第3話

柳原君とは、それ以上の会話はなく、葵に促されて家に帰った。柳原君は高校時代と何の変りもなく無口でニコニコしている。服装も変わっていなかった。芙蓉は、柳原君の気を引きたいばかりに、響子の真似をして、露出いっぱいの洋服で行ったことを恥じた。柳原君は外見などどうでもいいのかも知れない。それよりも、頭のいい女の子が好きなのかもしれない、という気がした。しかし、柳原君が好きだという気持ちはますますつのり、どうすることも出来なかった。柳原君が、早い目に京都に戻ったと聞いたとき、芙蓉も家でいる理由が薄れて、東京に帰った。

 帰ってみると、響子がもう東京に帰っていた。響子は北陸のホテルの娘だった。景気がいいのか、いつでも送金を頼べば、追加の金子が送られてくるということで、はやりのブランド物のバッグや、靴をたくさん持っていた。就職も必要ないのだけれど、ボーイフレンドと離れたくないので、レコード店に就職を決めていた。

「ねえ」と響子は、まだ二人だけしか帰ってきていないことをいいことに、台所の椅子に腰かけて、芙蓉に語り掛けた。

 芙蓉は沸かしていたやかんのガスを切り、もう一つの椅子に腰かけた。

「芙蓉さんは、まだボーイフレンドいないの?」

「いないわ。見ての通りでございます」とおどけて見せた。

「早い目に帰ってきたから、いい人が出来たのかと思ったわ」

「いいえ」と言いながら、柳原君と対で話し合うこともできないことを寂しく感じた。

「じゃあ、まだ、男性としたこともないの?」

芙蓉は、とっさに、

「ええ」と答えて、急に体の中心が痛むのを感じた。

 やっぱりあれは、男性と交わったということになる。生まれたままの何も知らない無垢な体ではないのだ。

「芙蓉さん、早くボーイフレンドつくりなさい。男性を知るってことは、この上もない快楽よ」

「はあ」という芙蓉の顔は上気してきた。

 三日にあげず来るボーイブレンドの低い声の睦言は、もう声すら覚えてしまった。

 聞き耳を立てえいるわけでもないのに、その声は芙蓉の耳に刻まれていた。

 響子のあえぐ声もかすかな音楽のように、夜のしじまに忍び込んでくる。やはりそれは素晴らしいことに違いない。芙蓉は、せんせとの何の前ぶれもない、堅く恐ろしいものに、防ぐ暇もなく貫かれた記憶から自由になれなかった。そして、そのあとのせんせの固い態度も、それがいいんだとわかりながらも、納得できなかった。

 芙蓉は、響子は本当に幸せな人生を享受していると感じた。

 それに比べると、自分の青春は悲しい。大好きな柳原君にも負い目から近づくことができないのだ。 

 芙蓉は、沸かしかけたお湯をもう一度ガスで沸かし、響子に紅茶を出し、

「響子さん、いろいろ教えてくださいね」

 と口走り、思ってもいない言葉が自分の口からほとばしり出たのを、自分で驚いていた。

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