ。しっかりやるのよ、人の命が掛かってるんだからね」

「うん。分かってるよ」

「それならいいの。さて、ご飯にしましょう、今日はご馳走よ」


 母はいつも翔の将来に関して何も言わない、それを奔放だと言う者もいるがそれが母なりの翔に対する優しさだという事を知っている。

 だから、翔は母に苦労を掛けさせることはしたくないのだ。まだ幼い弟もいる翔は藤堂家の長男として立派になると決めていた。父を早くに亡くし、それと同時に小さな弟が養子として迎え入れられ、その数か月後翔は神気になった。それだけでなく一向に成長しない弟を心配した母は神気専門の病院に弟を連れて行ったところ生まれついて神気の可能性があると言われ、もう既に母の気苦労は絶えないだろうなのに女手一つで育てられた翔は、生意気かもしれないがそれなりに責任感は感じている。

 なので、今回の早期による就職は母の負担が減らせるいい機会でもあったので、いろいろと後悔はあるものの翔は満足しているのだ。


 翔は教室で、昨日あった出来事を途中で別れたガーディアン所属の佐藤小羽さとうこはねと話し合う。


「へぇー。そんなことがあったんだ」

「そう。結構疲れたかな…緊張で」

「でも、安心した。翔なんだか吹っ切れた顔してる」

「うん。良かったと思う、頑張ってみようって思えたし。そういう佐藤さんはあの後どうだった?」

「私のところは、人が少なかった…かな。最小人数に抑えて私も含めてメンバーは四人しかいない。基本的に地味な仕事ばかりだからそんなに人数は要らないかな部下は沢山いるけどねって言われた…どういう意味なんだろう」

「作業員ってことじゃないか?」

「うーん…どうなんだろう。なんだか不気味で近寄りがたいっていうか…」


 なんだか言い切れないような小羽は、うんうん唸っている。

 すると、廊下が何やら騒がしい事に気付くその騒めきが次第に大きくなってきて近づいてきたと思った瞬間、教室の扉が開く。丁度扉の方に体を向けていた小羽が顔を上げる。


「…綺麗な人」

「え、リリィさん?!」

「見つけた、翔」


 先程まで辺りを伺うように頭を振って何やら探す様子をしていたその人物は、翔の姿を確認すると断りもなしに教室内に入り翔の傍に駆け寄る。

 ふわりと揺れる髪から溢れる花のような香りと、誰もを魅了するようなスタイルの良さは隊服の下に見えるタイトなワンピースがより際立出せる。大人っぽくも可憐さを残すその姿に皆視線を奪われている。肩に羽織る隊服は黒にシルバーの装飾が施され腕章にはカラスの紋、特殊戦闘部隊カラスの戦闘員であるリリィが眼前で翔を見下ろす。


「どうしてここに」


 動揺を隠しきれない翔は、立ち上がると一礼する。

 それを意に介していない様子でリリィは言葉を紡ぐ。


「偶然近くで任務だったの。丁度いい時間だから翔を迎えに行くついでに学校の様子でも見ていこうかしらって思って。翔がいないなら適当に見て帰るつもりだったけど、丁度いいわ。案内して頂戴」

