第15話、放課後のお手伝い①

 黒陽 姫奈。


 学年の成績は入学してから常に一位で、運動神経も抜群。それに一年生の頃から生徒会長を任される程の厚い人望を持っている。美谷川高校に通う多くの生徒は、清楚可憐で優秀な姿と姫奈の名前をもじり尊敬と羨望を込めて、彼女の事を【美谷川のお姫様】と呼んでいた。


 だがそれは彼女の本当の姿ではない。


 姫奈は真面目でしっかり者の優等生として広く知られているが、それはあくまで演じているだけなのだ。


 姫奈の親は大企業の社長をやっており、つまり彼女は社長令嬢ということになる。だからといって甘やかされて育った訳ではなく、むしろ厳しく育てられていた。


 彼女の両親は姫奈を愛している事に間違いないが、一人娘である姫奈に会社を継がせて黒陽家の繁栄を支えて欲しいと考えている。彼女は幼い頃から勉強に習い事にマナーなどを徹底的に叩き込まれ、全てにおいてトップクラスの成績を収める事が求められていた。


 だからこうして俺達の通う美谷川高校でも一年生の頃から生徒会長を務め、その優秀さを周囲に知らしめるべく普段は品行方正、謹厳実直、文武両道の完璧超人を演じ続けている。


 しかしそれは姫奈にとって負担でしかなく、そんな彼女が唯一本当の自分になれる場所が誰もいない放課後の生徒会室だった。


 姫奈は今この時間、この空間でだけ本来の自分に戻る事が出来る。家では厳しく躾けられ、自由に外出も出来ない。教室にいる時も周囲の目があるから気を張り続けていた。

 

 幼い頃から付き合いのある俺はそんな事情を知っていて、だから時々呼び出されては彼女のストレス発散に付き合わされているのだ。


 こうして鍵を締めてカーテンを閉めたのも、全てはこのだらしない本性を周囲に知られないようにする為だった。


「生徒会のお仕事だるい。連、代わりにやって」

「またそれかよ……。いつも俺に押し付けてばっかりで……大体、副会長とか他の役員はどうしたんだ? 仕事が溜まってるならみんなでやれよ」


「へへっ、私一人で出来るって調子こいた。かっこいい所見せつけようって魂胆。でも多すぎてぎぶあーっぷ、おばかな私、あほあほ」

「確かに昔っからほんっとうにお前はアホだよな……」

「そうだよ、私あほ~」


 ポテチをぽりぽりと頬張りながらアホと呼ばれてピースサインを返す姫奈。そんな姿に呆れて俺はため息をつく。しかし机に山積みになっている書類を見るとそのため息も引っ込むというのものだ。


「これいつまでに終わらせる予定なんだ? 今週中か?」

「ううん~、今日まで~」


「ぶっ! はぁ!? ポテチとコーラでのんびりしてて大丈夫なのか!?」

「平気、平気~。だって連が手伝ってくれるもん」


「いやいや、今ソフィーを裏口で待たせてて。俺だって早く行かないとなんだぞ? コーラ渡したらすぐ戻るつもりだったのに」

「ソフィーちゃん可愛いよねえ……はあ、だっこしてすりすりしたい。めっちゃ甘くて良い匂いするし……ソフィーちゃんおっぱいおっきい。顔を埋めながらお昼寝したいもん……」


 俺の話なんて聞いていない姫奈はだらしなく頬を緩ませながら、ソフィアと戯れる妄想に浸っているようだ。いやいや現実に戻ってこい、仕事しろ。


「どうしたもんか……確かに俺が手伝って姫奈が本気を出せばギリギリ最終下校時間には間に合うか? いやでもソフィーを待たせてるしな……」


 先に約束したのはソフィアだ。順番的に考えれば優先すべきは姫奈ではなくソフィアの方。しかし小さい頃からの付き合いである姫奈を放っておけず、どうするべきかと頭を悩ませたちょうどその時――。


 コンコンッと扉をノックする音が聞こえて、咄嗟に姫奈はコーラを飲み干しポテチを薄袋で包むといつものダンボールの中にしまい込む。それからカーテンを開いて姿勢を正した。

 

 さっきまでの緩みきった顔とは打って変わって、凛々しい表情で扉を見つめる姿はまさに生徒会長のそれだった。


「……ほんと切り替え早いよな、お前って」

「私の事は気にせず。それより連、鍵を開けて外の方を生徒会室に」

「はいはい……」

 

 姫奈に促され、俺は扉の鍵を外しゆっくりと開く。するとそこに立っていたのは――。


『ああやっぱりここにいた! レン、いくら待っても来ないから心配で……』


 扉の向こうにはソフィアが立っていて、潤んだ瞳で俺の顔を見上げていた。どうやらいつまで経っても戻ってこない俺を探して校内を走り回っていたらしい。少し息を切らしながら額にはじんわりと汗が浮かんでいる。


「すまん、ソフィー。ほんとはすぐに戻る予定だったんだが……姫奈に生徒会の仕事を手伝って欲しいって頼まれてな。どうするべきか困ってたとこなんだ」

『ヒナさんが?』


 俺の後ろからひょっこりと現れた姫奈は柔らかな笑みを浮かべながら小さく手を振る。


「ごめんなさい、ソフィアさん。一緒に下校する話は聞いていたのですが、こちらの仕事が立て込んでいてまだ片付けられそうになくて。それで連に助力を頼んでしまったんです」

