04.どっちが重い。

「ふぁは、は!」


 顔じゅうが真っ赤に血塗られた黒ずくめは、俺たちを見て笑った。

 ここにいる誰もが息を飲み、蛇に睨まれた蛙のように動けなくなる。


「ふぁはは!! あはあは!!」


 奴の一番近くにいるのは、少年。へたり込んだ足をなんとか動かそうとし、血の沼で滑ってしまっている。


「う……あああ……っ、誰か、助け……っ」


 少年が、唯一の大人である俺に目を向けた。

 助けを訴えてくる、その瞳。

 俺には、わずかに首を左右に振ることしかできなかった。

 少年の顔が、より絶望色に染まる。


「たすけて、お兄ちゃんを、たすけてーー!」


 いつの間にか俺の隣に来て、ゆさゆさと俺を揺さぶってくる少女。

 無理だ。武器もなにもない。のこのこ出て行ったところで、彼らの両親の二の舞じゃないか。


「ふ……ふひ、ふぁはっ!」


 黒ずくめは恐怖に引き攣る顔を見て喜び、それを楽しむかのようにゆっくりと少年に近づいている。


「うわ、うわぁぁぁあああ!! だ、誰かぁぁああああああ!!」


 慌てるたびにぬるぬると足を滑らせる少年に狙いを定め、黒ずくめの男は短刀を振りかぶった。


「うあああああああああああ!!」


 もうダメだ、と俺は顔をそらして目を瞑る。

 ブシュッと身を裂く気持ち悪い音が、嫌でも耳に入ってきた。

 次は俺の番だ。俺も殺されてしまう……!


「大丈夫か?!」


 しかし、次に聞こえたのはあの男の笑い声ではなかった。

 パチリと瞑っていた目を開けて、少年の方を確認すると……。


「間に合った……いや、間に合わなかったのか……ごめんよ……」


 そこには、長いライトブラウンの髪を揺らす、私服姿のサイラス隊長の姿があった。

 少年は呆然としてサイラス隊長を見つめ、その隣には黒ずくめの男が横たわっている。恐らくだが、死んでいるんだろう。

 俺はようやくホッとして、がっくりと足をついた。

 生きてる。良かった、殺されなかったと、その時は心から自分の生を喜んだ。


 その後は、ディノークス騎士隊の隊員がやってきて、それぞれの遺体の処理をし始めた。

 俺もサイラス隊長から直々に事の経緯を聞かれ、全てを素直に答える。

 サイラス隊長は終始渋い顔をしていて、俺は身の置き所がなかった。

 親方の言うことを聞かず、夜遅くまで作業していたこと。サイラス隊長に言われていたにも関わらず、一人で帰る選択をしたこと。民家の扉を蹴破って、この家の人たちを巻き添えにしてしまったこと。

 落ち度は俺にあるはずだが、サイラス隊長からはなにも責められはなかった。もちろん、言われなくても俺が一番わかっていたが。


「あの……あの子たちは、どうなるんですか……」


 俺は両親の遺体を前にして泣いている子どもたちを見た。名前は兄がマルクス、妹がアニアというらしい。


「あの子たちの両親は、国外からの移住者だからこの辺に親戚はいない。引き取り手がいなければ、孤児院に行くことになるだろうね」

「孤児院……ですか……」


 孤児院という場所が、子どもたちにとって良いものかどうかは、判別がつかなかった。ただ、家族四人でいたことを考えると、別世界のような暮らしが待っているだろう。


「まぁ処遇が決まるまでは、ディノークスのお屋敷で面倒を見てもらえると思うよ。今日はひとまず、僕のうちに連れて帰って様子を見る」

「そう……ですか……あの……すみません……」


 サイラス隊長に面倒をかけてしまうことが申し訳なくて、頭を下げる。すると彼はほんの少し冷たい目を俺に向けて言った。


「謝る相手が違うんじゃない? サファーくん」


 そう言い放つと同時に、サイラス隊長は腰を上げて子どもたちの方へと行ってしまった。

 謝って、済む問題じゃないのはわかっている。それでも、謝らなければいけない。

 しかしそう思えば思うほど俺の足は金縛りにあったように強張って、動けなくなってしまった。

 しばらくするとサイラス隊長はアニアを抱き上げ、マルクスの手を引っ張って玄関に向かった。そこでチラリと俺の方を見て、十秒ほど動かなかった。

 謝りに来い、ということだろうか。

 逡巡した隙に、三人はスッと玄関から出ていってしまった。


 俺は、本当になんてことをしてしまったのか。


 今日死ぬはずのない人が、二人も殺された。


 誰のせいで。俺のせいで。

 いや、殺したのはあいつだ。黒ずくめの男だ。俺は悪くない。

 本当に悪くないか? 扉を蹴破ったら、どうしようもなくなることくらいわからなかったか?

 あの時は必死でどうしようもなかったんだ。ああしなければ俺は殺されていた。

 自分の命とあの夫婦二人の命では、どっちが重い? 小さな子どもがいる夫婦と、独り者の俺とでは……


「う、あ……あああああああーーーーー!!!!」


 そこまで考えると罪悪感で耐えきれなくなり溢れ出した。


「俺は、なんてことを……なんて……っ!」


 己を擁護しようにもできる材料はなにもなく。

 その日は家に帰らされてからも、一晩中罪悪感に苛まれながら過ごした。

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