第40節 ケガをした時間が教えてくれたこと①【FW9 杉山界登】

俺は夏の大会で怪我けがをした。その時のことはみんなの知っての通りだ。

あの怪我けがの後、俺はいろんな人に出会うことになった。そしていろんな人の話を聞き、いろんな人の思いを知ることになった。


練習にも出ずにくさっていた時、廣澤ひろさわさんというJリーグのスカウトに声をかけてもらった。後で聞いたことだけど、これはかなりのレアケースだったらしい。監督が俺を心配して大学の先輩や後輩にあちこち声をかけ、廣澤ひろさわさんにつないでくれたのだそうだ。

 廣澤ひろさわさんは俺に大学と、治療ちりょうのためのトレーナーを紹介してくれた。どちらもすごくありがたかったが、なにより俺をはげましてくれたのは廣澤ひろさんの存在そのものだった。

 あの後にも何度か会いに来てくれたし、連絡もくれた。走れるようになった、ボールをれるようになった、と怪我けがの具合を伝えると、そのたびに喜んでくれた。でも必ず最後に、あせりは禁物きんもつだぞ、しっかりなおすことが一番大事だよ、と言ってくれた。

 早くサッカーがしたい、試合に出たいという気持ちがないわけではなかった。でも廣澤ひろさわさんが見ていてくれるという安心感あんしんかんが、俺のあせりをやわらげ、治療とリハビリに集中させてくれた。


「君のことを見ているよ」


たったこの一言が、どれだけの勇気になるのかを知った。それと同時に、俺の周りに、俺を見ていてくれる人が他にもたくさんいることを知った。


 怪我をする前の俺はひとりよがりなところがあった。いつも自分が中心でないと気がまなかった。特に3年になってからそういう気持ちが強くなっていた気がする。もちろん、3年になり責任も感じていたせいもある。

 けど、怪我をした時に、思ったよりたくさんの人が心配してくれたし、何かしてくれようとした。市川イチは、毎日俺に連絡をくれた。今日は部活これそうか? 痛みはひどくないか? 面倒めんどうくさくなって返事をしなかった時期もあった。それでも毎日、市川イチは連絡をくれた。

 それに両親。思えば、いつも俺の味方みかただった。思うように動けない俺の側に寄りってくれた母。イライラして八つ当たりみたいになったこともあった。けど母は何も言わなかった。正直俺は、甘えていたんだと思う。母にも、市川イチにも。

 一方で心配性の父は、俺の前では怪我の話を一切しなかった。おそらく俺のメンタルを気遣きづかってくれたのだと思う。だけど俺のいないところでは母親にいろいろ言っていたそうだ。これも、後で聞いた話。もうすぐ試合に復帰ふっきできる、ってタイミングで俺を温泉にさそってくれた。父親と一緒に風呂ふろに入るなんて小学生以来いらいだったから、なんかこっぱずかしかったが、ぬるめのお湯につかりながら、二人でいろんな話をした。いままで言えなかったことや、聞きたかったこと。昔の思い出話や、これからのこと。「界登かいと。ここまで辛抱しんぼうづよくよくがんばったな」父が俺をみとめてくれてるっていうのを知って、それがひそかな自信にもなった。

 もちろん部の仲間たちも。俺が復帰ふっきするまで、みんながよく話しかけてくれた。俺の心がれないように、守ってくれた。そして復帰ふっきが決まった時、自分のことのように喜んでくれた。


 俺は、たくさんの人に愛されてんだなって思えたんだ。

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