第31節 エピローグ

ドアがゆっくりと閉まって、最後にパタンと小さな音を立てる。

ロッカールームの静けさは、しょうに昨日のことを思い出させた。


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最後の練習を終えた翔は急いで駐輪場ちゅうりんじょうに向かっていた。約束していたわけではないが、きっと柑那かんなが待っているだろうという予感よかんがあったからだ。しかし、翔の期待とは裏腹うらはらに、そこはがらんとして静まりかえっていた。

どこかにかくれて翔をおどろかそうとしているのではないかと、未練みれんがましくキョロキョロと見回みまわしたが、人の気配けはいはなかった。かたを落として戻ろうとしたその時、自分の自転車のカゴの中に何か青いものが入っていることに気がついた。


なんだろう?

入っていたのは1さつのノート。手に取ると、はさんであったらしい紙がひらりとった。


あわてて拾い上げる。そこにあったのは何度か見たことがある、柑那かんなの字だった。


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今までの私たちのやりとりを全部、

このノートに書いておきました。


今では翔くんだけじゃなくて、サッカー部のみんなが、それぞれおたがいをささえ合っていけるチームになったよね。だから、もう大丈夫。


優勝することはサッカー部の今年の目標で、みんなの夢だったけど、私の夢でもあったの。ずっと、こんな日がきたらいいなって思ってた。

そしてきっと明日、翔くんたちがみんなの夢をかなえてくれるって信じてる。

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柑那かんな……?


翔はクシャッとその手紙をにぎりしめると、ノートをかかえたまま駐輪場を飛び出した。冷たい風が横殴よこなぐりにけて、植え込みがさわぐ。

むねの辺りがザワついて、身体のど真ん中をギュッとつかまれたように息苦しい。


学校中を走り回ったが、グラウンドにも、校舎のかげにも、柑那の姿はなかった。まるで、最初からいなかったように。


東京に向かうバスの中で、翔は再びノートを開いていた。

柑那と話した、たくさんのことが事細ことこまかに書かれてあった。1ページ1ページ、めくるたびに2人で話した時間が鮮明せんめいよみがってくる。まるでサッカーノートだな。翔はめるように、いつまでも読み続けていた。


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ロッカールームでの準備を終え、何気なく再びノートを開いた翔は、バスの中では気がつかなかった最後のページがあることに気づいた。

もう1ページ続きがあったのだ。そこには一言だけ。


You'll Never Walk Alone.

(君は1人じゃない)


さっきまではなぜか、もう2度と、柑那と会えないかもしれないと、翔は思っていた。


でも今は、目の前に柑那がいるのを感じる。柑那がいつものように笑っている。


「またいつでも会えるよな」


翔は柑那に問いかける。

そして青いノートを、ロッカーの荷物の1番上にせた。


ありがとな。行ってくるよ。


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翔が1人でロッカールームを出ると、とっくにグラウンドに向かったと思っていた仲間なかまが笑顔で待っていた。


「行こうぜ」

西が翔を呼ぶ。


「ああ、行こう」


翔は静かに答え、みんなの間をって先頭に立つとグラウンドに向かって歩き出した。不規則ふきそくなスパイクの足音が心地よいリズムをきざむ。


翔たちが姿すがたを見せると観客は総立そうだちになり、ボルテージはさらに上がった。


相手チームの選手がそっとボールをセットする。センターサークルの外側には、界登カイ京太朗ケイが左右対象たいしょうに並び、ゴールを見据みすえた。


翔は自陣じじんのど真ん中に立ち、大きく深呼吸をして空をあおいだ。この瞬間しゅんかんが好きだ。ピッチの全てを掌握しょうあくしたような気分になれる。


ひんやりとした空気の中に、身体から何かが、今にもき出しそうだった。

無意識むいしきにユニフォームの左胸ひだりむねを強くつかんでいた。

言葉にならない声がのどふるわせ、それにこたえるように11人分の声が合わさりピッチにこだまする。


審判しんぱんが時計から目をはなし、スローモーションのように手をばす。


このメンバーで走る、最後の試合。


カラフルにまったスタンドが一瞬の静寂せいじゃくの後、始まりのふえと共に大きくれた。

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