第20節 ケガしていてもできること

怪我けがをした杉山すぎやま界登かいとがまたボールがれるようになるまで数ヶ月との診断しんだんだった。


部活終わりに病院へ寄ったが、しょうたちは面会めんかい拒否きょひされた。


「せっかく来てくださったのに、ごめんなさいね。まだ気持ちの整理せいりがつかないみたいなの」


界登かいとのお母さんがもうわけなさそうに言ったが、しょうたちはただ頭を下げることしかできなかった。


界登カイ、やっぱりおれらのことおこってるのかなぁ……」

「そうだよなぁ。全国、行きたがってたもんな」


考えても考えても、界登かいとの気持ちは翔たちにははかれなかった。ただ、界登かいとが自分の怪我けがと、将来の夢との間でぐちゃぐちゃになっているだろうことは想像できた。


時間が解決かいけつしてくれるだろうとは思うが、何もしてあげられない自分が、歯痒はがゆかった。


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新学期が始まっても、界登かいとは部活に顔を出さなかった。


界登カイ退院たいいんしたんだよな」

「うん、先週な」


「やっぱさ。界登カイがいないと、静かだよな」

「なんかな。物足りないよな」


部室で着替えながら、誰ともなく主人しゅじん不在ふざいのロッカーを気にしていた。心なしか、みんなの元気もないように思える。


「俺、先帰るわ」


そう言って部室を出た市川雪之丞ゆきのじょうは、言葉とは裏腹うらはら校舎こうしゃの方へまっすぐ歩いて行く。

職員室の前で息をととのえると、いきおいよくドアを開けた。古い校舎こうしゃはガラガラと重い音を立てる。


「先生!」


監督かんとくが顔を上げて、「おう、市川いちかわ」と手招てまねきをする。


何から話そうか、と市川がもぞもぞしていると、監督は紙コップに冷たい水を入れて、「まぁ、一息ひといきつけよ」とうながした。


おそらく監督かんとく市川いちかわが何を話したくてきたのか、わかっていたのだろう。けれど、監督は市川が話し始めるのを、ただだまって待っていた。


市川はぐいっと水をして、まっすぐに監督の方を見た。


界登カイ……いや、杉山すぎやまのことなんですけど」


話し始めると、一気いっきに言葉があふれ出た。

自分にとって界登かいとがどれだけ大事な存在なのか、界登かいとがどれほどまでに本気でプロになりたいと思っていたのか、そして、きっと今、想像そうぞうもできないほどくやしい思いをしているのだろうということ。それに何より、


おれ、また界登カイとサッカーしたいんです。

このまま、卒業そつぎょうするなんていやなんです。

選手権せんしゅけん界登カイと一緒に全国目指めざしたいんです」


市川いちかわ必死ひっしなみだこらえてうったえた。


「もちろんだ。先生も杉山をこのままにしておこうとは思ってないよ」


監督かんとくからになったコップに新しい水をそそぐ。


「だけどな。多分杉山には、俺よりも市川の言葉の方が、ずっと伝わると思うぞ。今先生に言ってくれたことを、そのまま伝えればいい。そりゃ、すぐには伝わらんかもしれんが、必ず伝わるはずだ。大事な、友達なんだろ?

先生は、そうやって仲間のことを大事に思ってくれる市川の気持ちがうれしいよ」


市川が職員室しょくいんしつを出ると、気まずそうに立っているしょう西にしがいた。


「立ち聞きしてたわけじゃなくて、あの、僕も界登カイのことで監督かんとくに相談に来たんだ」


俺も、と西がボソッと低い声を出す。


「だけどさ、市川イチが十分話してくれてるって思ったらから、入るのやめた。市川イチまかせようと思って」


なっ、と言いながら西に同意どういもとめると、西にしかべりかかったままで、おう、とまた小さい声で言う。


「ありがとな。市川イチ

明日、界登カイのこと部活ぶかつさそおうぜ。行きたくないって言われたら、また明後日あさってさそいに行けばいいさ」


「うん。俺、毎日さそいに行く!」


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それから数日後の放課後。

窓の外から野球部のにぎやかなけ声が聞こえてくる。吹奏楽部すいそうがくぶのトランペットやクラリネットがせわしげに、り返し音階おんかいのぼったりりたりする。

部活に出ないとなると、なんと時間がたっぷりあることか。かといって早く帰ろうという気持ちにもなれず、界登かいと喧騒けんそうを聞きながらのろのろと帰り支度じたくをしていた。