「校内を、ですか」

「それ以外に何があるって言うの? 貴女も、付いてきなさい」

「え、私!?」

「そう。貴女、名前は」

「佐藤小羽…です」

「小羽可愛らしくていい名前ね、気に入ったわ。ガーディアンの新人ちゃん」

「私を、知っているんですか?」

「当たり前でしょ。機関は違うけれど政府の特殊部隊の子よ。それに滅多にいない女の子って聞いてどんな子か気になっていたの。仲良くして頂戴ね」

「い、いえ…こちらこそ」


 小羽の手を取りリリィは微笑む。その姿に小羽はすっかり虜になってしまったのか照れたように頬を染め俯き加減で彼女を見ては小さく笑っている。

 一人置いて行かれたような気持ちで佇む翔は、暫くガールズトークに花を咲かせる二人についていく。

 校内ですれ違う生徒は皆、リリィを物珍し気で見つめる。

 だが、なぜ彼女は一人ここに来たのだろうか、ただの物見で来たのだとしてもその恰好は目立つというのに。


「そんなに不安にならなくても何もしないわ。本当に気になっただけよ」

「いや、そういう訳では…」

「ちゃんと、通行証を提示して入れてもらったし。何も悪いことしてないわ…あ、もしかして血がついていたりする?うそ、確認したのに」

「大丈夫です!付いていません!とっても素敵です」

「小羽は素直でかわいい子ね益々気に入っちゃった」

「私もリリィさんみたいな先輩がいたらなぁ」

「あそこは面倒な男しかいないものね。機会があればいつだって会えるわその時は沢山お話ししましょう、愚痴だって聞いてあげる」

「そんなこと言っていいんですか…」


 翔の不安を他所に、リリィはいいの誰も聞いていないと意地悪く笑って見せる。

 何故だか頭が痛いような気さえして、翔は黙って二人に付いていくことにした、暫く校内を練り歩き、時々戦術訓練に飛び入りで参加したり誰も居ない旧校舎に入ろうとして見回りの教師に咎められたりとちょっとした冒険気分を味わった。こうしてじっくりと校舎を見て回るのは転校したての頃くらいだ。転校してからは神気の性質やその力の抑制で目まぐるしい日々を送っていた。

 この校舎は広く、中高一貫校であるが故か校舎が三つある。中等部と高等部で別れているが、高等部は昔立て直されていて翔たちはその新校舎で学業に勤しんでいる。

 いまだに旧校舎は当時そのままで残され生徒の立ち入りは禁止されている。

 リリィはその校舎を訝しむように見上げ、満足したのか何処かに連絡をし始める。


「ギル?迎えに来てくれないかしら。ええ、そうよ、翔もいるわ。あとガーディアンの子が一人いるのついでに送ってあげて。着いたら連絡して」

「ギルが来てくれるんですか」

「ええ。丁度彼と任務に行っていたの。後始末が終わったみたいだったからすぐ迎えに来てくれるわ。先に門の前に行っているから二人も早く来るのよ」


 そう言い残しリリィは二人を置いて校舎を出て行った。残された翔と小羽は顔を合わせ困惑の表情を見せる。


「私もいいのかな。丁度本部に顔を出す予定ではあったからすごく嬉しいけれど」

「いいんじゃないかな…ギルも優しい人だから」

「そうだといいけど…」


 不安な気持ちを隠しきれないのも仕方がないだろう。何せ、昨日の説明会の場で二つの隊を率いる者同士の不仲さを目の当たりにしているのだ。カラスはガーディアンをよく思っていないという認識に繋がりかねない。例え彼女に良く接してくれていようとも他人の腹の底は到底知ることは出来ない。

 二人はとりあえず荷物を取りに教室に戻る。選択授業が多いので教室は既にもぬけの殻のような状態で生徒は居なかった。詰め寄られるよりましだろうと一つ溜息を吐いた。


「来たわね」

「お疲れさん。初めましてかな、オレはギルバートだ。よろしく佐藤さん」

「よろしくお願いします。すみません、私まで…」

「いいんだ。気にしないでくれ先輩が迷惑を掛けたみたいだしな、これはお詫びだ。本部まで送るよ」

「なによ、人を厄介者扱いするなんて失礼だわ!」

「先輩が勝手にフラフラどこかに行くからでしょう。余計な混乱は避けてくださいよ、後始末するのオレなんですから」


 ギルバートの困った顔を見ることもせず、リリィは先に車に乗り込む。

 その後に続くように皆、車内に乗り込むとギルバートは車を発進させた。特に会話も交わすことがないまま車は見慣れた街並みから離れ、大きな建物を目の前にしていた。その建物の入り口前に停車し、小羽は車から降りた。車窓越しから手を振り別れる。


「学校はどうだったんです、何か掴めました?」

「旧校舎、あれいつからあのままなの」

「え?旧校舎、ですか」

「そう。おかしいでしょう。特に大きな外傷もない地面が歪んでいるわけでもない至って綺麗な状態で残されてもう何年もあのまま…それに微量だけど感じた瘴気。調べてみる価値はありそうね」

「偶々寄ったんじゃなかったんですか?」

「本当にそうなら、こんな目立つ格好で行かないわ。ましてや嫌われ者のカラスの戦闘員の制服を見れば誰だって顔色を変えるものよ。なのに警備の者は愚か職員でさえも顔色を一つ変えなかった…気味が悪いわ」


