第2話 生起

 今宵は祝福の日。大昔、初代王リダと、その弟ルアの兄弟がこの大陸の争いを止め、この世に平穏と安らぎを与えたこの日は、代々、宮殿で初代皇帝に祈りを捧げるという習わしがあった。


 この国が建てられてからもう数百年の歴史になる。周囲が海と火山に囲まれた大自然に位置するリダ国は、他国のいざこざに関わりを持つことなく、今日という日まで、独自の平和を継続していたのであった。


 この日は、106代目リダ王、アキスの宮殿で、一族総出で儀式を行っていた。宮殿の中心に位置する礼拝堂。そこはきらびやかな装飾が輝く他の部屋とは違い、ずいぶんと小ざっぱりしている。

 華々しい栄誉を語るような物は一切なく、街はずれにあってもおかしくないような小さな部屋で、慎ましく神聖な香りが漂っていた。


 礼拝堂を半分に分けるかのように赤いカーペットが細長く敷かれ、その左右に長椅子が設置されている。赤いカーペットの先には、リダ国の守護神の巨象と、初代王の肖像画が高々と掲げられていた。


 守護神の巨象から見て左に座る者たちが、リダ家の一族であった。


 この国では代々、国王はリダ家の男が継承することになっている。長椅子の真ん中に座る黒ひげの男がそうであるように、その歴史は数百年経過した今も途絶えてはいない。


 王、王妃、王子の三名は金色に光を反射する衣装を身に纏い、巨象に向かって手を合わせて祈っていた。


 それに対するようにして右に座る者たちが、ルア家の一族である。


 リダの弟として知られるルアの末裔であり、正当な王位継承権はなく、歴代の族長が王の側近として尽力する、いわゆる分家の一族であった。


 彼らはリダ家の人間とは違い、黒いヴェールで顔を覆っている。全身が真っ黒な衣装で統一されており、こちらは手を合わせることなく、ずっと巨象に向かって頭を下げ続けていた。


 両家は同じ王族である。しかしながらその様は、傍から見ても違うことが明確に示されていた。


***


「陛下? …陛下!」


 アサキス王の名を呼ぶのは王妃の甲高い声である。その声に国王は返事をすることなく、力が抜けてしまったかのようにグッタリと頭を垂らして、玉座から転げ落ちてしまう。



 儀式から三時間後。無事に祝福の日を祝うことが出来た記念として、リダ、ルアの両家が盃を交わし、互いをねぎらうための宴会を行っていた時のことであった。


 国王が祝辞を述べ、その場の全員が手に持つグラスを煽った。しかしあろうことか、突如として国王は空になったグラスを取りこぼし、ガクガクと体を震わせたかと思うと、サッと青ざめ、王妃の声にも応ずることが出来ずに倒れてしまったのである。


「ああ、あ、…アサキス王様!」


 大臣の一人が言う。


「陛下! 陛下! どうなさったのですか? 

 誰か、早く医者を!」


 王妃が床に突っ伏している国王を抱き上げ、面食らっている大臣たちに言いつける。止まっていた時が動き出したかのように大臣たちは慌てふためき、めいめいが駆けあっては、小さな人の波を作り上げていた。


 しかし。


「待たれよ!」


 突如として室内に響き渡る声に、その場は再び静まりかえる。王妃はサッと顔を上げ、玉座に真っすぐに歩いてくるその女を見つめた。


 女は顔のヴェールを投げ捨て、その黒い姿を王妃に近づける。


「お妃様、アサキス王を見せてくださいまし」

「…貴方は、ルア家の……」

「お早く」


 その妙に落ち着いた声に圧倒され、王妃は半ば疑いながらも、アサキス王の蒼白な顔を女に向けた。


 女は王の顔をまじまじと見ては、小さく独り言を呟き、時々その頬に手をやりながら、まるで医者かのように観察をする。


 王の顔は眉間に皺が寄せられ、その頭の冠が今にも落ちそうなほどに傾いていた。


 瞼が閉じられ、今にも消えてしまいそうなほど薄い呼吸がかろうじて感じられる。


 女はスッと立ち上がり、家臣団に向かってこう言った。


「毒だ」

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