06.悪魔と天使。
サイラス隊長は、子どもらが元いた家で暮らしたいと言っていることを教えてくれた。
そうしてあげたいのは山々だが、子ども二人だけで暮らすのは不可能だ。家賃だって払えない。生活力もない。二人が大きくなるまでは、お手伝いさんだって必要だろう……そう俺に告げてから、サイラス隊長は続けた。
「君はマルクスとアニアのために、お金を払い続けられるかい?」
答えは、もちろんイエスだった。
俺にできることは、それしかないのだから。
こうして俺は、二人を支援することになった。
けれど、誰に支援されているかは言わないでくれと隊長に頼み込んだ。二人だって、俺なんかに支援されていると知ったら気分が悪いだろう。
俺は職場からさらに遠く離れたあばら家を借りて、そこで暮らすことにした。二人が住む家賃や生活費、それにお手伝いさんへの給金を払うだけで、ほぼ全てのお金が飛んで行ったからだ。
「アニアー、早くしろ。置いていくぞ!」
「お兄ちゃん、待ってー!」
職場である屋敷に向かう途中、あの家から二人が学校に向かう姿をたまにこっそり見に行く。あの事件から三年が経つ頃には、二人は前向きになれているように見えた。
そんな時、俺はサイラス隊長から呼び出され、こう言われた。
「マルクスとアニアが、君に会いたがってる」
その不可思議な言葉に、俺は首を捻らせる。
そんなことがあるはずはない。二人は俺を、憎んでいるのだから。
「二人が制裁を望んでいるのならば、甘んじて受けるつもりですが……?」
「いや、そうじゃないよ。君に……いや、自分たちを支援してくれている人に、どうしても会ってお礼を言いたいと言ってるんだ」
「お、お礼……」
そんなもの、言われる資格なんかない。ただの善意でやっているわけではないのだから。
二人は支援をしている人に、憧れを抱いてしまっているのかもしれない。名を明かすこともしない、謙虚で素晴らしい人物だと。俺の顔からサッと血の気が引いていくのがわかった。
「断って、ください……」
「何度も断ったよ。でも引き下がってくれそうにないんだ」
それでも俺は、イヤイヤをする子どものように首を横に振り続ける。
俺だとバレては、二人を傷つけるだけだ。絶対に知られたくない。
するとそんな俺に、サイラス隊長は優しい声を上げた。
「サファーくん、君はよくやっていると思うよ。誰の助けも借りず、本当に頑張ってる」
サイラス隊長は援助の手助けを申し出てくれていたが、それは断っていた。罪があるのは、俺だけなのだから。
頑張ってるという発言に、俺の心はじんわりと温かくなる。誰か一人にだけでも理解してもらえていたなら、それだけでありがたい。
「だから……僕は、君が許されてほしいって思ってるんだ。そのためにも、二人に会ってみるべきだと思う」
「そんな……許されるわけがないじゃないですか!」
「それは確かにわからない。でも、君があの二人のために生活の全てを捧げてきたことは事実なんだ。その事実を知らせてあげたい」
余計なお世話だ、と喉まで出かかった言葉を必死に抑え込む。
知ってほしい気は、する。ほんの、ほんの少しだけど。
許されないとわかっているはずなのに、わずかだけど希望を持ってしまって。
結局俺は、サイラス隊長に説得される形でマルクスとアニアに会うことになった。
マルクスはこの時、上級学校の一年で十二歳。アニアは少年学校の四年で十歳。
ちゃんと顔を合わせるのは、あの日以来初めてだ。
もしかしたら俺の顔なんて、忘れてくれているかもしれない……そんな期待もどこかにあった。
「この人が、君たちを支援してくれている人だよ」
サイラス隊長が間に入って、そう説明してくれる。
場所はディノークスの屋敷の一室を借りて。なにかあったときのためにか、サイラス隊長を含めて三人の騎士が様子を伺っていた。
「初めまして、アニアです! いつも、ありがとうございます!」
そう言ってにこやかに頭を下げたのは、アニアだった。綺麗な栗色の髪をツインテールにして、大きな瞳と笑顔がキラキラと眩しい。三年前よりも随分と成長して、女の子らしくなっている。
