第16話、放課後のお手伝い②

 作業は順調だった。

 

 俺と姫奈がそれぞれ書類を分担して目を通し、それに問題がなければソフィアに渡して判子を押してもらうという流れで、黙々と生徒会の仕事を片付けていく。


 当初の予想では最終下校時間の8時までかかるはずだったが、7時半を過ぎた頃にはテーブルの上に積み重なっていた書類の山も綺麗に無くなって、俺達は無事に帰り支度を済ませる事も出来た。

 

 それから生徒会室を出た俺達は鍵を締め、生徒が下校し終えた静かな校舎を歩いていく。


 廊下の窓から見える景色は既に真っ暗になっていて、遠くに見える外灯の光がぼんやりと光っていた。運動部も既に練習を終えて帰宅しているようで体育館の方からも物音一つ聞こえない。


 そんな静寂に包まれた空間の中で隣を歩く姫奈が俺に話しかける。


「ありがとうございます。おかげで予想よりも早く仕事を終わらせる事が出来ました」

「お礼はソフィーの方に言ってくれ。俺も8時に終わるのを覚悟してたけど、ソフィーのおかげで思った以上に早く終わったからな」

『わたしは判子を押してただけよ。二人とも凄かったわ、作業している最中は私語一つしないで、休憩も一切挟まず集中して取り組んでいてびっくりしてたの』


 俺がソフィアの話す内容を通訳すると、姫奈は柔らかな微笑みを浮かべて俺を見つめてきた。


「本当に連は凄いのですよ。他の役員の方と同じ作業をすれば皆さん音を上げてしまうのに、連だけは集中力を切らす事なく淡々とこなしてしまいますから」

『わたしを助けてくれた時から他の人とは違うなって、すごく頼れる人だなって思ってたけど。そうなんだ、レンは生徒会のお仕事だって何でもこなせちゃうんだ……』


 感心したように呟くソフィアの言葉を聞いて、俺は通訳するのが恥ずかしくなって頬を掻いた。


『あ、あんまり褒めるなよ。ソフィーまでそんな事言ったら姫奈が俺を生徒会に入れさせようって止まんなくなる。マジで来期の副会長をやらされかねない』

『えーいいじゃない。生徒会でお仕事をこなすって何だかかっこよくない? わたしの見てたアニメやマンガでも生徒会で活躍する人はたくさんいたもの。そういう青春にも憧れるわ』


『憧れよりまずは現実だな。美谷川高校の生徒会は忙しいんだ、それこそ今日みたいな事が続いて家に帰るのが遅くなったり休日が潰れたり、そしたらアリスを応援している時間がなくなっちまう』

『つまりレンは学校での青春よりアリスの事を優先するのね?』


『当たり前だろ、アリスは俺の生きがいなんだ。俺はアリスが大好きだし、人生捧げてこれから先もずっと応援し続ける。その為にも学校での時間よりアリスの事を大切にしたいんだよ』

『レンは本当にもうっ、ああだめ……顔がふにゃふにゃになっちゃう……』


 赤く染まった頬に手を当ててソフィアは俺から顔を逸らす。そんな彼女を見ながら気付くのだ。


 ソフィアはアリスの中の人。

 そんな相手に何よりも優先すべきはアリスなのだと、大好きで大切で人生を捧げたい人なのだと俺は伝えたわけだ。


 それは今まで意識せずに言ってきた言葉で、アリスが遠い存在だったからこそ俺は構わずその想いを熱弁出来た。


 けれど今実際にアリスを演じ続けてきたソフィアがここにいて、そんな彼女にも何度かアリスへの熱い想いを伝えた事はあったが、こうして改めて考えるととんでもない事を言っていたような気がしてならない。


(これってソフィアに告白しているも同然じゃないか……?)


 自分で口にした内容を思い出し、一気に体温が上昇していく。


 ソフィアの方はふにゃふにゃに顔を緩ませていて、目が合うと彼女は慌てて視線を逸らして俯いてしまう。


 お互い照れくさくて言葉が出ず、俺達の間には妙な雰囲気が流れてしまう。恥ずかしすぎて死んでしまいそうだ。


 何か話さないと、そう思って口を開いた瞬間、隣を歩いていた姫奈がくすっと小さく笑った。


「本当に連とソフィアさんは仲良しですね。英語で何を言っているのかは分からないですけど、二人の間に流れる空気はとても甘酸っぱいです。初々しさを感じさせる恋人同士のようですよ」


