第38節 ミスを反省する時間はない【DF5 市川雪之丞】

失敗を成長のかてとする、それはコーチによく言われた言葉だ。

失敗したら、次どうしたらうまくいくのかを考えろ。


練習なら、それでいい。

でも試合中には。そんな余裕よゆうはさらさらない。失敗は即失点につながる。ひと時も気をけない。たとえミスをしたって、即座そくざに切り替えなければならない。

ディフェンダーというのは、そういうポジションだ。


子どもの頃は、剣道けんどうをやっていた。じいちゃんが剣道けんどう師範しはんだったからだ。

じいちゃんの名は市川宗麟そうりんといい、宗麟そうりん道場どうじょうと言えば地元ではかなり名の通った道場だ。


とても厳格げんかくな人だったが、俺はそんなじいちゃんになついていた。雪之丞ゆきのじょうという古めかしい名前を付けてくれたのもじいちゃんだ。

重い胴着どうぎを着て、あせをかきながら竹刀をるのは気持ちが良かった。俺は剣道が大好きだった。

あれは忘れもしない、小学4年生の秋。当時のおれ宗麟そうりん先生のお孫さん、とちやほやされていた。優勝間違いなし、と言われたその試合で俺は年下の名前も知らない選手に負けた。すきかれて1本取られ、取り返そうとあせって無理にねらったところをかれ、敗退した。


「もう剣道やめる」


泣きじゃくりながら言った俺に対してじいちゃんは短く

「なぜ負けたかわかるか」

と尋ねた。答えられずにいる俺に向かってじいちゃんは続けた。


雪之丞ゆきのじょう、お前に剣道をやらせたのは、剣道が今を大事にするものだからだ。

今日のお前はミスをしたが、その後もそのミスにとらわれていた。つまりずっと過去を見ていた。今に集中できなかった。だから、負けたんだ。

いいか、いつでも今一番必要なことをやれ。試合中にやるべきことは冷静に相手を見て、自分を見て、最善さいぜんの手を出すことだ。勝つとか負けるとか先のことは考えるな。その時その時最善さいぜんの手を出し続けていれば、結果として勝敗しょうはいつながる。

剣道にかぎらない。どんなスポーツも同じだ。勉強も、生きることも、全ては今のかさねなんだ。今をおろそかにして、なぜ強くいられると思った」


涙が引っんだ。俺が泣いていたのは、負けてくやしかったからじゃなかった。負けた自分がみっともなかったからだった。だっただけだった。当然一番になれると思って、おごっていた。めていた。

じいちゃんはそんな俺のあまったれた心を見抜みぬいて、ぴしゃりと、くだいたのだ。

結局そのあとも、俺はやめずに6年まで剣道を続けた。最後の大会では3位になった。

3位になったことより、げずに戦った事をじいちゃんはめてくれた。


中学に入り、サッカーをやりたいと言った時も、じいちゃんは「やりたいことをやればいい」と言ってくれた。本当は剣道を続けてほしいと思っていたに違いない。だけど、当時の俺は何か新しいことをやりたかったんだ。


サッカーは新しい発見の連続で楽しかった。何より、いろんな個性のある仲間と一緒にプレーするのが楽しかった。パスを出す、受ける、そんな基本のことが剣道とはまた違った感動だった。

サッカー部にはおさななじみの界登かいとがいた。その時界登かいとすでに地元ではかなり有名な選手だったが、初心者の俺に色々教えてくれた。

界登かいとは、ミスをしたって取り返しゃいいんだよというタイプだった。でも実際に、界登かいとは自分のミスを自分で消しに行く。ある意味、今と、未来しか見ていないのかもしれない。俺にはそんな界登かいとがまぶしい。

俺のミスで失点した時も、大丈夫大丈夫、俺が取り返してやるよ。と言ってくれ、本当に2ゴールを決めて逆転してしまった。


サッカーは足でボールをあつかうのでミスは多くなる。自分のせいで失点したりすればそりゃあ責任も感じる。それでも俺にはあの時のじいちゃんの教えがあったから乗りえられた。ミスはいったんわきに置く。今やるべきことを考え、それだけに集中する。ミスを気にしていたら、最善さいぜんのプレーはできない。わきに置くといっても完全に忘れているわけではない。コンビネーションの部分のミスなら、試合が途切れたタイミングで少し話し合って解決する。試合が終わってから思い出して反省することもある。次同じ場面になったらどうするのが一番いいか、自分なりの結論けつろんを出す。



界登かいとは少しじいちゃんとている。それは勝負の世界でまっすぐに生きているところだ。界登かいとはいつでも自分が最高のプレーをすることにこだわる。余計よけいなことを考えない。目の前の1個のボールと1つのゴールだけに向かって、ただひたすら前進する界登かいとの姿が、薄暗うすぐら道場どうじょうの中で静かに竹刀しないを振り続けるじいちゃんのかげかさなった。

古い木造のゆかがきしむ音、かべにしみついた汗のにおいがよみがえって鼻の奥がツンとした。久しぶりに道場をのぞいてみよう、と俺は思った。

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