第5話 事件発生とその後。

 そんなことがあってからは、練習にも集中できるようになった。

俺や正宗だけではなく、後輩部員たちもやる気を見せるようになっていった。

アルフォンヌの指導のおかげで、単なる人数合わせの、負け要員だった後輩たちも、いつしか強くなっていった。これなら、ホントに団体戦も、五人全員が勝てるかもしれないとさえ思えてきた。

 ところが、そんな甘いもんじゃない。相手も強豪校なのだ。簡単には勝たせてもらえない。

妹が、ほかの高校の柔道部の情報を集めてきた。一番の強敵と思える学校は、弱点が見当たらない。

俺や正宗はともかくとしても、双子兄弟や春美だって、油断できないのだ。

そんな中、一番気合が入っていたのは、龍子だった。

 片目であるハンデを気にして、稽古には気合が違った。

俺と組んで練習を繰り返す日々だった。俺に何度投げられても、向かってくる。

その姿勢が、より後輩たちには刺激だった。アルフォンヌからも、左から攻められたときの攻略法を真剣に取り組んでいた。片目だからと言って、甘く見たら、逆に投げられる。

相手の部員たちは、そのことを知らない。ある意味、そこが、こっちの強みでもある。

 毎日、放課後は、遅くまで練習する毎日だった。

そんなある日の放課後のことだ。練習でクタクタになった妹との帰りである。

いつもの道を歩いていると、もうすぐ自宅という頃になって、パトカーのサイレンが聞こえてきた。

「何か事件かしら?」

 妹が不安そうな顔をしていった。俺は、ちょっと好奇心で、見に行きたくなった。

「ちょっと見てくるわ」

「やめてよ。野次馬なんて、みっともないわ」

「ちょっとだけよ」

 親父が刑事だし、俺も将来は、警察官になりたかったので、パトカーのサイレンが聞こえれば、体がウズウズする。

音がする方に向かって歩き出した。だんだん音が大きくなってくる。

なぜか、ウチの近くから聞こえてくる。まさか、ウチで何かあったのか?

 後から追いついた妹も、かなり心配そうだった。

「お姉ちゃん、ウチじゃないわよね」

 すると、確かに、ウチに近くなると、近所の人たちが集まっていた。

隣の人が、俺たちに気付いて、話しかけてきた。

「ちょっと、ちょっと、大変よ」

 隣のおばちゃんが、妹に話しかけてくる。

「何かあったんですか?」

「何かあったじゃないわよ。アンタんちに、泥棒が立て篭もったのよ」

「えーっ!」

 こりゃ、聞き捨てならない話だ。よりによってウチとは、その泥棒は、ウチがどんな家庭か知ってて入ったのだろうか?

だとしたら、余程の命知らずか、バカのどちらかしかない。

知らずに入ったとしたら、それこそ命を捨てるようなもんだ。

「誰か、人質とかいるんですか?」

「それが、この辺の人じゃないのよ。たまたま歩いていた、女子高生らしいのよ」

「ハァ?」

 またしても、意味不明だ。わけがわからない。何で、たまたま歩いていた女子高生を人質に取るんだ?

それじゃ、その女子高生は、ウチに用事があって、たまたま泥棒と出会ってしまったことになる。

ウチに、女子高生が用事があるなんてことがあるのか?

