11.罪悪感。

 次の日、俺はアニアの家に行くのはやめようかと思った。

 けどいきなり行かなくなるのも、マルクス達に変に思われるかもしれない。そんな思いと、やはりアニアに会いたいのもあって、結局は彼女の家に向かった。


「サファーさん、昨日はどうしてあんなことを言ったんですか?!」


 家に入るなり、怒髪天を突く勢いでアニアが責めてきた。マルクス達はまだ帰ってきていないから、家にはいつも通り二人だけだ。


「ああ言うより、他はなかっただろう」


 なるべく穏やかにそう答える。アニアもわかってはいるのだろうが、やはり納得はいかないようだった。


「ここまで来て……」

「え?」


 アニアの呟きを聞き返すと、彼女は今まで見たこともない悔しそうな顔で叫んだ。


「私が付き合ってるのは、サファーさんなんですよ?!」

「それなんだが、アニア……俺たちはもう別れ……」

「イヤです!!」


 全てを告げる前に、アニアが涙を溜めながら訴えてくる。そんな風に言ってくれるアニアが愛おしい。自分から切り出しておきながらなんだが、やっぱり別れたくなんかない。


「私のことが嫌いになったって言うなら、諦めもつきます! でも、こんなの……っ」

「ごめん、アニア……俺だって本当は……別れたくはないんだ」

「だったら!」

「でも昨日のマルクスの態度を見ただろう? 俺たちは、絶対に認めてなんてもらえない。君に駆け落ちできる度胸があるなら別だけど」

「それ、は……」


 さっきまでの勢いはどこへやら、アニアは急に口ごもってしまった。

 わかっている。アニアはたった一人の兄を置いて、駆け落ちなんかできっこないってことは。

 それでも、駆け落ちしたって構わないと言ってほしかったなと勝手なことを思う。


「君は、ラバルと付き合うことになったんだ。俺とのことは終わらせた方が……」

「ダメ、ですか……?」

「え?」

「今まで通り、内緒で付き合うのはダメですか?!」


 今まで通り、内緒で付き合う。

 俺はそんな選択肢は考えもつかなかった。


「そ、そんなことしてなんになる……?」

「折を見て、ラバルさんとはお別れします。お兄ちゃんの目もあるし、今すぐにってわけにはいかないかもしれないけど……」

「同じことだよ。君がラバルくんと別れても、俺たちのことを反対されるのには違いない」

「それでも、それでも……っ」


 別れたくない、と泣きじゃくるアニア。俺はアニアに甘いんだろう。そしてまた、己にも。

 結局アニアはラバルと付き合ったまま、俺とも内緒の付き合いを続けることとなってしまった。


 アニアは、ラバルが休みの時には一緒に外でデートをすることもあるようだ。

 ラバルを含めた夕飯時に、デートの話なんかを聞かされると気が滅入った。アニアも最初のうちは俺に申し訳なさそうな顔をしていたが、それにもだんだん慣れてきてしまったようだ。

 次第にアニアはラバルの前ですごくいい笑顔をするようになった。そして俺と二人っきりの時でさえも、ラバルの名前が出てくるようになる。

 醜いとわかっていても嫉妬した。アニアは俺のことを好きだと言ってくれるが、それが本当なのかどうしても疑ってしまう。


 ラバルとアニアは一向に別れる気配もなく、一年が過ぎようとしていた。

 そんな、ある日のことだ。

 アニアは俺が家に行くなり、唐突に頭を下げてきた。


「ごめんなさい、サファーさん……っ」


 その一言だけで察した。きっと、俺よりもラバルを選んだのだと。

 そしてそれは……当たっていた。

 色々言い訳をしていたが、結局のところアニアは本当にラバルに惚れてしまったようだった。

 どちらも同じくらい好きなのだという不誠実な言葉を吐きながら、それでも結局アニアは周りに祝福してもらえる方を選んだ。賢い選択だと思う。だが俺の心は行き場をなくしてしまった。

 罪さえ犯していなければと自分自身を恨み、大好きだったアニアまで許せず恨んでしまいそうになる。


「アニアは結局、俺のことなんて好きじゃなかったんだな」


 拗ねるように吐き捨てると、アニアは悲しそうな顔で首を横に振った。


「違うの、サファーさん……違うの」

「違わないだろ? 本当に俺のことの方が好きなら、ラバルと別れるはずだ!」

「ラバルさんはずっと一人で生きてきて、可哀想な人なの! 支えてあげたいの!」


 人は、それを愛と呼ぶのだろう。多分。

 俺とは恋、ラバルとは愛だったといったところだろうか。


 このままこうして捨てられるのだなと思うと、情けないことに涙が出てきた。

 スルスルと勝手に流れてきた涙は、ポタンと床に水玉模様を描いていく。


「サファーさ……ごめ、なさ……っ」


 アニアもまた、罪悪感からだろうか。その瞳に涙を溜めて俺にすがりついてくる。


「ごめんなさい……ごめんなさい……っ」


 うわあ、と泣き叫ぶ彼女を、俺はひしと抱きしめた。

 別れることが一番いいと、お互いに理解している。だからこそ、悲しくて悔しくて。

 俺たちはどちらからともなく、唇を寄せ合った。

 もう、これで最後となるだろう……そう、思いながらゆっくりと唇が離れる。

 しかし、アニアの次の一言は、俺の予想を飛び越えたものだった。


「抱いて、いいですよ……」


 ほろほろと泣きながら、口元には笑みを浮かべて。

 そんな風にアニアは言った。


「え……な、なにを……」


 アニアは、ずっと清い体のままだ。俺は手を出すことをしなかったから。


「お兄ちゃんも今日は遅くて、九時まで帰ってきません。だから……大丈夫」


 自分から誘うような言葉を言ったことがなかったアニア。

 だから俺は耳を疑った。


「けど……」

「だってサファーさん、私の気持ちを疑ってる。私がサファーさんのことを本気だったって、証明したいんです」


 本気だった……その過去形になっているその気持ちに心を抉られながら、目の前にある肢体に我慢できずに抱きしめた。

 部屋は次第にアニアの甘い声で充満していった。

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