対するマルクスは、俺を見て眉を歪ませた。上級学校のグレーの制服を着て、すごく大人びた顔をしている。精悍な顔立ちが、彼の父親そっくりだ。
「名前……」
「え?」
その大人びた顔がだんだんと訝しげに変化し、そして睨むように聞いてきた。
「あなたの、名前は……」
マルクスの問いに、俺は覚悟を決めて言葉を発する。
「俺の名前は、サファ……っ」
瞬間、みぞおちを殴られた。グッと息がつまる。よろめき尻餅をついた時、彼はまた拳を振り上げていた。
「マルクス、それ以上はやめるんだ」
一度目は止めなかったサイラス隊長が、振り上げられたマルクスの手首を掴んでいる。
マルクスはまるで狩りをする猛獣のような顔をしていて、俺はぶるりと身を震わせた。
「お、お兄ちゃん?! どうして殴るの?? この人は私たちを助けて……」
「助けてなんか、くれてない!! こいつは悪魔だ!!」
悪魔という言葉を浴びせられた俺は、立ち上がらずにそのまま頭と手を床に擦り付けた。いきなり土下座されたアニアは「え? え??」と混乱の声を上げている。
「思い出せ、アニア! こいつがあの時、うちに来た男だ! うちの家の扉を壊して、殺人鬼を中に招き入れた男だ!!」
俺は額を痛いくらいに床に擦り付けたまま、拳をグッと握る。
涙が、出てきた。申し訳なくて、申し訳なくて、申し訳なくて。
殺したのは俺じゃなくても、この子達にとっては俺が殺したも同じことだ。
「この人が……あの時の……?」
「なんで、お前が!! のうのうと生きてるんだよ!!」
許されるわけもなかった。罵倒されても仕方ない。俺にできるのは、ただ頭を下げ続けることだけだ。
「お前が来なきゃ、父さんと母さんが死ぬことはなかったんだよ!! お前だけ死ねば良かったのに!!」
「す、すまない……本当に、その通りだ……っ」
俺は初めて二人に謝った。三年間、一言の謝罪もせず、この兄妹たちをどれだけ苦しませてしまったことだろう。
「消えろよ!! 俺たちの前から、消えろ!!」
「ま、待ってよお兄ちゃん!」
罵倒するマルクスを、なぜかアニアが止めてくれた。それでも俺は、顔を上げられずにビクビクと震えている。
「どうしてそんな風に言うの?」
「はぁ? アニア、なにを聞いてたんだ。こいつは、サファーは、父さんと母さんの仇だろうが!」
「お兄ちゃん……お父さんとお母さんを殺したのは、黒い男だよ……」
アニアが一つトーンを下げて言うと、『けど』とマルクスは言葉を詰まらせた。
「今日は、私たちを支援してくれている人に、お礼に来たんじゃないの?」
「だってまさか、こいつだったとは思わなかったんだ!」
「でも、今の私達を助けてくれてるのは、この人でしょ?」
アニアの発言は、俺にとっても信じられないもので。
顔を上げてみると、兄の方は憎々しげに顔を歪ませている。しかし妹の方は、俺に笑顔を向けてくれていたのだ。
なんの冗談か、と真剣に思った。君の両親を奪ったのは俺なのに、と。
「サファーさん、いつも生活費をありがとうございます。サファーさんのお陰で、お兄ちゃんとあの家に暮らせてます!」
おそらくは、俺とわかる前から考えられてきた言葉。十歳の少女が精一杯の礼節を尽くした言葉に、胸の内からなにかが溢れ出てきた。
「ごめん……本当に……ごめんなぁ……っ」
謝るしかない俺に、フワリとなにかが被せられた。
目の端に、茶色い物が滑り込む。
「え……?」
「私が編んだマフラーなの。なにかプレゼントしたくて……でもそんなにお金もないから……」
「す、すまない。小遣いも欲しいだろうのに、そこまでは手が回らなくて……」
「ち、違うの! ありがとうの気持ちを伝えたくて、ただそれだけで……!」
見上げる少女の顔は、柔らかく微笑んでいて。
こんな俺に、ありがとうと言ってくれる……それだけで胸がはちきれそうに苦しい。
網目はガタガタだったが、そのマフラーはなによりも温かくて。俺の目から、自然と熱いものが滑り落ちた。
「良かったぁ、すごく似合ってる!」
そう言って喜ぶアニアの顔は、まさに天使だった。
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