そんなこと、絶対に考えられない。

 俺は、頭の中がグチャグチャになってきた。

とにかく、人質にされてる女子高生が、誰なのか気になる。

 そんなことを考えていると、車がやってきて、中から親父が出てきた。

「渚、雪、お前ら、大丈夫か?」

「見ての通りよ」

「よかった。人質が女子高生って聞いて、お前たちかと思った」

 親父は、ホッとした表情だった。

「それじゃ、中にいる人質って、誰なんだ?」

 至極まっとうな疑問を口にした。

中の様子を見ようにも、カーテンを閉められて中が見えない。

 次第に警官も集まってきて、物々しい雰囲気になってきた。

こうなると、俺たちの出番はない。親父や警察に任せるしかない。

 少しの間、俺たちは、周囲を包囲している警官たちと見守っていると、突然、一階部分の窓のカーテンが開いた。

「お前ら、包囲を解け。言うこと聞かないと、こいつの命はないぞ」

 そう言って、ナイフを突きつけた中年の男が、人質らしい女子高生を突き出した。それを見た俺と妹は、心臓が止まるくらい驚いた。

 人質にされていたのは、あの春美だったのだ。

「お姉ちゃん、何で、春美さんがいるの?」

「あたしは知らないわよ」

「どうする、お姉ちゃん」

 おろおろしている妹だが、反対に俺は、違う意味でホッとした。

「大丈夫、心配するな。春美なら、なんとかする。ちょっと待ってろ」

 俺は、妹を残して、親父に話しかけた。

「お父さん、人質の女子高生って、春美ちゃんよ」

「なんだって!」

「でも、大丈夫よ。春美なら、うまく逃げるから」

「しかし、相手は、刃物を持ってるんだぞ。危険だ」

「あたしが、合図をしたら、突入して」

「バカ、なにを言ってんだ。春美ちゃんになんかあったらどうするんだ」

「あたしがうまくやるわ」

 俺は、窓に向かって声を張り上げた。

「ちょっと、泥棒さん、出てきなさい。その子は、あたしの友だちなの。開放してくれないかしら?」

 俺は、何度も大きな声で言った。すると、ドアが開いて、泥棒が春美を連れて顔を出した。

「うるさい! 早く、警察は、出て行け」

 男は、怒鳴りあげる。だが、そのとき、春美に向かって、口パクとアイコンタクト、そして、柔道のときに使うブロックサインを出した。

それを見た、春美は、片目つぶって、ウィンクした。

 俺は、親父の耳元で小さくいった。

「春美が、あいつを投げ飛ばすから、その隙に取り押さえてくれ」

「しかし……」

「心配しなくていいから。あたしも手伝うから」

 俺は、そう言って、裏口からこっそり敷地に入ると、壁に沿って表に回った。

窓のギリギリまで体を隠して、タイミングを待った。

俺は、表にいる、妹に合図を送った。

「泥棒さん、聞いてる。人質を放して。お願いだから、放してくれる」

 何度か叫ぶと、少しして、再び泥棒が顔を出した。

「うるせぇ、さっさと、警察を引き上げさせろ」

 窓を開けて、人質の春美を引き出したそのときだ。

喉元に突きつけられているナイフを右手で払うと同時に、左足で泥棒の足を思い切り踏んづけた。

「あーっ!」

 泥棒は、不意を疲れて、ナイフを落とし、その場に蹲って倒れた。

