第6話 練習開始。

 昨夜は、かなり遅くまで返事を書いた。正直、疲れた。

それでも、一段落したので、ホッとした。今日も、妹と学校に行く。

 教室に行く前に、返事を書いた手紙を下駄箱に一人ずつ、入れていった。

これで、もう大丈夫だろう。妹と手分けして入れていったので、早く終わることが出来た。

「おい、渚」

 突然、後ろから正宗に話しかけられた。振り向くと、怖い顔をして俺を睨みつけていた。

朝から見る顔ではない。

「なぁに、正宗くん」

「その声は、やめろ」

「だって、あたしは、女の子だもん」

 そう言うしかない。すると、正宗は、大きなため息をついていった。

「返事は、書いたのか?」

「書いたわよ」

「それで、返事は?」

「もちろん、悪いけど、断ったわ」

 それを聞いて、安心したのか「わかった」とだけ言って、自分の教室に戻って行った。

朝から、面倒臭い話だ。改めて、俺は、自分の教室に戻った。

「おはよう、渚ちゃん」

「おはよう」

 クラスの友だちに朝の挨拶を交わす。

同じクラスの男子には、直接、返事の手紙を渡す。

すると、すぐにそれを読むと、ガックリと肩を落としていた。

可哀想だが、仕方がない。俺に男の趣味はない。

 男子たちが集まって、なにか話をしている。返事の内容のことだろう。

「あの……」

 肝心の男子が俺の前に来た。話ずらそうな顔をして、イマイチ元気がなかった。俺は、心の中で手を合わせて、ごめんと言った。

「でもね、同じクラスだし、友だちとしてなら、いいから」

 これが、辛うじて俺の出した答えだ。

それを聞いた男子は、心なしか元気を取り戻した。

「うん、これからもよろしく」

「こちらこそ」

 俺は、とびっきりの笑顔で返事をした。我ながら役者だ。

「渚ちゃん、結局、誰と付き合うの?」

「誰とも付き合わないわ。悪いけど、みんな断ったのよ」

「えーっ、もったいない」

「もうすぐ、大会があるから、今は、柔道に集中したいだけなの」

 女子たちは、少しガッカリしたようだった。

実際、俺は、恋愛どころじゃないのだ。

 授業が始まって、俺は、いつも通りノートを開く。

この日も、無事に授業が終わって、放課後は練習だ。

 俺は、早々と道場に行った。まだ、誰も着てないので、早めに着替えた。

更衣室から出てくると、丁度、後輩の男子と女子がやってきたところだった。

五分遅れたら、トンでもないところに鉢合わせするところだった。毎回、着替えをするときは、回りを気にして冷や汗物だ。

 後輩たちも着替えると、それぞれ準備運動を始める。今日は、双子の兄弟と春美は来ない。

アルフォンヌも今日は、来る日ではないので、各自、自分で考えた稽古をするのだ。

 だが、そこで、あることに気がついた。それぞれの主将である、正宗と龍子がまだ来てない。

「渚先輩、主将の二人が、まだ来てないんですけど、どうしたんですか?」

「さぁ、あたしは、知らないわ」

 後輩に聞かれても、返事のしようがなかった。確かに、おかしい。あの二人が、稽古に遅れるなんて珍しい。

なにかあったのか? 俺も心配していると、妹がやってきた。

「お姉ちゃん、ちょっと大変よ」

「どうしたの? これから練習よ。部外者は、邪魔しないで」

「それどころじゃないわ。ちょっと来て」

 俺は、妹に道着の袖を引っ張られて、外に連れ出された。

「何だよ、離せよ」

 俺は、本来の自分の声で言った。

「大変なのよ。今度の大会には、出場しないらしくて、今、先生と正宗さんと龍子さんが揉めてるの」

「なんだって!」

「お姉ちゃん、声が大きい」

 俺は、一度、咳払いして、女声に戻した。

「どういうことなの?」

「だから、今度の大会に、ウチの学校は、登録しないらしいのよ」

「それじゃ、試合は、どうなるの?」

「欠場に決まってるじゃない」

「ふざけないでよ。それじゃ、今まで、あたしたちは、何のために練習してきたのよ」

 俺は、裸足のまま、歩きだした。

「ちょっと、どこに行くの?」

「決まってるでしょ。先生たちに掛け合ってくるのよ」

「待って、お姉ちゃんが行っても、話にならないから、正宗さんたちに任せて」

「そんな場合か。あたしの優勝がかかってるのよ」

 俺は、妹の腕を振りほどいて、職員室まで走った。

冗談じゃないぞ。今度の大会に優勝して、三連覇を達成するんだ。

女子だけど……

正宗だって、龍子だって、そのためにがんばってんだ。

双子の兄弟や春美、アルフォンヌまで、巻き込んだのは、優勝するためだ。

それが、大会に出られないんじゃ、勝負の前に話にならない。

 すると、校舎に入りかけたところで、正宗と龍子が出てきた。

「ちょっと、どういうことなの? 」

「すまん。こんなことになって……」

「だから、どういうことなんだって、聞いてんのよ」

「柔道は、危険な競技だから、ウチの学校は、今年から出ないのよ」

「なんだと!」

 思わず、声がホントの自分に戻ってしまった。

「冗談じゃないわ。それじゃ、あたしたちは、どうなるのよ?」

 すると、龍子の片目から大粒の涙が流れた。

