第49節 神は細部に宿る【DF4 花村樹】

俺のポジションはセンターバック。最後のとりでがゴールキーパーなら、その前に立ち、ゴールを守る衛兵えいへいのようなものだ。

サッカーの花形はやはりフォワードだろうが、俺はわりとこのセンターバックというポジションが気に入っている。


選手権の県大会決勝、俺たちは18本ものシュートを打たれた。それでも、1点もゆるさなかったのは、みんなで身体をった結果だ。どっちのチームも必死で勝ちに来ているこんな試合では、勝敗しょうはいなんてほんのわずかなものだ。

京太朗ケイのゴールだって、ワンタッチのパスがうまくつながったからだし、びるように打たれたシュートも、ほんの足一歩分のせがあったか、なかったか、くらいでしかなかったと思う。


ほんの少しのこと。それは俺がずっと大切にしていることだ。細かなことをおろそかにしない。たとえば相手が前線にパスを出したとき、俺と相手のフォワード、どちらが先にボールにさわれるかという競争になることがある。きわどい時はもちろん全力で行くが、相手のパスが合わずに相手のフォワードは追いつけないかも…というタイミングであったとしても、俺は最後まで全力で追いかける。


それはなぜか。


中学の時のにがい経験があったからだ。試合中、同じような場面で俺は止まった。ボールはそのままラインをり、ゴールキックになる…そう思ったからだ。だが、前日にった雨のせいか、それとも中学のれたグラウンドだったからか、とにかくラインの手前でボールは失速しっそくした。クリアしようとあわてて走りだしたが、相手のフォワードはすでおれの前にいた。先にボールにいついたその選手にラストパスを出され、失点した。相手はあきらめなかった。俺は油断ゆだんした。そのちがいだった。


今の監督かんとくふえるまで絶対に止まるなと言う。

ボールはラインをるまで生きていると言う。


わかっているようで、つい「このくらいなら」と思ってしまう事。「大丈夫だろ」と思って安心してしまう事。それを最後まで追求ついきゅうさせる。


たとえ練習であっても、監督は妥協だきょうをしない。100m走れと言われてゴール前でスピードをゆるめようなら、距離きょりびる。本数がえる。


「想像してみろ、もしお前がゴールをねらいに行っている選手で、最後までくらいついてくるDFと、途中とちゅうあきらめるDF、どっちを相手にするときフォワードとしてやりやすいか? みんなはどっちのDFになりたいんだ?」


「練習でやらないことを試合でできると思うな!」


そのおかげで隼高はやこうに入ってから、俺のスタミナはかなりついた。途中とちゅうでセーブしなくても、試合終了まで走り切る自信がついた。


あの決勝戦で清永高せいえいこうはなった18本のシュートのうち、半分くらいはちゃんとしたクリアじゃない。シュートコースに飛び込んで背中や足の先にててぎりぎりでコースを変えたものだ。二次攻撃にじこうげき三次攻撃さんじこうげき五月雨式さみだれしきに打ってくるシュートをことごとくふせぎ切ったのは、隼高はやこうのメンバーが、ディフェンダーだけでなく全員が、相手のシュートの前に立ちはだかった結果。「ほんの少し」を全員でみ上げた、結果なんだと俺は思っている。

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