第9節 壁にぶつかったとき

2つ年上の兄の影響で、しょうがサッカーを始めたのは、小学校に入るちょっと前だった。

近くのサッカークラブへ入ったが、そのクラブにちょうど同じタイミングで入ってきたのが近所に引っ越してきたばかりの美波みなみがくだった。


同級生だったこともあり、2人はすぐ仲良くなった。

小学校へ入学した後も、ずっと一緒にサッカーをしていた。2人とも地元の中学へ進学し、サッカー部に入った。お互いのボールの癖も好みも全部わかっていたから、よく2人の連携れんけいでゴールをとったものだった。12年近い付き合いだ。ボールを蹴る時はいつもがくが一緒だった。だから、がくのことはなんでも知っていると思っている。少なくとも、サッカーに関しては。


その日、全体練習が終わった後もがくは一人ボールを蹴り続けていた。だから、がくが蹴るボールを翔は黙って蹴り返し続けた。


がくは中2の頃から、セットプレーをまかされることが多くなっていた。がくの右足から蹴り出される正確なボールは、直接ゴールに吸い込まれることもあれば、ゴール前の選手の頭にピタリと合うこともある。


去年まではあまり試合にからむこともなかったのでその力を発揮はっきする場面は少なかったが、3年になってレギュラーになると、そのキックは隼高はやこうサッカー部の貴重な得点源とくてんげんになっていた。


翔からすれば、がくのキックは精度が下がった訳でも、ミスキックがある訳でもなかった。しかしがくはどうしても納得がいかないようだった。


翔は頃合いを見て、もう今日はその辺にしておけよ、と声をかけた。


「ああ、うん。付き合ってくれて悪ぃな」


「どうしたんだよ。がく、そんなムキになるなよ」


がくは怒ったような顔になった。がくは何も言わなかったが、言いたいことはわかったので、翔は素直に謝った。


「ごめん。話してくれよ。なんか思うところがあるんだろ?」


「この間の試合。俺、6回セットプレー蹴ってるんだ。でも1本もゴールにつながらなかった」


「確かにそうだけど、試合には勝ったじゃん。それに、相手校には結構背の高いディフェンダーがそろっていたし、セットプレーは不利だったろ?」


「そうだよ! 別に悪かった訳じゃない。でも、うちにだって市川イチとか、りゅうとか、ターゲットがいたんだ。どうしたらもっといいボールを出せるのか、どうしたら相手の取れないボールになるのか……そういうこと考えちゃったらさ。

なんかもやもやしてさ。練習してないと落ち着かないんだ」


生真面目きまじめがくらしい考え方だ。がくは目立つタイプでこそないが、地道に努力するタイプ、そうやって今までレギュラーをつかんできた男だ。


突然、翔の頭に柑那かんなと話したことが思い浮かんだ。まさしく、昨日2人で話したことではないか。


がくさ、多分、今壁にぶち当たってんだよ」


「壁」


「でもさ、その壁って、自分で望まないと生まれない壁なんだってさ」


「望まないと生まれない? どういう、意味?」


「うん、つまりさ。がくが前に進みたい、もっと上手くなりたいと思うから、抵抗ていこうする力を感じるんだ。それを世の中的には壁って呼んでるらしいんだ。もしさ、がくがこのままでいいって思うなら、無風だろ。壁、感じないだろ」


「確かに……」


「だからさ、壁に当たったってことは、がくが前に進んでるからなんだよ。

がくが前に進みたいと思うからこそ、壁を感じる。つまりその壁超えたら、なんか面白いことが起こるってことだよ。そう思うとさ、よっしゃ壁キターーー! って、ならない? ならないか」


がくがハハッ、と笑ってくれたので、翔はホッとする。実は、昨日の柑那かんなの語り口をそのまま真似まねしただけだ。


=================


昨日、翔が駐輪場へ行くと柑那かんなはいなかった。

早く来すぎたかな?


翔はイヤホンを取り出すと両耳に押し込み、最近ヘビロテしている女性歌手の歌を再生し、音量を上げた。グラウンドの方では1年生が自主練をしていて、元気な声が飛び交っているようだ。知らず笑みがれる。


と、右耳が急に静かになり、振り返ると柑那が翔の耳からイヤホンを奪ったところだった。

「何聴いてるの?」


外したイヤホンを柑那が自分の耳に近づけたので、翔の顔も一緒に引っ張られた。


「お、おい……」翔はあわてるが、柑那はそんな翔のことは気にしない。


LiSAリサ? いいよねー。

私もこの曲好き!」


柑那は言って、音楽に合わせて口ずさんだ。


乱暴らんぼうき詰められた トゲだらけの道も

本気の僕だけに現れるから 乗り越えてみせるよ♪


「これ、意味わかる?」


「意味?」


「そう。意味」。

柑那は鼻歌でもう一度歌い、翔の答えを待つ。


「意味なんて考えたこともないよ……」


「トゲだらけの道を通れるのは本気でやっている人だけって意味かなって、私は思う。

今のままなんとなく生きていければいいやって思ってたら、けわしい道を歩く必要、ないでしょ? だってそれって、前に進んでいるようで、実は立ち止まってるってことだもん。前に進もうと思うから、トゲだらけの道って現れるんだと思う。


今の翔くんたちみたいにさ。全国への道、通ろうと思わなくてもサッカーってできるわけじゃん。なんとなく、楽しく3年間やれればいいよねって。でも、みんなは全国を目指すことにした。それは大変なことだと思う。練習もきつくなる。メンバー同士の衝突しょうとつもある。競争も激しくなる。でも、それってみんなが本気で全国目指してるからこそでしょう??


みんなが、本気だからこそ、けわしい道を通れるんだよ。みんなが選んだ道なんだよ。

だから、大変だってことに、むねったらいいと思うの」


「僕、自分に技術がないから、大変なんだと思ってた」


「うん、逆だよね」


僕らが自ら、選んだ道。


「前に進みたいから、けわしい道を通る。ってことか」


柑那は優しく笑っていた。


=================


「確かに、」


がくが話し始めて、翔は現実に引き戻される。


「確かに、今のままで十分って思うやつもいるかもな。でも俺はもっと上手くなりたい。全国行ったら、厳しい試合もあると思う。でもセットプレーが武器になれば、そういう試合を勝っていける。俺はもっと精度せいどを上げたい。もっと、得点につなげたい。俺のキックで勝利したいんだ」


「できるさ! また明日もセットプレーの練習、しようぜ!

明日は他の奴らも、誘ってさ!」


「うん!!」


がくにいつもの笑顔が戻った。翔はほっとする。


「じゃあまた明日な」とがくと別れた後、翔は一人自転車で川沿かわぞいの道を走りながら、昨日の柑那が今日の翔たちのやりとりを予測していたように思えてならなかった。

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