第18節 ミスコミュニケーション

残暑ざんしょのせいか、集中力しゅうちゅうりょくが続かない。

監督かんとくのゲキがとぶのも、いつもより多かったような気がする。


今日の練習の時、監督の指示にしたがわなかった選手がいた。

いや、意図的いとてきしたがわなかったのか、あるいは単純に指示がわかっていなかったのか、とにかくうまくいかなかったのは確かだ。監督は何やってるんだという顔をしていたし、部員たちはなんとなく不満ふまんそうな顔をしていた。何を改善すればいいのかわからないという、モヤモヤが、余計にしょう憂鬱ゆううつにしていた。


「お疲れさまー!」


いつものようにむかえてくれた柑那かんなの明るい声に、しょうは心からほっとした。


監督かんとくって孤独こどくよねぇ」


やはり、柑那かんなも今日の一部始終いちぶしじゅうを見ていたらしい。


「言いたいことの半分も伝わってないんじゃないかしら」


「えっ、でもさ。監督の指示が伝わってないって、マズくない?」


「うーん。それはねぇ……」

柑那かんなはしばし思案しあんしていたが、


「じゃあさ、私のいう通りにやってみて?」

と立ち上がり、翔の後ろに回ると背中同士をくっつけて座る。

柑那の温度が背中越しに伝わってきて、翔は着替えの時しっかり汗をいただろうかと、急に心配になった。


「ね、私が今から言う通りに、くんだよ? こっち見ちゃダメだからね」


柑那かんなは自分のかばんからノートを取り出すとビリリと一枚破り、シャープペンシルと一緒に背中しに翔にわたしてくる。


「まず小さな丸と、その中に小さな点を描くの。

それから、ちょっとだけはなしてとなりにもう一つ同じのを描いてね」


翔は言われるがままに丸と点をく。

その後も柑那かんな縦線たてせんいて、とか山をいて、などとあれこれ指示を出し続け、翔たちはしばらく丸や点を描いたり、線を引いたりしていた。何ができあがるんだろう、と翔がいぶかしみはじめたころ突如とつじょ「はい出来上がり!」 と言った柑那がぐいと翔の背中に寄りかかるようにして体を反転はんてんさせる。


「どんな絵になった?」

と言いながら翔の描いた絵をのぞき込んでプハッと吹き出した。


翔の紙に出来上がっていたのは、この世のものとは思えないうつろな目をしたなぞ生物せいぶつだった。


「正解は、これ!」

柑那が手にしたノートには最近はやりのキャラクターがあいらしく微笑ほほえんでいる。


「どうして翔くんのは、こうならなかったのでしょうかー?」

可笑おかしくてたまらないというように柑那はクスクス笑い、


「でもね、多分10人いたら10人とも違う絵になると思うから」

と軽くフォローした。


「私は完成形が分かってる状態で描いているから、当然出来上がりはこうなるんだよね。

だけど、翔くんは何を描くか聞かされていなかったでしょ。

だから、今自分が描いているのが目なのか、それとも鼻なのか、はたまた生き物なのか、物質ぶっしつなのか。そんなことすら分かっていなかった。言われるがままに丸、点、線を描いていたんだよね。しかも私は短い線とか、小さな丸とか、抽象的ちゅうしょうてきな言い方をしてたから、余計よけい誤差ごさが生まれるってわけ


柑那は右手の指を翔の絵に、左の指を自分の絵にすべらせる。


「例えば目の位置。私のよりも翔くんのはり目がちだよね」


「ちょっとはなして2つの丸を描いて、って言われたからそうしたんだけど……」


「つまり?」


「僕のちょっとはこのくらいで、望月のちょっとはこのくらいで?」


「そう! その『ちょっと』の感じ方が私と翔くんではちがったわけだ。

そういうちょっとしたズレがかさなって、翔くんのは最終的にそういう絵になった、ってこと。


同じものを描いたはずなのに、出来上がりが違う。それって、翔くんと私の、言葉のとらえ方がちがっているからだよね。

自分がわかっているからって、相手もわかってるとは限らないし、わかっているようでも、実は違うように思ってたってことは大いに考えられる。もしかしたら全然、伝わっていないって可能性もあるんだよ。