と、通りがかった監督かんとくが窓から中をのぞみ、声をかけてきた。


「杉山、ここにいたのか。ちょっと来てくれ。杉山にお客さんだ」


界登かいとあわてて荷物を肩にかけた。界登かいとが連れていかれたのは応接室おうせつしつで、足をみ入れたこともないその空間を監督の背後はいごから怪訝けげんそうにのぞくと、中で待っていたのはくだんのスカウトだった。


「やあ、君が杉山くんか! こうやって会うのは初めてだね」


まぶしいほどにさわやかな笑顔で立ち上がった彼が差し出した名刺めいしには、とあるJクラブのエンブレムとロゴが入っていた。


怪我けがの具合はどうだい?」


杉山をうながしつつ座ると、彼はあたたかな眼差まなざしを向けた。

「僕の現役時代を知っているかな?」


えっ、と名刺をもう一度見たが、記憶きおくになかった。

はっはっは、とかろやかに笑いながら彼は続ける。


「無理もないな、君はまだ生まれていないだろうし、僕はどちらかといえば無名むめいな方の選手だったしね」


廣澤ひろさわさんは、Jリーガーだったんだよ」

監督かんとくがフォローする。


「まぁ、知らなくても無理はないよ。当時は日本人も外国人選手も、有名なスター選手がいっぱいいたからね。まぁプロのサッカー選手としては僕はそこそこだったけど、スカウトとしては結構けっこう有能ゆうのうなほうだと思ってるんだよね」


廣澤ひろさわおだやかな表情をくずさず、話を続けた。


「君が怪我けがをした試合、ぼくはスタンドで見ていたんだよ。

あの時、君は何を考えていたのかな? 教えてくれるかい?」

「時間がないってあせってました。点を取らなきゃって」

「うん。そうだね。それは伝わってきたよ。どうして点を取りたかったの?」

「アピールしたかった。スカウトが来てるって聞いて……」

「僕に見せたかったのかな?」


界登かいとはカッとほおを赤くめ、うつむいた。


「ゴール取るしかないって思っていました。だけど、今思うと、あの時のおれはチームの勝利しょうりのためにじゃなくて、自分がアピールすることしか考えてなかったのかもしれません」


ほう、というような表情を見せ、廣澤ひろさわ界登かいとの言葉に続ける。


「で、今はどうしているんだい?」

「怪我したこととか、全国に行けなくなったこととか、しばらくサッカーができないってこととか、全部ぜんぶいやになってむしゃくしゃして……たりして……チームのみんなや、お、親にも……。

部活もずっと休んでて……どうせ行っても何もできないしって思って、みんな心配して毎日声かけてくれるんですけど、それがまた鬱陶うっとうしく思えたりして。

なんか……なさけないっすね、俺」


界登かいとひざの上でこぶしにぎりしめた。


「誰のせいでもないのに。誰かのせいにして。心配してくれるみんなをうるさいって思ったりして」


廣澤ひろさわはうん、うん、としずかな相槌あいづちをうちながら界登かいとの話を聞いていた。


「そうだね。君はいろんなことを見失みうしっていたのかもしれないね。でも、今はそれに気付いているんじゃないのかな。

私はね、以前いぜんから君のことを見ていたんだ。だから、君の良さはわかっているつもりだよ。同時に問題点もんだいてんもね。

君にはシュートへのアイデアがある。それに、かんがいい。ピッチのどこにいても、ゴールの位置を把握はあくしているんだ。だから、どんな体勢たいせいからでも正確せいかくにゴールへ向かうボールをれる。

ただ、この前のような時は、一番大切なことを見失みうしなう、そこがウィークポイントになっている」


界登かいとは何も言い返せず、ただ目を見開みひらいていた。


「僕はね、君がそのポイントを強化きょうかできたら、プロでも通用つうようするフォワードになれると思っている。でも今はまだダメだ。プロには、はるかに上手い選手が山ほどいる。その中にほうまれたら、今の君はやるべきことを見失みうしなってまたあせりだすだろう。自分の長所ちょうしょがわからなくなり、活躍かつやくできずにすぐ消えてしまう。僕はそういう子たちをたくさん見てきた。