その隙に、春美は、窓から逃げ出した。俺は、春美の手を取って、外に引っ張り出した。

そして、顔を上げて立ち上がった泥棒の腕を掴むと、得意の背負い投げで、庭に投げ飛ばす。

「うわっ……」

 声を出して背中から倒れた泥棒に、春美の正拳突きがみぞおちに見事に決まった。

「ぐわっ!」

 男は、それきり、気を失った。

「それ、いまだ」

 親父の声で、警官たちが突入した。

「確保!」

 あっという間に、泥棒は、数人の警官に囲まれて、倒れているのを無理やり引き起こされて、数人係りでパトカーに連れ込まれていった。

 それは、ホントに一瞬の出来事だった。終わってみれば、あっという間だった。

「大丈夫か?」

「ナギちゃん」

 春美が俺に抱きついてきた。

「怖かっただろ。ケガはないか?」

 自然と俺は、普通の声で話していた。

「うん」

「よかったな」

 俺は、春美の頭を優しく撫でてやった。

「おーい、春美ちゃん、ケガはないか? 念の為、病院に行ったほうがいいぞ」

「大丈夫です。この通り、全然元気ですから」

 そう言って、立ち上がると、親父に向かって、笑顔で頭を下げた。

「ケガがなくて何よりだ。渚、後は、頼むぞ。俺は、あいつをギッタギタにしてくる」

 そう言って、腕をボキボキ鳴らしながら、車に乗り込んでいった。

哀れなのは、泥棒の方だ。俺は、少し同情した。

知らぬこととはいえ、鬼刑事の家に泥棒に入り、たまたま居合わせて人質に取った女子高生が

最強の柔道部員で、護身術の天才だったことは、運が悪かったとしか思えない。

 俺は、春美を家の中に入れて、休ませてやった。

妹がお茶を入れて持ってきた。

「なんか、とんだ災難だったわね」

 妹が春美と話している間に、急いで部屋に戻って、いつもの服に着替えた。

「あっ、ナギちゃん。やっぱり、その格好のが、いつものナギちゃんね」

「それはいいから、んで、何の用だよ。いったい何しにきたんだ?」

 肝心なことを聞かないといけない。

「用ってのは、特にないんだけど……」

「ハァ? 」

「ナギちゃんのホントの顔が見たかったんだもん」

「何を言ってんだ、まったく、もう」

 呆れて物が言えないとはこのことだ。そんな理由でウチに来て、人質にされては、世話がない。

俺は、深いため息を付くしかなかった。

「ごめんね、心配かけて」

「いいよ。ケガがなければ、それでよかった」

 まずはホッとした。ケガでもされたら、大会を控えて大変なことになる。

「お家では、普通に話すのね」

「当たり前だろ。俺は、男なんだから」

「あたしも、その方が好きよ。女言葉を使うナギちゃんには、なんか違和感あるもん」

 当の本人は、もっと違和感がある。

「そうじゃなくて、春美ちゃんは、別の用事があるんでしょ」

「そうそう、すっかり忘れてた。ごめんね、雪ちゃん」

 妹に言われて、なにかを思い出したのか、春美は話を始めた。

「今度の大会だけど、名門学園って知ってる?」

「名前だけはな」

「そこね、少し前から、体育会系のクラブに力を入れたらしくて、野球とかサッカーとか、バレーとか、男女を問わず、いろんな大会で優勝してるのよ。それで、調べてみたら、柔道部も強いらしいのよ」