 

 申し訳なさそうな顔をする姫奈だったが、ソフィアはそんな彼女に向けて首を横に振る。そして俺はソフィアが話す内容を通訳しながら二人の会話に混ざっていく。


『ううん、謝らないで。わたしこそいきなり押しかけてごめんね。そういう事情があったのを知らなくて……。レンはもしかして、こうやって生徒会の手伝いをする事がよくあるの?』

「はい。連にはいつもお世話になっています。彼は仕事が早くて正確で、とても頼りになるんですよ。本当は生徒会に入ってもらいたいのですが、ことごとく断られてしまって」


「そりゃそうだろ。俺には生徒会の活動より、推しの応援に時間を割く方が大事だからな」

「もったいないです、連なら生徒会でも活躍出来ますよ。次の生徒会選挙では副会長として私と一緒に立候補して欲しいくらいの逸材です」


「ははっ、冗談きついって」

「私は本気ですよ。二人で生徒会を盛り上げましょう」


 そう言って天使のような微笑みを浮かべている姫奈だが、その笑顔の裏にいるのはとんでもない悪魔な事を俺は知っている。


 その手に掴まれたが最後――地獄の底にまで引きずり込まれるだろうな。


 ただでさえ生徒会は忙しい毎日を送っていて大変なのに、俺が副会長になったら姫奈は生徒会長としての仕事を全部俺に丸投げして、さっきのように椅子に座りながら呑気にポテチとコーラを食べて過ごすに違いない。その光景を想像しただけで胃が痛くなるのを感じて苦笑いを浮かべると、姫奈は残念そうなため息を漏らした。


「では、その件は一旦後回しにさせてもらう事にして。ソフィアさん、申し訳ありませんが連の事を貸して頂けないでしょうか? 今日中に終わらせなければいけない仕事があるもので」

『そんなに忙しいの? えっと……何時頃に終わるのかしら?』

「そうですね……最終下校時間までには、と思っているので夜の8時頃になるかと」


『そんな遅くまでかかるの!? レ、レン、大丈夫……?』

『俺はまあ良くある事だから別に。一緒に帰るって約束したのにすまないな、ソフィー』

『ううん……わたしの事はいいの。でもレンの事が心配で、その……』


 ぎゅっと拳を握りしめながら俯いているソフィアは、それから意を決したように顔を上げると真っ直ぐに俺を見つめる。


 彼女は真剣な眼差しを向けていて、その碧い瞳からは強い意志を感じた。


 一体何を言うつもりなのかと見守っていると――彼女は意外な言葉を口にした。


『わ、わたしも手伝うわ! あんまり役には立たないかもしれないけど……でも二人でするよりきっと早く終わるはずでしょ?』

『え? いやいや、それはさすがに悪いって。それにソフィーだって用事があるわけだし……ほら明日の朝5時から。 だから今日はゆっくり休んで明日に備えた方が――』

『だめっ、レンには何度も助けてもらってるんだもの。わたしだってレンの力になりたいの!』


 ソフィアの申し出に俺は遠慮するが、彼女は頑なに首を横に振って譲ろうとしなかった。さっき一緒に帰るかどうかの話をした時もそうだったな。こういう所は本当に頑固だと思うし、アリスとして配信している時に真っ直ぐに前だけを向いて突き進む姿と重なった。


 とはいえ今回は生徒会の仕事だ。

 いくらなんでも留学してきたばかりで日本語の読み書きが出来ないソフィアに手伝ってもらうのはまずい気がする。姫奈がどう思っているのか気になり視線を向けると――。


「途中から連が通訳してくれないので何を言っているのかはっきりとは分かりませんでしたが、ソフィアさんが生徒会の仕事を手伝いたいと言っているのは伝わりました。ありがたい申し出です、ぜひお願いしたいのですがよろしいですか?」

「良いのか、姫奈?」


「はい。書類の精査は私と連の二人で行い、ソフィアさんには精査した書類に生徒会の判子押してもらいたいと思います。それなら日本語がまだ不自由なソフィアさんでも出来るでしょうし、書類の量も多いですからそれだけでも随分と助かります」

『ねっ、レン。ヒナさんもこう言ってくれてるわ。だからわたしにも手伝わせて』


 姫奈の言葉を聞いて嬉しそうに笑みを浮かべたソフィアは俺の腕を掴んでぐいっと引っ張ってくる。


 正直ソフィアに無理はさせたくないが、こうして俺の事を想ってくれている彼女の気持ちを考えるとその提案を断るのも違うと思う。


 ここは素直にその提案を受け入れて感謝するべきだろうと思いつつ、ソフィアは俺の考えている事を察したようで優しく微笑んでいた。


 その笑顔を見て俺も小さく微笑むとソフィアはゆっくりと口を開く。


『レン、わたし頑張るわ。だから安心して任せてね』

『分かった。ありがとう、ソフィー』


「では二人共、こちらへ。すぐ仕事に取り掛かりましょう」

『やってやるわよ、早く終わらせてレンと一緒に帰るんだから!』

 

 元気いっぱいに笑顔を浮かべながら拳を振り上げるソフィア。そんな彼女の姿に力を分けて貰った俺は、テーブルの上に山積みとなった書類と向き合う。


 それから三人で生徒会の作業を始めるのだった。

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