第6話、推しの為に
次の休み時間、教室はソフィアの話題で持ちきりとなっていた。
彼女の席の周りには人だかりが出来ており、クラスメイトは次々とソフィアに話しかけている。
「ねえ、ソフィアさん。ソフィアさんはどうしてこの学校に留学生としてやってきたの?」
「好きな食べ物は? 好きな本は? 趣味とかあるのかな?」
「ソフィアさんって彼氏いるの!? いないならおれと友達から始めない!?」
「ばっかお前ら、ソフィアちゃんはまだ日本語分かんないって。こういう時は、掘った芋いじるな、だっけ……」
「バカはお前だ。こういう時は翻訳アプリ使うんだよ、ほれ、これだろ、で……ナイスツーミートユー! アイムユアフレンド!」
こんな調子で皆が次々に質問をぶつけていく。
イギリスからやってきた留学生というだけで話題性は抜群だが、それに加えてソフィアは天使のように可愛らしい。クラスメイトの殆どがソフィアに対して興味を抱いて、こうして興奮気味になってしまうのは仕方のない事。
しかし当の本人であるソフィアは自分の席に座ったまま動かず、 机をじっと見ながら小さくなっていた。
昨日ソフィアが言っていた事を思い出す。
自分は目立つ事が苦手だと、人前に出るのも嫌なくらいだって話をしていたが、彼女を取り巻く状況は今まさに最悪なものとなっている。
故郷であるイギリスから遠く離れたこの場所で、文化も違えば環境も違う、言葉だって通じない。そんな中で目立つのが得意でないソフィアが多くの人から詰め寄られれば、それが精神的な負担に繋がるのは目に見えている。
どうしたものか。
授業の合間の中休みはそう長くないから、授業が始まれば集まっている連中も席に戻るだろう。けれどこの調子だと昼休みも放課後もソフィアは囲まれる事になってしまう。
入学初日だからと割り切れれば我慢出来るかもしれないが、俺としては推しの中の人であるソフィアがこうして困っている姿は見過ごせなかった。
(困っている人を見かけたら助けてあげなさい……か)
父親の口癖を思い出し、そういえば迷子になっていたソフィアを助けたのもそれがきっかけだったな、なんて。そこまで考えて俺は窓際の席から立ち上がった。
ぎゅっと拳を握りしめ、勇気を振り絞ってソフィアを囲むクラスメイト達の所へ歩いていく。それから一度深呼吸した後、俺はその輪の中に足を踏み入れた。
「みんな、ソフィアさんが困ってる。少し落ち着いてくれよ」
ソフィアを囲む生徒達にそう声をかけると、周囲の視線は一斉に俺へと向けられる。
「何だよ月白。せっかくソフィアちゃんとお近づきになれるチャンスなのに邪魔しないでくれ」
「そうだぜ。オレたちはソフィアさんが心配で話してんだって」
「うんうん、あたし達が友達になってあげなきゃソフィアさんだってかわいそうでしょ?」
クラスメイト達はソフィアを気にかけているからこそ俺の言葉に不満を募らせた。
それに俺はクラスメイトと仲が良いわけじゃない。いつも教室の隅に一人でいるような俺が急に割って入ってきたところで、誰も素直に聞き入れてくれるはずがなかった。
それでもここは引けないところだ。俺はもう一度勇気を振り絞ると小さくなっていたソフィアに向けて話しかける、もちろん英語で。
『ソフィー、大丈夫か? 気分が悪くなってないと良いんだが』
『ちょっと良くないわね。多少は覚悟してきたけど、まさかここまでグイグイ来られるなんて思ってもいなかったわ』
『だろうな。ここは俺に任せとけ』
『任せとけって大丈夫なの? その、手が震えてるけど……?』
『な、なあに。武者震いってやつさ』
これは武者震いだとソフィアにも自分にも言い聞かせる。
俺に任せろとかっこいい事を言ったものの、クラスの隅に住む陰キャオタクにはなかなかのハードルの高さだ。
大勢の前で話す機会なんてほぼないから、慣れていないどころか怖いくらいだった。周囲から一斉に向けられる視線に思わず後ずさってしまう。背中から冷たい汗が流れるのを感じた。
それでもこれは推しのアリスを守る為。中の人であるソフィアに何かあれば、今後の活動にだって悪影響を及ぼす可能性だってある。
推しの為ならば俺は何でも出来る。
言葉の壁を乗り越えて英語を話せるようになった時みたいに、今もまた一つ大きな壁をぶち破るだけだ。
『とにかくソフィーは安心してくれ、俺が何とかする。座っていい子にしてろよ』
『う、うん……それじゃあ頼むわね』
俺はソフィアに向けて力強く頷いた後、一歩前に出てクラスメイト達に向き直った。
一体どう説明しようかと思ったところで、クラスメイト達の異変を感じ取る。彼らは俺を見つめながら目を丸くさせていた。
「つ、月白が英語……? お前、英語喋れたのか!?」