 リリィは不機嫌そうな顔で足を組み直す。

 可笑しいとは思ったが、本当にただの物見ではなくしっかりとした調査だったのだ。


「中までは入れたんですか?」

「いいえ。そこは止めに入られてしまったから、今回は外で確認しただけけどあれは…」

出雲いずも様の考えが当たったってことですかね。この件についてはオレが引き継ぎます」

「ええ。任せるわ」

「あの…出雲様って誰ですか…?」


 何やら真剣な話の最中のようだが、聞き覚えの無い名前が聞こえ思わず話を遮ってしまう。知らないのかと、ギルバートが答えてくれた。


秋月出雲あきづきいずも様。特殊戦闘部隊カラスの総責任者だよ。お前を採用した張本人様でもあるな」

「そうなんですね。その方とはお会いできたりってしないんですか」


 わざわざと付けるくらいだ隊長各位よりも偉い立場の人間なのであろう。一応会えると言うのであれば会ってみたいという気持ちもある、そして何よりも自身を採用した理由も聞いてみたいと思っていた。


「どうかしら。あの方は滅多に顔を出さないだけじゃなくてあのかーくんよりも気まぐれで扱い方が難しいのよね。機嫌を損ねればはぐらかされるし逃げられる。機嫌がいいとベラベラと昔話をしてくれるわ」

「結構な年配の方なんですか」

「いいえ。ハルちゃんと同い年でまだ二十代よ。あまり失礼なこと言うと罰が当たるわよ」

「罰?」

「出雲様は、なんだよ」


 予想だにしない一言に車内には悲鳴にも似た驚愕の声が響く。


「驚くのも無理は無いだろうな。オレたちも最初は理解が出来なかったけどあの方の言葉は実際正しい事を言っている、何かを視てきたかのような物言いと、それと春嘉さんも否定しないところを見ると認めざるを得ない」

「あの時のハルちゃんの表情が苦痛そのもので笑っちゃったわ。かーくんも納得した感じで本人がそう言うならそうなんでしょって言うし。まぁ、設立に関わってた面々にしか分からないこともあるわ」


 驚きの事実がスラスラと二人の口が零れる。情報量が多すぎて翔の頭の中はパニックだ。出雲という人物は神であり、カラスの総責任者、そして設立に関わった人物である。それだけの情報なのににわかに信じ難いのはやはり普通ではないからなのだろうか。翔は座席の背凭れに体を預け車窓から空を見上げる。雲が点々と青い水面を埋めるかのように覆っている晴れた昼下がりに不釣り合いなほど、内容は重く非現実的だった。


「もし、お会いできたとしても神気については聞かないほうがいいわ」

「何故ですか」

「前にハルちゃんが聞いたそうよ。でも、知らないの一点張りでその力は別の神が与えたもので、消す方法も理由も知らない。って言われたそうよ」

「そんな…」

「無責任よね。でも昔、この国には元々五神と呼ばれる存在があった。そのどれかが私たちにこの力を授けたってことになるわ」

「五神?」

「この国の母なる神は五つの心情を神と為した、その神様たちをそう呼ぶそうだ。詳しくはオレも知らん。そういう類のものは本人に直接聞くか、鎮生に聞くのが良いだろうな」

「黒田さんに?」

「あぁ。アイツはそういう事に詳しい。それに一番聞きやすいだろう、いつも最初に会ったアトリエに居る、暇なときにでも聞いてみるといい」

「私たちに聞いても無駄よ。そういうことは詳しくないし、それに私はこの力を気に入っているのそれがなんであろうと知った事じゃないわ」

「なんだか意外です…ギルは?」


 翔の問いにギルバートは言葉を詰まらせる。何か悪いことを聞いてしまったのだろうかと小首を傾げる翔に彼は、何か考え込むように百面相をする。

 その様子を可笑しく思ったのか助手席に座るリリィが笑い出す。


「あまりお前を混乱させたくないんだけど…」

「どういうこと」

「ギルバートは、魔法使いなのよ」

「ま、魔法使い?!」


 翔は本日二度目の悲鳴にも似た驚愕の声を上げた。

 あまりにも非現実的な出来事に多く直面し、翔はぐるぐると頭を悩ませる。気付いた時には、執務室の前で車を降りたこともここまで歩いたこともちゃんと覚えていない。気分のいいリリィが呆然とする翔の手を引き執務室に入る。その後ろでギルバートが申し訳なさそうにしているが、そんなことを気にしている場合ではなかった。

 中に入れば、総隊長は不在で居らず代わりに机に視線を落とし資料を捌く隊長の姿がそこにはあった。そして、見かけない黒スーツの男性がその机に腰掛けなにやら仕事中の春嘉を邪魔しているようだった。


