第3話・エコロジー<非エコロジー=アニキの定理

「おかえり、真司」


「…………!」

 ドアを開けた瞬間、兄の端正な笑顔に出迎えられた真司は、本能的な危険予知能力の働きにより、反射的に、そのままキビスを返してドアを閉じようとしたのだが、それより先に伸びてきた兄の精悍な長い腕に首根っこを捕らえられて、玄関の中に引きずり込まれた。


 ……こうなれば、ジタバタするだけムダだ。

「た、ただいま……アニキ」


 真司は、ヘビロテで履きつぶしているお気に入りのヴィンテージスニーカーを片方づつツマ先で蹴飛ばして、あわただしく脱ぎ捨ててから、兄の手にせかされるままにリビングへ向かい、肩を押されるようにしてソファに座った。


 フロアテーブルの上には、兄の好みのアイリッシュウイスキーのボトル。

 それに、琥珀の液体に半分ほど漬かった透明な氷の入っている、ボダムのロックグラス。


 県下でも名医と名高い父は、容態の気になる患者がいるので一昨日から病院に泊まり込みっぱなしだ。

 母も、ほうっておくと食事も忘れてしまう重度のワーカホリック症をわずらう夫に付き添うために、今夜は家を空けると言っていた。


「酒だけ呑んでたらカラダに悪いぜ、アニキ。なんか作ってやろうか?」

 実の兄に向かって引きつった愛想笑いを浮かべながら、キッチンに向かおうと立ち上がりかけた。


 だが、目の前に立ちはだかっていた兄が身を屈めて、すかさず両肩を抑えつけ、弟の背中を再びソファーに留め付ける。


「おい、真司……それは、いったい、なんだ?」

 一語づつ噛んで含めるように、ユックリと尋ねる。


 表情は穏やかだが、切れ長の怜悧れいりな目は、思いっきりすわっている。

 なまじ整いすぎるほど整った顔だけに、不穏な表情を浮かべると、異様に迫力があってコワいのだ。


 真司は、ゴクリと息をのんだ。

「これ、匂いがスゴくいいから、部屋に飾るといいって……ミヤさまが、くれて……」

 タドタドしく返答しながら、ずっと手に持ちっぱなしだった小振りのブーケをかばうように胸に引き寄せる。


 だが、その態度が余計に敦司のキゲンを悪化させた。

「オレのやった花束は、どうした?」


「あ、あんなデカい花束、持って帰れるワケねーじゃん! バイトのオンナのコたちに分けてやっちゃったよ。オレ、バイクだし……ハズいってば」


「真司……」

 敦司は、甘やかな強い芳香を放つ白く可憐なブーケを弟の手から乱暴に引ったくると、そのまま背後に放って、ジュウタンの上に叩き捨てた。


「ちょ……っ!? なにすんだよ、クソアニキっ」

 真司は、意志的な柳眉を吊り上げ、カッとなって怒鳴ったが、兄の端麗な白皙にスーッと立ち昇る深く静かな冷気に気付いて、たちまち凍りついた。


 快適な空調が効いているはずの初夏の室内の気温が、一気にマイナス10度ほど下がった錯覚がした。

 地球温暖化対策の抜本的バッポンテキな解決策がこんな身近にあったとは、真司は、ついぞ知らなかった。


「なぁ、真司……オマエ、その花の花言葉、知ってるか?」


 低くツヤやかな兄の声に耳朶じだをくすぐられて、真司は、ブルリと身震いをした。

 半分は、悪寒で。

 半分は……

 ……耳を攻められると、とにかく弱いのだ。


「し、し、知らねぇ……ってか、花の名前も聞いてこなかった」


「ふーん。……その花はなぁ、チューベローズって言うんだぞ、真司。メキシコ原産で、リュウゼツラン科の多年草だ」

 敦司は、真司の太股の間に片方の膝を割り入れてソファに乗り上げながら、背もたれの上に手をおいた。


「ア、ア、アニキ……ちょ……っ、待って……」

 真司は、兄の両腕の中に囲い込まれた格好になって、逃げ場をなくして青ざめた。


 敦司は、互いの鼻先がくっつくほどに顔を寄せて、涼やかに微笑んだ。

「花言葉も知りたいだろう?」


「い、いや……別に。……んなことより、オレ、ハラ減ったし……」


「そうか、そうか! そんなに教えて欲しいのか。だったら、分かりやすーくレクチャーしてやろうな」

 唯我独尊スキル、発動。


「オレのメソッドは、実践的だぞ」

 言うなり、敦司は、弟の体を抱きすくめて、ソファに横ざまに押し倒した。

「……手とり足とり、じっくりカラダに叩き込んでやるから、ありがたく思え」


「はぁーっ!? ……い、意味わかんねーっ、ヘンタイアニキーっっ!」

 真司は、空しく手足をバタつかせて、悲鳴を上げた。


 ―――つーか、アニキ! なんで、ハナコトバなんか知ってんだよ!?

 という、はなはだ抜本的な疑問を問いただす間もなく、真司は、地球の温暖化に一段と拍車をかけそうな熱く深くシツコいキスで、唇をふさがれてしまったのだった。

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