 名前は知ってるが、その高校が、それほど強いという認識はなかった。

春美にいわれても、ピンと来ない。

「だいたい、柔道の高校の大会って言えば、正宗か女子なら龍子くらいしか、強いやつはいないだろ」

「それが、いるのよ。無名だけどね」

「なんてやつだよ?」

「だから、無名って言ったじゃない。名前なんて知らないわよ」

「それじゃ、どうしようもないじゃないか」

 そう言うと、春美もペコリと頭を下げて、舌を出した。

「とにかく、勝てばいいのよ、勝てば」

 と、妹が強気で言った。春美の気持ちも俺は、ありがたかった。

春美も選手の一人なので、がんばって欲しいし、実力なら勝てるはずなので、安心してもいいだろう。

 俺は、駅まで春美を送ることにした。

「久しぶりね、ナギちゃんと話をするのは」

「そうだな」

「ねぇ、ナギちゃんは、誰か好きな人とかいるの?」

「いねぇよ、そんなやつ」

「よかった。それじゃ、あたしは、彼女になれるわね」

「なにを言ってんだ」

「それじゃ、あたしのこと、嫌い?」

「そんなわけないだろ」

「じゃ、好き?」

「えっ、ま、まぁな」

 そんなことを直接言われるとは思わなくて、ドキドキしてちゃんと答えられない。

「相変わらず、ナギちゃんは、柔道バカだから、女の子のこと全然わかってないのね」

「バカとは、何だよ」

「だって、柔道のことで、いつも頭の中は一杯じゃん」

 そういわれると、返す言葉が見つからない。

「とにかく、今度の大会は、がんばろうね」

「春美のことも、頼りにしてるから」

「あたし、うれしいのよ。まさか、ナギちゃんといっしょに試合が出来るなんて思わなかったから、うれしいの」

 確かに、柔道は、男子と女子と別れて試合をするので、いっしょに試合をするなんてことはない。

「送ってくれて、ありがとね。また、近いウチに学校に行くから、いっしょに練習しようね」

 そう言って、春美は、手を振って駅の中に消えていった。

今度の大会は、なんとしても勝つ。双子の兄弟や春美と言う、強力な助っ人もいるのだ。

勝たなきゃいけない。正宗のためにも、龍子のためにもだ。俺は、一人、気合を入れ直した。


 翌日、俺は、いつものように、妹と学校に行った。

女子の制服も今では、すっかり慣れた感じだ。それでも、スカートだけは、まだ慣れない。

 俺は、昇降口で上履きに履き替えようと、下駄箱の蓋を開けた。

すると、中から、大量のなにかが足元にドサッと落ちた。

「なにこれ?」

 俺は、それを一つ摘んだ。

「えっ!」

 俺は、それを手にした瞬間、背中に冷たい物を感じた。

「お姉ちゃん、早く行かないと、遅刻よ」

 妹が俺を迎えに来た。

「なにそれ?」

 妹が、足元に落ちているものをいくつか手にした。

「もしかして、これって……」

 いくら柔道のことしか頭にない俺でも、それがなんなのか、なにを意味するものか、それくらいはわかる。

「ラブレターってやつね」

「うるさい」

 俺は、それをまとめてカバンの中に押し込んだ。

「お姉ちゃんばかりモテモテで、なんか悔しいなぁ……」

「そんなんじゃないって」

「それじゃ、なんなのよ?」

「うるさいわね。あんたに関係ないでしょ」

「結構、その気になってたりして」

「バカ!」

 俺は、急いで上履きに履き替えると、教室に戻った。

だが、教室では、もっとすごいことになっていた。


 俺が教室に入ると、あっという間にクラスの友だちに囲まれた。

昨日の事件のことを知りたいらしい。アレコレ、質問攻めにされた。

とは言っても、事実を簡単に話すことしかできない。

春美のことは、ないしょなので、たまたまウチにきた近所の女の子という設定にするしかない。

「それで、犯人て、どんな人?」

「その子にケガとかなかったの?」

「渚ちゃんが犯人を投げ飛ばしちゃったわけ?」

「お父さんが刑事って、ホントなの?」

 芸能記者に囲まれた、アイドルって感じだ。

手にマイクを持ってないだけの差だ。

俺は、冷や汗を流しながら、質問に答えていく。

口を滑らせないかと、ホントにヒヤヒヤだ。

やっと、自分の席について椅子に座る。質問に答えながら、かばんを開けた。

だが、それがよくなかった。かばんの中身のことをすっかり忘れていたのだ。

開けた途端に、カバンの中から、ラブレターらしき手紙の束が床に落ちたのだ。

 一瞬、時間が止まった。そんな気がした。アレだけ、後から質問してくる友だちも黙ってしまった。

そして、隣の木村さんが、床に落ちた一枚の手紙を手にした。

「なんか落ちたわよ」

「えっ、あ、ありがと……」

「もしかしなくても、これって、ラブレターよね?」

「さ、さぁ……」

 次の瞬間、回りの友だちから歓声が上がった。

「えーーーっ!!」

「マジか?」

「これ、全部……」

 友だちもドン引きである。俺は、顔を引きつらせながら、それをかばんに、もう一度しまった。

「ちょ、ちょっと、待ってよ。どうしたの、こんなに……」

「いや、その、下駄箱の中にあったの」

 クラスのみんなは、口をポカンと開けて目を点にしていた。

「そ、それで、返事は、どうするの?」

「どうするって言われても…… まだ、読んでないし」

 しどろもどろになる俺。まったく、だらしがない。でも、こんなの初めてのことだから、どうしていいかわからない。

ラブレターなんて、もらったこともないし、出したこともない。女子と付き合ったこともないから告白もしたこともされたこともない。

どうするって聞かれても、それは、こっちが聞きたいくらいだ。

 すると、その中から、一通の白い封筒を手にした男子が、黙って俺に差し出した。

「あの、これ、俺が書いた」

「おおぉ~!」

 俺は、真っ赤になって手紙を差し出した男子生徒を見た。えっと、誰だっけ?