だから杉山くん、大学に行く気はないかい?」


思いもらぬ提案ていあんに、界登かいとが答えられないでいると、廣澤ひろさわうす冊子さっし界登かいとの方へ押し出しながら続けた。


「ここの監督かんとくさんが君のような選手ならぜひ育ててみたいとおっしゃっていてね。

ぼく信頼しんらいしている監督さんだ。彼の手腕しゅわん間違まちがいないよ。サッカーだけでなく、人としても成長できるはずだ」


廣澤ひろさわおだやかに、さとすように話す。


才能さいのうかすもころすも、自分次第だ。

くさっているひまがあったら、今何ができるかを考えてごらん。

今やれることをやらなかったら、君はここに立ち止まったままだよ。

4年後、君が前に進めていたら、僕はまた君に会いに来よう。どうかな」


「ありがとう、ございます」


界登かいとの声はふるえていた。

帰りぎわ廣澤ひろさわは大事なことを忘れていたよ、と言いながらもう1枚の名刺めいしを取り出した。


「僕も現役時代は同じ怪我けがで苦しんだんだ。

その時お世話になったトレーナーがいるから、ここをたずねてみるといいよ。口は悪いがうでたしかだ」


颯爽さっそうと風を切るように部屋を出て行く廣澤ひろさわの後を追いながら、

お前はここでいいよ、と松葉杖まつばづえの杉山を気遣きづかうように監督かんとくが言った。

界登かいとは部屋の前まで出ると、遠ざかる後ろ姿に向かって深々ふかぶかと頭を下げた。しばらく顔をあげられなかった。その手には、廣澤ひろさわから受け取った2枚の名刺めいしと、大学案内の冊子さしがギュッと、強くにぎりしめられていた。


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「ラインそろえろ!」

球際たまぎわしっかり行けよ! 雰囲気ふんいきだけせてもこわくねぇぞ!」

京太朗ケイ! もらいに行くな! 呼べ!」


翌日のグラウンドには、界登かいとの大きな声が途切とぎれることなくひびいていた。


駐輪場ちゅうりんじょうの2かいから、しょうたちの練習を見て指示しじを出す。休憩きゅうけいで練習が中断ちゅうだんすると、松葉杖まつばづえ片手にグラウンドにりてきては修正点しゅうせいてんを伝えてくる。特に、服部はっとり京太朗けいたろうのポジショニングには事細ことこまかに注文をつけた。


練習後にしょう界登かいとそばに歩みり、サンキューな、と声をかけた。

監督かんとくが2人になったみたいだったぜ」


おれさ。今まで、自分のことばかり考えてた。チームプレーだって、わかってるつもりで、本当のところは口ばっかで何もわかってなかったんだ。京太朗ケイえらそうに言っといてなんだよ、だよな。情けねぇよ。

怪我けがをして、プレーできなくなって、やっとわかった。すげぇみんなにささえられてたってこと。今までみんなが俺を信じてボール出してくれてたってこと。俺一人じゃ、ゴールなんて取れねぇってこと。今の俺は試合どころか、ボールをることすらできなくて、つまずいてるけど、でも、まだ、遅くねぇよな」


杉山は一生懸命いっしょうけんめい言葉をつむいでいた。


「僕は……界登カイあせっていることに気づいていたのに、止められなかった……。

界登カイの気持ちわからないでもなかったしさ。でも、キャプテンとして、止めるべきだった。そしたら、お前は怪我けがしなくてんだはずだ。

本当に、ごめん」


「翔のせいじゃねぇよ。俺自身の問題。

怪我けがした後もみんなが気遣きづかってくれたのを、ねつけたりしてさ。本当、ガキみたいだよな。

俺こそ、こんな大事な時に迷惑めいわくかけてごめんな。

そのかわり、京太朗ケイのことビシビシ育てるからさ!

全国、まだ諦めてないぜ」


「うん。約束だ。早くなおせよ。それまで勝ち残ってみせる」


翔は差し出された界登かいとの手を強くにぎった。界登かいと精一杯せいいっぱい演出えんしゅつした笑顔とは裏腹うらはらに、指先に伝わってきたのはかすかなふるえだった。

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