「べ、別にそんなんじゃ……!」

『ち、違うのよ、ヒナさん。わたし達はそ、そそ、そんなんじゃないから……っ!』


 慌てる俺達にまた笑い声を漏らす姫奈。俺とソフィアの二人が顔を真っ赤にして否定する中、姫奈は俺達の反応を楽しむようにくすりと微笑んでいた。


 それからしばらく歩くと正面玄関が見えてきて、そこで靴を履き替えた俺達は学校を出る。


 外は既に真っ暗で遠くに見える街灯と月明かりだけが頼りだ。時折吹く風が火照った身体に気持ち良い。


 姫奈は俺達より一歩前に出ると、振り返って柔らかな笑みと共に頭を下げた。


「今日は本当にありがとうございました。残っていた作業が無事に終わったのは連とソフィアさんのおかげです」

「本当に無事に終わって何よりだな。まさか今日中に終わらせる必要があるとは思わなかった……。次はちゃんと他の役員にも頼んでおいてくれ。俺達あくまでも部外者なんだから」

『わたしは楽しかったわ。生徒会でお仕事するのって憧れていたから、少しの間だけでも夢が叶って嬉しいの』


 姫奈は通訳して伝えたソフィアの言葉に嬉しそうに微笑み、それから俺に期待のこもった眼差しを向ける。うん、嫌な予感がしてならない。


「連、生徒会副会長の件。検討しておいてくださいね。わたし諦めませんから」

 

 ほらやっぱり。

 姫奈の中では俺を生徒会に入れる事が決定事項になっている。この流れは何度も経験しているので姫奈が諦めるつもりがない事は分かっているが、俺にだって譲れないものがあるのだ。


 もう一度しっかり断っておこうとしたところで、校門から入ってきた一台の高級車が俺達の前で停車する。どうやらこのタイミングで姫奈の迎えが到着したようだ。


「迎えが来たようです。それではここで失礼しますね。連、ソフィアさん、本当に助かりました。それではまた明日、学校で会いましょう」


 そう言って車に乗り込む姫奈。運転席に座っていたスーツ姿の男性は軽く会釈をして車を発進させた。


 全く、言いそびれてしまったな。まあ全部姫奈の予定通りに進んでいたのだろう。車が迎えに来たタイミングも絶妙だったし、断る隙を俺に与えるつもりは最初からなかったのだ。


 小さく息を吐く俺の隣でソフィアは目を輝かせて興奮気味に話しかけてきた。


『あんな高級車で送り迎えしてもらってるなんて、本当にヒナさんはお嬢様なのね。わたしとは全然違うわ』

『いや、案外似てるかもな。ソフィーと姫奈、馬が合うかもしれないぞ』


『え、何処が似てるの? 教えて教えて』

『多分仲良くなったらその内分かる。俺の口からは言えないやつだな』

『えー、レンの意地悪っ』


 ぷくっと頬を膨らませるソフィア。そんな彼女の様子に苦笑いを浮かべながら、本当に二人は似ていると俺は思った。


 ネットの世界でVtuberアリス・ホワイトヴェールになり、理想の姿を表現して多くの人々を魅了するソフィア。現実の世界で文武両道の才女として生徒会長を務め、理想の姿を演じて周囲の人間を惹き付ける姫奈。


 けれど二人の本当の姿は普通の女の子で、そんな姿を互いの世界で隠して日々を過ごしている。


 そしてその秘密を知る俺だからこそ、ソフィアも姫奈も似たもの同士だと感じるわけだ。


 きっと二人は打ち解け合える。ただの友達ではなく悩みを相談し合ったり、本音をぶつけ合ったり、心から信頼し合う関係になれるはず。


 イギリスから来たばかりのソフィアにそんな親友と言える存在が出来れば、家族とのしがらみによって苦しんでいる姫奈に心からの友人が出来るなら。


 それは俺にとっても喜ばしい事だ。

 推しの幸せ、幼馴染の幸せ、どちらも大切だからな。


 二人の明るい未来を想像して頬を緩ませる俺を、ソフィアは不思議そうな顔で見上げていた。


『レン、すっごくニコニコしてる。何か良いことあった?』

『さあな。それより早く帰ろう。暗くなってきたし、帰ったらすぐに夕飯の準備をしないと』

『うん、そうね。お腹ぺっこぺこよ、一緒に帰りましょっ』


 俺は元気良く返事をしたソフィアと一緒に歩き出す。


 帰り道を照らす月明かりと街灯の下、俺達は他愛のない話をしながら帰路についた。

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