第7話、放課後ナンパ事件
俺の説得はクラスメイト達に受け入れてもらえたようで、朝の時間のようにソフィアへ強引に話しかける生徒はいなくなっていた。
彼女と話をしたい場合は隣の席の俺に声をかけ、通訳してもらいながら話しかけるという流れが出来上がっている。そのおかげで次第に緊張気味だったソフィアの表情は和らぎ、朝のような怯えた様子を見せる事はなくなった。
俺も今まで友達はおらずクラスの隅で小さくなっていたような人間だったが、こうしてソフィアの通訳をする事で自然とクラスの会話に混ざる事が出来ている。
俺の周りに人が集まる事なんて今まで全くなかったから、戸惑いつつもその光景に新鮮さを感じて頬を緩ませた。
それから無事に一日は過ぎ、放課後。
ソフィアは編入初日という事もあり授業が終わってから、担任の先生に連れられて職員室へ向かった。
今後の学校生活についてだったり色々と話があるらしく、あの様子だと下校するのはかなり遅くなりそうだ。
それを他の生徒達も察したのか、いつも通りに帰宅する者、部活動に勤しむ者といった感じで、校内も落ち着きを取り戻し始めている。
俺は一人教室に残っており、昨日栞を挟んだラノベの続きを読もうとしていた。
「まさかソフィーから一緒に帰ってくれ、って頼まれるとはな……」
文字を目で追い、ページを捲りながら呟く。
ソフィアは日本にやってきてから日が浅い。この近辺の土地勘は全くないと言っていいくらいだ。
朝は担任の先生が車で迎えに来てくれて、家から学校までの道順を説明してもらったらしいが、ソフィアはどうやら方向音痴の才能があるらしく、一人で帰ると迷子になりそうな予感がしているとの事。
実際に昨日は迷子になったわけだし、あの時の事が彼女の中でトラウマになっているのか、とにかく一人で帰りたくないと言っていた。
確かにまあイギリスから来たばかりのソフィアに、一人で帰れというのは酷な話かもしれない。それに帰宅の途中でソフィアに何かあれば、それはもちろんアリスにも影響を及ぼすわけで、俺を含めた世界中のファンが悲しむ事になる。
そんなわけで俺はソフィアの言う通り、今日は彼女を家まで送り届けるべく教室で待機しているのだ。
待ち続けてどれくらい時間が経っただろうか。
窓から差し込む日差しが茜色を帯びてきた頃、開けっ放しの扉の向こうから誰かが話している声が聞こえてくる。
廊下で立ち話か、ほとんどの生徒はもう下校しているか部活に行っていて残っていないからその声は静かな校内に良く響いた。
何の話をしているのかと気になって読んでいたラノベから顔を上げる。響いてくるその内容は男子生徒が一方的に女子生徒を口説くようなものだった。
(ん……この男子の声、聞き覚えがあるぞ?)
一体誰を口説いているのかは分からないが、熱心に甘い言葉を並べて女子生徒の心を揺さぶろうとしている男子の方には心当たりがある。
同学年だが別クラスの、名前は虻崎といったはずだ。
学校でもイケメンだと評判の男子で、すらりとした長身に整った容姿、いつも爽やかな笑顔を浮かべており、女子生徒からは王子様の愛称で呼ばれている。
そんな引く手数多のイケメンが、どうにかして一人の女子生徒を口説こうとしているのだから、その相手がどんな人物なのか少し興味が湧いた。
自分の席から立ち上がり、俺は教室の扉の付近まで歩いて行く。それからひょっこりと顔を出してその様子を覗き込んでみた。
「……っ!」
出てしまいそうになった声を咄嗟に手で抑える。虻崎が口説こうとしているその相手を見て驚いてしまった。
窓から差し込む茜色の光を受けて輝く金髪、透き通るような碧眼、天使を思わせる清楚可憐な美少女。
虻崎からアプローチを受けているのはソフィアだったのだ。
爽やかな笑みを浮かべてるイケメン王子は、腕を組んで顔を強ばわせるソフィアを壁際にまで追い込んでいた。
「ねえソフィアちゃん、留学してきたばかりで色々大変だろう? 学校を案内しようか、それとも美味しい喫茶店にでも連れて行こうか? あーやっぱり日本語分かんないのかな」
ソフィアの態度を気にする様子もなく、イケメン王子は相変わらず口元には微笑をたたえたまま言葉を続ける。
「何言っているか伝わればこんな女簡単に落とせるのに面倒だよなー。あーなんとかしてお持ち帰りしてえ。めちゃくちゃデカい乳してるよなマジで揉みたい、顔も超可愛いしめちゃヤリてえ」
その口から出てきたのは、とても女性に話しかけるとは思えないような言葉。相手がイギリス人で日本語が分からないのを良い事に、爽やかな笑顔を浮かべつつもとんでもない事を言っている。
まあ虻崎は女子から王子様と呼ばれているが、男子の間じゃ女遊びが酷いと有名で、裏では腹黒大魔王とか呼ばれてたりするくらいだからな。ソフィアに対しても本性を隠して紳士的に振る舞っているんだろうと思っていたが、言葉が通じていないと分かった途端にこれだ。
そしてソフィアは虻崎を前にして怯えて困り果てている。腕を組みながら肩を小さく震わせる姿は弱々しくて可哀想に見えて、推しを守らなければという強い意志と共に俺はスマホを手に取った。
(今助けてやるからな、ソフィー)
虻崎がどんな人間かは分かってる。俺がこのまま廊下に飛び出してソフィアを助けようと二人の間に割って入っても、それで奴のナンパを止めさせる事は出来ないだろう。
奴にとって俺は道端に転がる石ころみたいなもので、俺が何をしようが何を言おうが相手にされないのは目に見えている。
