第8節 部内恋愛 伊頼と波凪

「ねぇ来未くるみちゃん、監督かんとくのところにこれ届けてもらえる?」


波凪なぎは練習用のノートを2年マネージャーの大竹来未くるみに手渡す。

来未くるみは大竹伊頼いよりの妹だ。中学までは大竹と一緒にサッカーボールを追いかけるサッカー少女だった。女子としては相当な腕(脚?)前だったが、夢があるからと高校入学と同時にサッカーをすっぱりめてしまった。サッカー部のマネージャー兼データ係になり、将来はスポーツのデータ分析のプロになるため、大学進学を目指している。


来未くるみがノートをかかえ校舎の方へ消えると、波凪なぎはドリンクボトルの入ったカゴを運びながら、きわめて自然に1年生のかなでに話しかけた。


かなでちゃん、みきくんとお付き合いしているの?」


「いけませんか?」

かなでがキッと身構みがまえる。


波凪なぎはまさか、とやさしい表情を見せる。

この調子じゃ、キャプテンや西くんに言われたら余計に意固地いこじになってしまっただろう。なんとか頼むと翔から手を合わせられたことを思い出して、波凪なぎは心の中で笑みをもらした。

正解だったわよ、翔くん。


「知ってるでしょう? 私も伊頼いよりくんとお付き合いしてるもの。みきくんは幸せよね、かなでちゃんみたいな恋人がいて。きっと、かなでちゃんの存在で、勇気づけられてると思うわよ。

かなでちゃんはどうしてみきくんが好きなの?」


ポッとほおめ、かなでは打って変わって小さな声になった。

「どうしてって……かっこいいなって思ったから」


「あら、カッコいいなら、2年の天碧そらくんとか、1年の神山ガミくんとかも結構イケメンだと思うけれど」


波凪なぎはわざと、からかうような口調くちょうになる。


「だって! みきくんはサッカーしてる時、相手選手が来ても絶対退かないし、体投げ出してシュートブロックするとことか、すごい頼もしいっていうか……」


「よくているのね。みきくんのこと」


波凪なぎかなでにあたたかい眼差まなざしを向けた。波凪なぎは大竹に似た、落ち着いた話し方をする。


「サッカー選手って何歳までやれるか、知ってる?

もちろん、40、50過ぎてもサッカー続けている選手もいるけど、平均すると26歳くらいで引退するのよ。野球などに比べて、選手生命は圧倒的あっとうてきに短い。なぜかわかる?」


「90分走らなきゃならないし、コンタクトスポーツだから……」


かなでがおずおずと答えると波凪なぎはニッコリ笑う。


「そのとおりね。だから伊頼いよりくんは1日でも無駄むだにしたくないんですって。怪我けがしたらサッカーできなくなるって。普段でもお菓子とかほとんど食べないし、夜も11時には寝ちゃうのよ。バレンタインのチョコだって、あげても1個しか食べてくれないし、デートしてても、翌日の練習が早ければさっさと帰っちゃうし」


波凪なぎさん、それで平気なんですか? 私は嫌だな。自分と一緒の時くらい、サッカーのこと考えないで欲しい」


「最初は私もそういうとこ、寂しいって感じたこともあったわ。でもね、わかってきたの。

伊頼いよりくんにとって、サッカーが大事なように、サッカーをやってる伊頼いよりくんが、私も大事なんだって。2年の時にね、怪我けがして数週間ボールを蹴れない時があって。その間も筋トレとかやってはいたけど、どこか元気ないの。ああ、この人からサッカーとったら、ダメなんだってわかった。


だから、私も協力するようになって。そしたら、気にならなくなったの。むしろ、サッカーを含めた伊頼いよりくんのことがもっと好きになれた。しかも、伊頼いよりくんのことを考えて行動することが、他の部員のためにもなるってわかったら、マネージャーがもっと楽しくなってきたの」


「どういうことですか?」


伊頼いよりくんが怪我けがした時にね、アイシングやケアを他のチームがどうやってるのかなって調べたりしたの。他にも、栄養のことを勉強したりね。最初は伊頼いよりくんのためだけだったけど、それを他の部員にも伝えたら喜んでくれたの。そうしたら、私自身のやりがいにも繋がって。大学もね、スポーツ栄養学の勉強ができるところにしようと思っているのよ。


だから、かなでちゃんにも、そういうやりがいを感じて欲しいなぁって思ってるの」


「私、今でも十分幸せですよ。それに、なんか、そういうのって違うと思います。自己じこ犠牲ぎせいみたいなの」


「あら、私、自分を犠牲ぎせいにしているつもりはないわ。そう見える?