名前が思い出せない。

まだ、このクラスにきて、一ヶ月なのだ。クラス全員の顔と名前が一致しない。

「おい、田中、お前、渚ちゃんのこと好きなのかよ?」

 その声を聞いて、この男子は、田中という名前なのかと思った。

「あの、返事を聞かせて欲しいんだけど……」

 クラス中が、俺に視線が集中する。どうする俺…… 

言っておくが、俺は、男だ。アッチの趣味はない。俺は、女が好きだ。

ノーマルなのだ。だから、答えは一つ。

しかし、そのことを、クラスの友だちは知らない。もちろん、その事実をばらすわけにもいかない。

「渚ちゃん、誰か好きな男の子とかいるの?」

 木村さんが聞いてきた。よし、その手があるか。

「う、うん」

 俺は、小さく頷いた。

「それって、誰ですか? 俺の知ってる人ですか。クラスにいるんですか」

 そう言われても、そんな人はいない。誰にするか…… 

田中には悪いが、断らせてもらう。

「クラスの人じゃないわ。前の学校にいた先輩なの」

 俺は、口から出まかせを言った。明らかなウソだが、このクラスの友だちには、そのことは知らない。

「振られちまったな、田中」

「残念ね、田中くん」

 今度は、田中の方に視線が集中する。ガックリと肩を落とす田中だが、こればかりは、どうすることも出来ない。

可哀想だが、他に好きな女子を見つけて欲しい。

「でも、同じクラスなんだから、友だちとしてなら……」

「そ、そうね。クラスメートだからね」

 俺は、そう言うしかなかった。てゆーか、それくらいのことしか出来なかった。

少しは、ホッとしたのが、安心した表情に戻った、田中を見て、心の中で

『ごめん』と謝った。

「それにしても、すごいな」

「渚ちゃん、モテモテね」

「数えただけで、ざっと13通だぜ」

「いちいち、返事をするの、大変ね」

 女子も男子も、話題はすっかり、こっちの話になった。

「ごめん。渚じゃなくて、早乙女さんはいるか?」 

 その声は、正宗だった。いきなり、教室に入ってきて俺を呼んだ。

違う意味で、ちやほやされるのは、面倒だったので、正宗を助け舟だと思って席を立った。

「渚ちゃん、ちょっと、顔を貸してくれる?」

 正宗の後ろから、顔を引きつらせて、無理に笑顔を作っている龍子がいた。

こんなときの龍子は、最悪に怒っている証拠だ。開いている肩目がつり上がって見えた。

 俺は、二人の後をついて、屋上に上がった。俺は、身構えた。振り向き様に、正宗に殴られるかもしれないと

思ったからだ。だが、正宗は、何もしなかった。

俺を見下ろすと、黙ってポケットから、手紙を出して俺の足元に投げつけた。

そして、龍子もスカートのポケットから、手紙をいくつか出して、放り投げた。

「黙って、拾え」

「あたしたちは、あなたにこれを届けにきただけだから、ヘンな誤解しないでね」

 俺は、黙って、足元の手紙の束を拾い上げた。

「これは……」

「見りゃ、わかるだろ。お前に出した手紙だ」

「要するに、ラブレターってやつよ」

 やっぱり…… 今の俺には、それしか思い当たらない。

「お前が、同じ柔道部だってことで、俺に預けて寄越したものだ」

「右に同じよ」

「わざわざ、届けてくれたのね。ありがとう」

「ありがとうじゃねぇ!」

 正宗が怒った。そりゃ、そうだろ。この大事なときに、恋だのなんだの言ってる立場ではない。

「ねぇ、渚ちゃん、どうするのこれ?」

「どうするって、断るに決まってるだろ」

「そんなことはわかってるわよ。でも、どうやって、断るの?」

「それをどうするか、考えてるのよ。教えてくれない?」

「そんなこと、自分で考えろ」

 正宗は、そう言うと、大股で歩いていった。

「まったく、渚ちゃんは、この手のことは、ホントに何もわかってないのね」

「ごめんなさい」

「別に、謝らなくてもいいけど、勇気を出して、これを書いた男子たちのことも、考えなさいよ」

 確かにそうだ。龍子に言われるまでもない。振られる前提で書いてきたこの手紙に、俺は、応えることが出来ない。

「あっ、見つけた」

 そこに、今度は、妹がやってきた。