それから奴は誰の邪魔の入らないもっと安全な場所にソフィアを連れ込もうとするはずだ。そうなってしまえば万事休す。怯えたソフィアは抵抗出来ずに奴の言いなりにされかねない。
けれど俺にはあの腹黒大魔王を追い払う為の秘策があった。
(よし……こいつが使えそうだ)
俺はスマホでとある動画を再生しながらイヤホンでその音声を確かめる。この内容ならきっと虻崎には効果抜群だろう。
そしてイヤホンをスマホから外した後、俺はスピーカーのボリュームを最大まで上げて、その動画をもう一度再生し始める。
その音声は生徒の残っていない静かな廊下にはよく響いた。そしでそれが聞こえた瞬間に虻崎はびくりと体を震わせ、ソフィアの前から飛び退くように距離を取る。
「……や、やべっ! 女子が教室に残ってたのか!?」
廊下からは虻崎の明らかに動揺した声が聞こえて、俺は小さくガッツポーズを取る。作戦成功だ。
俺が流したのはPikPokという動画SNSに投稿されていたもので、女子高生が友達と仲良く騒いでいる動画だ。
この動画SNSの利用者の大半は俺と同年代の中高生。
彼らは面白おかしい動画を撮影して投稿したり、日常の中の出来事を記録して友達と共有する為に利用したり、様々な使い方をしている。
その動画の中で女子高生が教室で楽しく騒いでいるものを選び、ただそれをスマホのスピーカーから音量マックスにして流しただけだ。
それでも効果はあったようで、虻崎の顔からは一瞬で余裕が消え失せ、その表情は焦燥感に満ち溢れたものへと変わっていた。
その理由は分かっている。虻崎は俺のような陰キャな男子からの評判など全く気にしない男だが、その相手が女子となると話は別だ。
学園の王子様という愛称で親しまれる奴は腹黒大魔王という本性を女子の間に知られないよう、普段は分厚い仮面を被っている。紳士的で優しくて女子にとって理想の姿を演じていた。
そんな彼が留学してきたばかりのソフィアを強引に口説いているだなんて、それは今まで築いてきたイメージと真逆の行動だ。さっきから下品な発言も繰り返しているし、その事を知られたら女子生徒達からドン引きされるのは間違いなし。
奴が今まで築き上げてきたイケメン王子というイメージは一瞬にして崩れ去るだろう。
だからこそ、そうならないよう生徒達が下校したタイミングを見計らってソフィアを誘っていたのだろうが、人のいないはずの教室から女子の声が聞こえてきて顔を青ざめさせている。
よく聞けばその音声がスマホのスピーカーから流れている事に気付いてもおかしくない。だが突然の事態に正常な判断力を失っているようで、その音声を聞き分ける事すら出来ず教室に女子が残っていると思いこんでいる。
「ソ、ソフィアちゃん! ぼ、僕ちょっと用事を思い出したからさ、帰るよ! じゃあね、はははっ!」
そして彼は逃げるようにして走り去って行った。イケメン王子が慌てふためいてその場を去る姿を、ソフィアはぽかんと口を開けて眺めている。
こうしてイケメン王子を追い払えた事を確認した俺は自分の席に走って戻り、何も知りませんよと言わんばかりにイヤホンを耳につけスマホを操作し始めた。
聞こえてくるのはアリスの囁きASMR、ソフィアと全く同じ声で、けれど甘くとろけるような優しい声色でイヤホンの向こうのアリスは俺に語りかける。本当に彼女の声は可憐で心に染み渡るな。
俺にとって生きる希望であり、天使みたいなアリスを腹黒大魔王の魔の手から守れて良かったと胸を撫で下ろしたところで、トンッと肩を叩かれて顔を上げた。
するとそこには澄んだ碧い瞳で俺を見つめるソフィアの姿があった。俺がイヤホンを外すと、彼女はさっきの怯えていた様子を感じさせない落ち着いた声で話しかけてくる。
『レン、もしかしてさっきのはあなたが……?』
『さっきの事? すまん、スマホの方に集中してて他には何も』
恩を売るつもりはなかった。ただ推しが無事であればそれで良い。そう思って俺は知らぬ存ぜぬを突き通す。
さっきの虻崎を追い払った話題を誤魔化そうと、俺はソフィアにスマホの画面を見せた。
『ほらこれ聴いててさ。マジで最高だよな、アリスちゃんの囁きASMR』
『……っ、スマホの画面に映ってるそれ、アリスの添い寝シチュの……が、学校で聴くものじゃないでしょ、普通!』
『俺はいつだってアリスちゃんから添い寝してもらいたいんだ。ソフィーがこのまま来なかったら、夢の中で添い寝してもらってたとこだったな』
『もうっ、何よそれ。わたしが居る時にそれ聴くのは禁止! わたしが恥ずか死んじゃうんだから……!』
そう言ってぷいっとそっぽを向いてしまうソフィア。けれど彼女は横目でちらりと俺の方を見て、小さく呟くように、それでも確かに俺に聞こえる声で言った。
『ありがと……さっきは、本当に助かったわ』
ぼそっとお礼を言うソフィアの横顔は真っ赤に染まっていて、それが夕日のせいなのか照れているからなのかは分からない。でも、そのどちらであったとしても、ソフィアが見せたその表情に俺は思わず頬を緩ませてしまった。
やっぱり俺の推しは可愛い。
素直にそう思う。
『よし、ソフィー。そろそろ帰るか。日も落ちてきたし早く帰らないとな』
『そうね。暗くならない前に帰りましょう』
推しと二人で帰宅する、そんな幸せに浸りながら俺はソフィアと教室を後にした。
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