人ってたくさんのことを一度に考えるのって苦手みたい。特に男ってそうなのかしら?

だから、出来るだけサッカーに集中できるような環境を作ってあげたいと思ってるだけよ。私はサッカーやっている伊頼いよりくんが大好きなの。もちろん、伊頼いよりくんがサッカーをやめても、そばにいるつもりだけど。伊頼いよりくんが私を大切にしてくれるように、私も伊頼いよりくんのやりたいことを尊重そんちょうしたい。でも、ただ側にいるだけの女にはなりたくない、それが私の生き方。その中で私は自分のやりたいことを見つけたの。そうしたら、万が一、伊頼いよりくんとお別れすることになったとしても、私には残るものがある。

かなでちゃんにはかなでちゃんのやり方があると思うけれど、そうね。もしこれからもずっと、みきくんとお付き合いしていきたいと思うなら、サッカー選手としてのみきくんも含めて、尊重そんちょうしてあげたら、もっと楽しいはずよ」


「あの、私はみきくんの邪魔じゃまになってますか?」

かなでの顔が初めてくもった。


「そんなこと、ないでしょう?

そんなことないからみきくんはかなでちゃんと一緒にいるんだと思うもの。これからどうしていくかは、かなでちゃん自身が見つけていけばいいわ、これから。

みきくんだって、何かしてくれるかなでちゃんを求めている訳じゃないと思うのよね。そのままのかなでちゃんでいい。かなでちゃんの存在自体が、みきくんの勇気につながっていると思うもの。

でも、自分がみきくんと一緒にいることで、みきくんがもっとサッカーを頑張がんばれて、もっと周りから評価されて、そんな風になってくれたら、かなでちゃん自身が、今よりずっと幸せなんじゃないかしら」


「一緒にいることで、うまくいかないこともあるってことですか?」


「人間だからね。喧嘩けんかしたりすることもあるよね。でも、その喧嘩けんかを試合の日まで引きずらないようにしたりとか、試合の後はリラックスしてもらいたいなとか、そういうのは気にしてるかしら。

いつもいいコンディションで練習してもらいたいからね。まぁ、さっきも言ったように睡眠管理とか食事とか、伊頼いよりくんはそういうところ自分でやる人だから、私は実際、何もしていないけどね。伊頼いよりくん、22時以降は絶対返事返してこないもの。既読きどくすらつかないわよ?」


波凪なぎはクスッと思い出し笑いをする。


「なんか、大変ですね……」


「大変と思うかどうかは、自分次第よ。私もこう見えて、結構自分中心に考えてやってるの。22時すぎたら、私は読書タイムよ。普段忙しくて読めない小説を読んだりね。かなでちゃんもかなでちゃん自身がやりたいようにやってみたらどうかしら。

あとみきくんだったら、聞いてみればちゃんと答えてくれると思うわよ。かなでちゃんがどうしたいのか、みきくんがどうして欲しいのか、2人で話してみたらちょうどいいやり方がみつかるかもしれないわ」


「わかりました」

かなでの顔が少し明るくなった。


「あの……関係ないんですけど、もう一ついいですか?」


来未くるみさんて大竹先輩の妹ですよね? 先輩の波凪なぎさんと自分のお兄さんが同じ部活で、しかも付き合ってるって、来未くるみさんやりにくくないんでしょうか」


「さあどうかしら、それは来未くるみちゃん本人に聞いてみないと。私、来未くるみちゃんのことも小さい頃から知っているの。私にとっては本当の妹みたいよ。

そうそう、来未くるみちゃんが教えてくれたことなんだけど、バレンタインのチョコもね。伊頼いよりくん、大事に毎日1つずつ食べてくれてたのよ。ふふっ、伊頼いよりくんてああ見えて結構けっこう可愛かわいいところあるんだから」


波凪なぎのあたたかい口調が、引くしおのようにかなでの不安をさらっていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る