「もう、探したのよ、お姉ちゃん。龍子さんもいっしょなのね。もしかして、目的も同じ?」

「さすが、雪ちゃんは、察しが早いわね」

 そう言って、目線を足元に送る。それを見た妹は、手紙を拾いながら言った。

「妹としては、実の兄がモテるのは、うれしいんだけど、素直に喜べないのよね」

 そして、その手紙を俺に押し付けた。

「それと、これは、オマケ」

 そういって、ポケットから数枚の手紙を握らせた。

「これって……」

「決まってるでしょ。お姉ちゃんにあてた手紙よ。ホントは、お兄ちゃんだと知らずに、あたしに渡してくれって言われて預かってきたのよ。ちゃんと、返事してよね。恨まれるの、あたし、イヤだから」

 俺は、頭を抱えたくなった。この状況をどうすりゃいいんだ。

柔道の練習どころじゃないぞ。

「このこと、春美ちゃんにはないしょよ。お姉ちゃんのこと好きなんだから、こんなこと知ったら、可哀想でしょ」

 そうだった。春美のことがあった。違う学校でよかった。

俺は、つくづくホッとした。

しかし、このことが春美の耳に入ったら、大変なことになる。

「龍子さん、春美ちゃんには、秘密にしてね」

「わかってる。ヘソを曲げられて、大会に出ないとかなんて言い出したら、取り返しが付かないもの」

 そうだ。それが最悪なのだ。今、春美に逃げられたら、優勝どころか、試合にも出られない。

「とにかく、この手紙のことは、ちゃんと、返事をして、断ってね」

「男の子たちを傷つけないようによ」

 龍子と妹から言われると、何も言い返せない。でも、こんなたくさんの手紙に返事なんて書けない。

「まったく、しょうがないわね。手伝ってあげるわ」

 妹が頭に手を当てて、呆れ返った口調で言った。 

頼りにしてるぞ、わが妹よ。

そんなこんなで、このことは、一件落着した。

正確には、まだ、してないんだが……

とりあえず、騒ぎは落ち着いたというか、ホッとしたのは確かだった。


 その日の放課後の練習を終えて帰宅すると、女子の制服から男に戻り、リビングで麦茶を飲んでいると妹が前に座ると、俺のかばんをテーブルに勢いよく乗せた。今日は、宿題はないはずだが……

「何、のん気にお茶なんて飲んでるのよ。夕飯まで時間があるから、返事を書いちゃってくれる」

「な、なに……」

「今夜は、あたしが夕飯作るから、出来るまでに書くのよ」

「お、おい、それは……」

「書けないっての?」

「イヤ、そうは言ってない」

「手伝ってあげたいけど、あたしの字とおにいちゃんの字が違ったら、おかしいでしょ。だから、代筆は出来ないの。文面は、あたしが考えてあげるから、時間がかかってもいいから、全部、自分で書いてね」

 イヤと言えない立場の俺は、仕方なく妹が用意した便箋にペンを走らせた。

そして、妹が言うとおりに書いた。出来る限り簡単に、でも、相手を傷つけないように書き上げた。

一通ごとに時間をかけられないので、出来るだけ早く書くようにする。

 30分後、妹特製のカツカレーが出来た。

「ハイ、お疲れ。ご飯にしましょう」

「あぁ~ぁ、疲れた……」

「どれくらい出来た?」

「7通かな」

「えっ? まだ、それだけ。半分も終わってないじゃない」

 妹は、ため息を付いた。

「これを食べたら、続きを書くのよ」

「明日にしようぜ」

「ダメよ。今日中に書いちゃわないと、また、増えたらどうするの?」

「増えるのか?」

「わかんないけど、明日、学校に行ったら、また、下駄箱に入ってたらって言う意味よ」

「まさか」

「そんなこと、わからないでしょ。だから、そうなる前に、さっさと断って、こんなことしても無駄だって

男子たちに教えてあげるのよ。お兄ちゃんに振られたら、絶対、噂になるから」

 やっぱり、妹は頼りになる。ウチは、男より、女の方が、頭の回転が速くて頼りになる。

きっと、親父も母さんに頭が上がらないのは、俺と同じ気がする。

この返事を書くのは、宿題をやるより、大変だった。

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