第20話、夕食後の時間
鍋にたっぷり入っていたカレーを綺麗さっぱり平らげ、多めに炊いていたご飯も完食してしまった。
満腹になった事で自然と瞼が重くなり、食事を終えてお皿を流し台で洗っている最中でも構わず大きな欠伸が出てしまう。
ソフィアの方も俺と同じように眠たいのか、隣で食器を洗いながら「ふわわぁ……」と小さく声を漏らしていて、その姿が何だかとても愛らしく見えた。
彼女は朝早くから配信を始める為、いつも夜の8時にはベッドに入って就寝するらしい。今は既に9時を過ぎていてそろそろ寝ないと明日に響くだろう。
『ソフィー、そろそろ部屋に戻った方がいいんじゃないか? 無理だけはしない方が良い。明日の配信に差し支えたら困るだろ』
『平気。頭の中でスケジュールはしっかり組み立ててあるもの。これから帰って歯磨きして、明日の配信内容を確認して、それからお風呂に入って……あっ』
頭の中で部屋に戻ってからの予定を確認しているようだったのだが、途中で何かを思い出したように手を叩いた。
『や、やっちゃったわ……。お風呂を沸かすの忘れてた……』
『そういやマンション着いた後、夕飯に必要な具材取りに部屋行って、それからすぐ戻ってきたもんな、ソフィー』
『ああもう……あの時、湯沸かし器のボタン押すの忘れてて……』
ソフィアは頭を手で押さえながらガックリとうな垂れる。
一人暮らしでは掃除も洗濯も、当然お風呂を入れるのだって全て自分でこなさないといけない。
その上で俺に夕飯を作るという作業が一つ増えた事で、頭の中にあったはずのスケジュールが狂ってしまったのだろう。
『シャワーじゃだめなのか? こういう時は仕方ないと思うけど』
『だめなの。ちゃんと湯船に浸かって一日の疲れを綺麗さっぱり洗い流さないとぐっすり眠れないし……それこそ明日の配信に差し支えちゃうわ』
ソフィアが言うにはこのマンションを選んだ理由は、防音設備にネット環境もしっかりしていてセキュリティも万全だという事に加えて、バスタブが広くてトイレが別でお風呂の時間をゆっくり過ごすのに最適な環境だった事が一番の決め手だったらしい。
そういえば配信の時にも言ってたっけ。バスタブに浸かりながらゆっくりするのが一日で一番の癒しの時間だと視聴者に力説してたよな。
そんなお風呂好きのソフィアが、今日に限っては入浴を諦めなければならない。それは彼女にとって衝撃的過ぎる出来事だったのか、大きく肩を落としてしょんぼりと落ち込んでいた。
そんな様子を見かねて俺はふとある提案をする。
『えっとさ……実はソフィーがご飯作ってる間に、うちのお風呂の方は沸かせてあって。ソフィーの住む部屋と同じバスタブなはずだから、その、良かったら入る……か?』
緊張してつい声が上擦ってしまう。
女の子に向かってうちの風呂に入っていけ、なんて大胆な事を言うのは生まれて初めての経験だ。ましてや相手は推しのVtuberであり、しかも超絶美少女なのだから心臓の高鳴りは尋常ではない。
それでもこのまま放っておく訳にもいかないし、何よりソフィアの落ち込んだ姿を見るのが嫌だった。
そしてそんな想いが伝わったのか、ソフィアは大きく目を見開いて驚いた表情を見せた後に、頬を紅潮させて小さく呟く。
『……いいの? お言葉に甘えてもいい……?』
『あ、ああ。隣人同士、助け合うのは基本だし、今日の夕飯のお礼だな』
頬を掻きながら照れ臭そうに告げると、ソフィアは嬉しそうに頬を綻ばせる。
その笑顔はまるで花が咲いたように可憐で美しく、胸の奥が締め付けられるような感覚を覚えた。
『ありがとう。レンって本当に優しいのね。いつだって頼りになって、優しくて、面倒見が良くて……本当に素敵な人だと思うわ』
『お、大袈裟だって。俺なんか大したことないさ』
『そんなことないわ。わたし、レンみたいに素敵な人と出会ったの初めてだもの。イギリスにだってこんなに親切で思いやりのある人は居なかった。だから凄く嬉しい』
ソフィアは俺の手を握って、澄んだ碧い瞳を真っ直ぐに向ける。
その瞳は俺の姿を映しながらキラキラと輝いており、お世辞でも何でもなく、彼女は心の底から俺を素敵な人だと言ってくれているのが伝わってきた。
それが分かってとても嬉しい反面、同時に恥ずかしくて堪らない。
その羞恥に耐えきれなくなって目線を逸らすと、ソフィアはくすっと小さく笑う。
『レンってこうしてると本当に可愛い。そうやってすぐ顔を真っ赤にしちゃうとこ、わたしは好きよ』
『お、男に可愛いは褒め言葉にならないぞ』
『あら、もちろんかっこいいわよ。わたしが今まで出会ってきた男性の中で一番かっこよくて、可愛らしくて、魅力的』
『こ、今度は褒め過ぎだ……。そんな事言われたら、照れすぎて困る……』
『あは、また赤くなった。やっぱりレンはとってもかわいい♪』
『ああもう……っ』
『ふふ、あんまりからかい過ぎると怒られそう。それじゃあお風呂借りるわね。ありがとう、レン』
『さ、先に着替えとか隣から持ってきておけよ……後から忘れたって言われても困るからな』
入浴中のソフィアが忘れ物に気付いて、それを俺が隣の部屋にまで取りに行く、なんて事態は出来る限り避けたい。
こうして異性であるソフィアを家に上げてお風呂を貸そうとしている時点で心臓がバクバクなのに、彼女の家に行って着替えや下着を取りに行ってこいなんて無理難題が過ぎるのだ。
『それもそうね。今から取ってくるから待っててくれる?』
『分かった……。鍵は開けとくからすぐ戻って来いよ』
『はーい。じゃあ、行ってくるわね』
ソフィアは手を振った後にパタパタと小走りで玄関を出て行く。
その後ろ姿を見送りながら俺はソファーに深く腰を下ろした。
興奮しすぎて今日は寝れないかもしれない。
そんな予感を抱きながら天井を見上げた。
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