「すげえ! なんで今まで隠してたんだよ!?」
「おい、ちょっと待て。ソフィアさんのあの反応……もしかして二人は知り合いなのか?」
「ソフィアちゃんってイギリスから来たばっかなんだろ? 何処で知り合ったんだ?」
それは当然の反応だったのかもしれない。
俺が今まで英語で話すところをクラスメイトに見せた事はないし、彼らにとって地味で冴えない印象しかなかったはずの俺が留学生であるソフィアと親しげに英語で会話を始めたものだから、その光景は信じられないものに映っただろう。
クラスメイト達のざわめきを耳にしながら、俺は彼らを真っ直ぐ見つめて説明を始めた。
「ソフィーと知り合ったのは昨日の事だ。公園で迷子になっていた女の子を見つけてさ、その子を助けたのがきっかけで。ほら、ソフィーはイギリスから来たばかりだろ? だから道とか分からなくて困っていたみたいで、それで案内をしてあげたんだ」
「ふーん……でも今、月白はソフィアちゃんの事、ソフィーって呼んでなかったか?」
「ソフィーっていうのはニックネームだよ。向こうじゃニックネームで呼ぶのは珍しい事じゃない。別に深い意味はないから」
「でも月白が英語を喋れるのはどういう事? 実は帰国子女だったりするわけ?」
「い、いやそれは……海外のアイドルにガチハマりして……そ、そこから英語の勉強し始めたらそっちにもハマっちゃって、喋れるレベルにまでなってたというか……」
「うわっ……その理由、めちゃくちゃ月白っぽい……」
ソフィアとの出会いの説明には納得しきれていなかったクラスメイト達だが、何故か俺が英語を話せる理由についてはうんうんと頷いて信じてくれている。
「オタクの熱意ってやべーな……」
「確かに月白くんって休み時間の時、英語の辞書を片手にいつもスマホでなんかアニメのキャラクターっぽい人の動画見てたもんね」
「あー海外アイドルの動画に夢中になってるだけかと思ってたわ……それで英語覚えるのは確かに月白って感じある」
などなど。
どうやら俺が休み時間にアリスの動画を見ながら勉強していた事はクラスで評判だったらしく、ともかく俺が英語を話せる理由については今の説明で問題ないようだ。
周囲が納得し始めたところで俺は畳み掛けるように続けた。
「昨日知り合ったのも偶然で、この学校に留学してきたのもさっき知ったばかりなんだ。別に俺とソフィーの間に何かあるわけじゃないから、そのあたりは誤解しないでくれ」
そもそもイギリスからやってきた天使のような美少女留学生と、地味で浮かない雰囲気のある俺、そんな二人が特別な関係になるなんてあり得ない話だ。
「それで話を戻すけどさ。今の感じだとソフィーは困ってる。みんながソフィーと仲良くなりたい気持ちは分かるんだ、けど言葉の壁はどうしてもある。その壁を乗り越えないでいきなり仲良くなるのは難しい。そこで提案だ。俺は英語が喋れるからソフィーと話したい人がいたら頑張って通訳しようと思う。だから、その、遠慮せずに言ってくれ」
最後の方は少し恥ずかしそうにしながら告げると、クラスメイト全員は俺の言葉に頷いてくれた。
「……そうだよな! おれ、ちょっと興奮し過ぎてたわ! イギリスから来たばかりのソフィアちゃんが、いきなり囲まれて日本語で話しかけられたら困っちゃうもんな!」
「あ、あたしも反省するわ。本当に綺麗な子だから仲良くなりたいって思って、自分の事ばかり考えてた」
「オレもちょっと調子乗ってたな、すまん。それじゃあ月白。お前には迷惑かけると思うけど頼りにしてるぜ」
皆がさっきの行動を反省し、俺に向けて温かい言葉をかけてくる。こうしてクラスメイトから頼られたりするのは初めての事で、それが何だかくすぐったい。けれどともかく、これでソフィアが困る事もなく、自然とこのクラスの輪に入る事が出来るようになったはずだ。
その様子にほっと胸を撫で下ろしつつ、さっきのやり取りを聞いていたソフィーの方に振り返る。
きっと俺達が一体何を話していたのかは、イギリスから来たばかりのソフィアには伝わっていないだろうと、それを英語で説明しようと思っていたのだが。
『レン、あなたって本当に頼りになるわよね……』
ソフィアは英語で呟きつつ頬を赤らめて俺から視線を逸らす。
その反応はまるでさっきの俺達のやり取りが全部伝わっていたように見えて、彼女の予想外の反応に俺の顔も熱くなっていく。まさか喋れはしないけど聞いて理解する事だけは出来るのか?
そしてその困惑をかき消すように、次の授業の始まりを告げるチャイムが教室に響き渡った。
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