「噂をすればって感じね。出雲様こんにちは」

「久しぶりだねリリィ嬢、今日も可憐だ」

「調子の良い言葉ね」

「はは、手厳しい。ギルバートとは今朝振りだけど…あぁ、その骨抜きくん大丈夫?」

「どうした、体調が悪いのか?」

「いえ、オレたちが情報を一気に与えてキャパオーバーになってしまったようで…」

「何を教えたんだ…」


 心ここに在らずといった様子の翔を心配した春嘉は翔の顔を覗き込む、それに驚いて翔はそのままバランスを崩し後ろに倒れ込んだ。

 驚いた春嘉の手は空を切る、凄い音で尻餅を付いた翔は痛みに顔を歪めながらもギルバートの手を借り立ち上がる。


「あはは、思ったより愉快な子だね」

「お前な、新人で遊ぶんじゃねぇ」

「ごめんごめん。自己紹介がまだだったね。ぼくは秋月出雲、改めてよろしくね。藤堂くん」

「よろしくお願いします」

「そんな警戒しないで。大丈夫、キミが知りたいことは分かるよ。でもそれは教えてあげられない。知らないことが良いこともこの世には沢山あるんだよ」

「よく、分かりません」

「うんうん。大丈夫、いずれ分かるさ」


 分からないと言ったり分かると言ったり忙しい人だなと翔は内心毒吐く。だが、目が物語るのは恐怖だ。彼を怖いと思う。表情は笑っているのに目が笑っていない、掴まれたままの手が微かに震える。きっとそれも気付かれている、心拍が上がる感覚とそれに呼応するように何故か体が燃えるような感覚がした。まずいと心が警鐘を鳴らす。


「どうしたの」


 その一言が、酷く恐ろしく感じる。目の前の男は危険だ、そう警鐘を鳴らす手を解かねばいけない。そう思うのに体はいう事を聞かない、心は逃げろと言う、従わなければと焦る気持ちが嫌な汗が頬を伝う。


「出雲!」


 一つの怒声が嫌な空気を断ち切る。何か電流が駆けるような嫌な音が同時に聞こえ、遠のきかけた意識を呼び戻す。

 眼前には異変に気付いた春嘉が出雲の手首を掴んでいる。出雲の手が離れた瞬間態勢が崩れそうになり必死に自身の両足で耐える。熱く燃える感覚が頭を埋めていくその瞬間背中に冷やりとした氷に似た冷たい感覚が広がる。背後に添えられたギルバートだ。ギルバートの手が熱くなった体を冷やすように支えていることに気付き、恐らく彼の魔法だろうと、ぼやける意識の中思う。


「痛いな…ちょっと揶揄っただけだよ」

「度が過ぎる」

「怖いなぁ、ごめんってば」

「謝るのは俺じゃない。翔に謝れ」

「ごめんね。藤堂君わざとじゃないよ」

「は、はぁ…」

「ギルバートが居なかったら危なかったな」

「ぼくがいるよ?」


 とぼけたように笑う出雲を一睨みし、外していたのか手袋を嵌め直しながら春嘉が翔の前に立つと顔を覗き込むように伺う。

 まだ赤い顔をする翔を見て、びっくりしただろう悪かったと謝る。春嘉が謝る必要はないと言おうとしたが頭が上手く回らなかった。そもそも立っていることもやっとでいまの状況についていけない。


「座った方がいい。そこ座れ、リリィ食堂から冷たい飲み物と氷を貰ってきてくれ」

「分かったわ」

「落ち着いたら、話をしてやる」

「す、すみません…」

「お前が謝る必要は無いんだよ。悪いのはアイツ」

「ちょっとキミの力がどんなものか見てみたくて、強引な手を使わせてもらった。でも、良い力だと思うよ。ただ、弱い。意志が力に負けてるそれじゃ遅かれ早かれ喰われる」

「出雲、待て…っ」

「キミ、本当は自信が無いんじゃないの?」


 冷めていく体と再び沸騰するようにまるでマグマの地熱が音を立てるように、焦る心が脳を、肺を侵す。気持ちが悪い吐きそうだった。体が言う事を聞かない、沸騰した体は熱を下げようと冷気を求めるが、追いつかない。隣でギルバートの焦ったような声が聞こえる。と、同時に扉が開き頭から冷たい何かを掛けられたと感じた時点で翔の意識が途切れた。

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