実際やってみたら、わかるでしょ?」


「うん」


翔はみょう納得なっとくして、この絵描き歌を今度ミーティングでやってみようかなと考えていた。実際やってみた方が、みんなにもわかりやすいだろう。あとでもう一度、柑那に教えてもらわなくては。


「ましてやサッカーなんて一つのプレーにたくさんの人がかかわってくるでしょ」


と柑那は続ける。


「例えば、こういうシチュエーション、想像してみて。

翔くんが大竹タケくんに向かって出したパスが、長すぎてとおらなかったとするでしょ。

そんな時、翔くんは次にどんなパスを出す?」


「前に伸びすぎたってことは、もう少しゆっくりのパスを出すか、大竹タケに合わせてパスのタイミングをおくらせるか、だな」


うんうん、と何度もうなずいたあと、「はたしてそうかな?」と柑那は言った。


「翔くんは大竹タケくんに合わせようとしたってことだよね。でも、大竹タケくんは何もせずパスを待っていると思う? 同じように、大竹タケくんも翔くんに合わせようって思ったかもしれないのよね。つまり、もっと早くスタートしたり、もっと早く走ったりするかもしれないってこと。

そしたら、次のパスは今と同じでいいってことになる」


「確かに……お互いに自分が合わせようってなると、またずれる可能性があるって事か」


「そういうこと! 逆に、お互いが次は合わせてくれるだろうって思ってたら、また同じ失敗のり返しになるでしょ。

どっちが正しいかは相手や試合の展開てんかいによっても変わると思うの。

そういう時に、ピッチにいるメンバーで少しでもコミュニケーションをとり合うことって、少なからず大切だと、私は思うのよ。

次は俺が合わせる! なのか、合わせてくれ! なのか、もう一度同じように欲しいとか、そういったジェスチャーや要求ようきゅうをし合うことだけでも、試合の中で改善かいぜんしていけることがあるでしょ?」


「うん……まよったりする場面が少なからずあるよな」


「そう、それ! うまくいっている時には、何となくうまく回るの。でも、一度上手うまく回らなくなると、おたがいが疑心暗鬼ぎしんあんきになって、どっちが正解せいかいなの? ってまよはじめる。そうすると、どんどんズレが生まれていくのよ。

その時に、どっちが正解とかじゃなくて、次はこうしよう! っていう意識いしき確認かくにんがあれば、まよいもるでしょ。うまくいっていない時ほど、コミュニケーションが必要ひつようってのはそういうことよね。


もちろん、試合中しあいちゅうに話せることなんて限界げんかいがあるわ。だから普段の関係性かんけいせいが、きてくるってわけ。きっとこういう場面ではあいつならこうするだろうっていう予測よそくが立てられるようになる。ちょっとした合図あいずだけで、わかり合えるようになる」


「確かにな、僕はがくのことならだいたいどのタイミングでどこにボール出すとか、想像できるもんな」


「その通り! それは選手同士だけでなくて、当然、選手と監督かんとくにも当てはまるよね。監督かんとくは選手とは全くちがう立場だし、監督かんとく自身はプレーできないわけだから。もしかしたら、選手同士以上に意思いしちがいがうまれるかもしれない。普段ふだん練習れんしゅうでどれだけ伝えられるかだと思うし。もしわからないこととか、納得なっとくのいかないことがあったら、選手の方からもどんどん聞くべきなのよ。この解釈かいしゃくっているのか? っていう、確認かくにんだよね」


「僕たち、監督かんとくに言われるままになってて、自分たちの考えとか全然ぜんぜんつたえられてなかったのかもな。監督かんとくなら僕たちの考えや意見いけんもちゃんと聞いてくれる人だってわかってるけど、今まで言われることをやるばかりで、こっちからは全然ぜんぜん伝えてこなかった気がするよ」


「いくらいつも一緒にいたって、おたがいのことを完璧かんぺき理解りかいするなんて、不可能ふかのうなのよ……だからこそ、コミュニケーションをとって、少しでもわかり合おうとするんじゃないかしら、私たち」


最後は自分に言い聞かせるように柑那かんなはつぶやいた。

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