第29節 ワクワクを原動力にする

その日、サッカー部の部員たちは少しソワソワする気持ちで集まっていた。

なぜか、しょうの姿が見当たらない。

いつもはにぎやかな着替きがえ中も誰も言葉をはっさず、おたがいがさぐるような雰囲気ふんいきになり全員が無口になる。布のれる音だけがせまい室内にひびいていた。

と、バタバタという足音が近づいてきて、宇佐見うさみれん興奮こうふん気味ぎみにドアを開けて入ってくる。


初戦しょせんの相手、香澄かすみに決まったぞ!」

「今、しょうがちょうど帰ってきててさ! 先に聞いてきた!!」


おおーっ、と声が上がる。隼高はやこうの全国大会初戦しょせんの相手が香澄かすみ高校に決まったのだ。


「やべぇな。香澄かすみ高って夏ベスト4だったよな?」

「ビビってんの?」

「まさかぁ」

「楽しみでしかねぇってこと!」

「やってやろーじゃん」


みんなほっとしたようにおしゃべりを始め、笑顔になる。

職員室しょくいんしつ報告ほうこくを終えたしょうも戻ってきて、さらに部室はり上がっていた。


香澄かすみの情報、持って来たわよ!」


また元気よくドアが開いて、入ってきたのは大竹来未くるみだった。


「マジかよ来未くるみちゃん、早すぎ!」


「もちろんよ!どこが来てもOKな準備はしていたもの!」

と、ウインクする来未くるみかりはない。


来未くるみは中央のベンチの上をさっと片付けるとそこにノートパソコンを広げ、手際てぎわ良く香澄かすみ高校の試合映像えいぞうを流し始める。みんながかさなるように画面をのぞき込むと、来未くるみは待ってましたとばかりに相手選手の特徴とくちょうを説明していく。


最早もはや、スカウティングにかんしては、全員が来未くるみ全幅ぜんぷく信頼しんらいせていた。兄の大竹ですら、来未くるみの意見には一目いちもくいている。


説明をひと通り聞いたあと、みんなは高揚こうようする気持ちをおさえられずにグラウンドに出た。その日の練習はいつもより活気かっきあふれていた。いつにもして元気な声が出る。練習時間があっという間に感じた。


練習を終え、着替えるとしょうはまっすぐに駐輪場ちゅうりんじょうへ走った。


柑那かんなさむそうにコートにくるまっている。

「ゴメン、待たせた?」


しょうが心配そうに聞くと柑那かんなは白い息をきながら首をって、手招てまねきしてしょう校舎こうしゃさそう。柑那かんなが入って行ったのは翔たちが初めて会った、2年生の教室だった。


「いいのかよ、勝手に入って??」


戸惑とまどしょう傍目はため柑那かんなは一つの机に近づく。翔はあっ、と気が付いて思い切って声を出す。


「2年の時、柑那かんなが座っていたのもその席だったね」


しょう平静へいせいよそおいながら手近てぢか椅子いすを引っるとまたぐようにして座り、背もたれにひじをつく。

「あれからもうすぐ1年か」


精一杯せいいっぱいな翔の言葉を聞いているのかいないのか、柑那かんなはコートを着たままぴょんと机の上に腰掛こしかけると、足をぶらぶらさせながら話し出す。


「どう? もうすぐ全国大会でしょ。緊張きんちょうしてる?」


しょうたちにとっては初めての全国大会。

おそらく予選で当たった清永せいえい高や駒越こまごえ高のような、強豪きょうごうチームが次々に出てくるに違いない。攻撃力こうげきりょくのあるチーム、組織力そしきりょくでやってくるチーム、守備しゅびがめちゃくちゃかたいチーム。どの相手も手強てごわい。

1試合1試合が、どちらが勝ってもおかしくないような、ヒリヒリした勝負になるのだろう。


不思議ふしぎなんだよな」


しょうはなぜか柑那かんなの顔を見られず、れる柑那かんな足元あしもとに目を落とした。


「今はさ、ただワクワクしているんだ。

負けたらどうしようとか、強い相手と当たったらどうしようとか。緊張きんちょうせずいつも通りやれるだろうかとか。そんな不安がないわけじゃないけど、全国でやれる! っていう楽しみの方が、今は勝ってる。


部活もさ、最近楽しいんだ。きついことはきついけど。今日は何があるかなとか、何ができるようになるかなとか、それが面白くてさ」


「いいじゃない。毎日ワクワクして過ごせてるなんて、こんな幸せなことないと思うわ。

全国行って、自分たちの力試ちからだめしができる。もちろん、優勝してくれるんでしょ?」


柑那かんなこしをかがめてしょうの顔をのぞき込んだ。


「1年前のしょうくんなんてさ、いっつもむずかしいカオして、1人でグラウンド走ってたのに」


と言って柑那かんな眉間みけんに人差し指をあて、シワをよせてみせた。


「そんな顔してねぇって!」


しょうが少し腰をかすと、柑那かんなはのけぞるようにして翔の攻撃こうげきわし、アハハと声をあげて笑う。


「いいチームに、なったよね」

めるように、柑那かんながつぶやいた。


柑那かんなのおかげだよ」

しょうかすかな声で言う。


「帰ろっか。先生に見つかっちゃう」


柑那かんなはペロリとしたを出してストンと床に降りた。

低く差し込んだ夕陽が柑那かんなの顔を赤く染める。長いかげが教室の中に伸びていた。はずむような足取りでトントンと廊下ろうかに出ると後ろ手にくるりと振り返り、

「初めて呼んでくれたねぇ、名前」


めずらしく真面目まじめな顔を残し、け去っていった。

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