第81節 勝敗よりも大事なもの

「勝てばなんでもいい」というコーチのやり方についていけない。


こんにちは、柑那かんなです。

努力することに意味があるとか、参加することに意義いぎがあるとか、そういう言葉もあるけど、柑那的にはそういう風な言葉だけで片付けたくない問題。


もちろん勝ち負けは大事。勝つために練習してるわけだしね。

でも本当に、それだけでいいのかな?


たとえば小さい子供のスポーツクラブは「基礎きそ体力の向上」だったり、「チームプレーを体験する」であったり、そういったクラブごとの目的や理念りねんがあると思うのね。そういうクラブで勝ち負けの事ばかり言っていたら、きっと子どもたちはスポーツが嫌いになってしまう。

中学生、高校生のクラブや部活も同じように、どこを目指すかが決まっている。

もちろん、全国制覇せいはを目指す学校もあると思う。でも、全国制覇せいはできれば何でもオッケー、ってはならないはずなのね。

隼高はやこうサッカー部も同じだけど、全国制覇せいはを目標としてげながら、自立じりつした人間になるだとか、助け合いの精神せいしんであるとか、相手をリスペクトしようとか、そういう人間的な成長も目指している。だから、そういうことを忘れて行動してしまうと、それは違うよって仲間から指摘してきされたりもするよね。


競技スポーツは一人では成り立たない。多くの相手は対戦相手がいるから勝敗がつく。トーナメント戦だったら、優勝できるのはたった1チーム。レース系だったら一緒に走る他の選手がいて、順位が決まる。同じく、一位は1人だけ。自分だけならいつでも一番でいられるけど、ひとたび対戦すれば勝ち負けが決まってしまう。

そんな時に、勝ち以外は無意味、というやり方で指導してしまうのは、負けた時にどうなる? 負けた選手たちは無価値むかち、といわれているのとほぼ同じ。いやいや、そんなこと、あるはずないから!!

たとえ負けたって、隼高はやこうの選手たちはみんな素敵な人たちだし、1年前の彼らとは全然違う。みんな成長している。


負けてもいいんだなんて、コーチは言いにくいよね。もちろん、負けるつもりで戦うわけじゃない。いつでも勝つつもりでいる。けど、負けたところから何を学ぶか、も大事なんじゃないかなぁ。よく言うよね、挫折ざせつを知らずに育ってしまうと、大人になって初めての挫折ざせつで立ち直れないって。プロになった選手の中にも、子どもの頃は挫折ざせつだらけでそれを乗り越えて、乗り越えてきたからこそ、今でも頑張れているって選手は多い。プロになるまで一切の挫折ざせつがなかった選手は、プロになって周りが自分よりうまい選手だらけということを初めて体験する。長いこと試合に出られない経験を初めてするから、そこからのい上がり方が分からず、苦労するって聞いたことがあるわ。


勝負事だから勝つこともある、負けることもある。けどそれだけじゃない何かを手に入れたはずなんだよね。もちろん勝った方が嬉しいし、ほこらしいし、たくさんの人を喜ばせることができるかもしれない。でも負けたからってその選手たちの価値はなくなったりはしないし、そうやって戦った選手たちを私はたたえたいし、ほこりに思う気持ちは変わらない。


自分がこのスポーツをやっている意味ってなんだったっけ?


あらためて考えてみる機会きかいにしてみてね!!

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