「ごめんね、渚くん」

 そんな龍子を見ると、俺も何もいえなくなる。

龍子と正宗は、この大会にかけていた。もちろん、俺もだが、この二人には、

将来のことがかかっている。

「もう一度、先生に掛け合ってくるわ」

 俺は、そう言って、校舎に入ろうとすると、正宗が襟首を掴んで止めた。

「離して、正宗くん」

「話を聞け」

「話なら、先生に聞いてくるわ」

「そうじゃない。いいから、道場に戻るぞ」

 俺は、正宗に羽交い絞めにされて道場に戻された。

「お前、それでいいのか。お前らの夢はどうなるんだ? 悔しくないのか」

 思わず、普段の俺の声になる。

「渚くん、声……」

「そんなのどうでもいい。龍子、お前、悔しくないのか?」

「悔しいに決まってるじゃない。あたしだって、優勝したいわ」

「それなら……」

「いいから、来い」

 話を中断されて、道場に連れ戻された。

後輩たちだけで練習しているところに、俺たちは戻ってきた。

「練習やめ」

 正宗の大きな声が道場に響いた。

後輩たちは、畳に正座をして並んだ。俺たちも後輩たちと向かい合って正座をする。

しかし、俺は、腹の中が煮えくり返っていた。話し次第では、親父の力を借りてでも、今度の大会には、出るつもりだった。

 そして、正宗は、事の次第と今度の大会に出られなくなったことを後輩たちに話した。当然のように、後輩たちも、悔しさを顔に出した。

「どうしてですか?」

「あたしたちは、優勝したいんです」

「俺たちも先生に話をしに行きます」

「あたしも」

「俺も行きます」

 後輩たちは、やっとやる気を出してきたところだ。それを、学校が水を差すなんて、考えられない。

この後輩たちのためにも、俺は、なにが何でも優勝しなくてはいけないのだ。

せっかく、強くなってきたのに、俺は、どうやっても理解できなかった。

「お前たちの気持ちはわかる。だが、学校としては、出場できない。それは、もう、変わらないんだ」

 正宗がはっきり言った。道場内が、シーンと静まり返った。

後輩の女子は、悔し涙を流している。そんな顔を見ると、たまらなく悔しかった。

「だが、安心しろ。こんなこともあろうかと、手は打ってある。こんなことは、したくなかったんだけどな。最悪の事態を想定しておいてよかった」

 なにを言ってるんだ。正宗は、余りのことに、頭がおかしくなったのか?

道場の隅で立ち尽くしている妹も、驚いていた。

「今度の大会には、一枠開いている。わざと空けてあるんだ。万が一の時には、それを利用するつもりでアルフォンヌ先生と話をしてある。それを利用して、俺たちは、学生連合ということで出場する」

 なんだって! 俺は、正宗の話に、目玉が飛び出そうなくらい驚いた。

確かに大会は、部員数が少ない学校の生徒たちが、それぞれ集まって団体戦に出るという話は聞いたことがある。しかし、この数年は、この制度を使って、出場したという話は聞いたことがない。

「俺たちは、それぞれ、架空の学校の生徒として、個人が集まっての団体として出場する。もちろん、全員だ。そして、優勝して、先生たちの鼻を明かしてやろう」

「主将、ありがとうございます」

「よぉし、やってやろうぜ」

「絶対、優勝よ」

「よし、優勝してやろうぜ」

 さっきまで、悔し涙を流していた女子たちも、一気に盛り上がった。

男子たちは、ガッツポーズをして、お互いにハイタッチを交わしている。

 龍子も妹も、この話は、知らなかったのか、呆然としていた。

もちろん、俺もだ。

「正宗くん……」

 俺は、隣で正宗を見た。

「だから言っただろ。こんなこともあろうかと思って、アルフォンヌ先生と、もしものときのために、打ち合わせをしておいたんだ。すまなかったな、秘密にしてて」

「バカ……」

 正宗を見直した。それにしても、アルフォンヌまでが、そんなことを考えていたとは知らなかった。

「しかし、一つ問題がある。ウチの学校は、欠場する。だから、この道場は使えなくなった。つまり、たった今から、稽古をする場所がないということだ」

「それじゃ、どこで練習するの?」

 俺は、聞かずにいられなかった。

すると、正宗は、ニヤッと笑って、こう言った。

「警察署の道場だ」

「えーっ!」

「警察って……」

 地元の警察署には、道場がある。しかし、入ったことはない。許可とか大丈夫なのか?

「だから言っただろ。アルフォンヌ先生が話をつけてくれた。それと、渚、お前のお父さんの力も借りた」

「えっ、おや…… じゃなくて、お父さんの?」

 思わず、親父といいそうになって、慌てて訂正した。

「渚のお父さんは、警視庁の刑事さんでな、話をつけてくれたんだ」

 そういうことか。最近、親父には、会ってないから、そんな話は聞いてなかった。見ると、すかさず、妹はスマホをいじり始めた。

どうやら、親父に話を聞いているようだ。

「それじゃ、これから、早速、稽古に行くぞ」

「行くって、どこに?」

「渚、お前、話を聞いてなかったのか? 稽古に行くと言ったら、警察署の道場だ」

「今から?」

「当たり前だ。俺たちは、優勝するんだぞ。時間がない。それじゃ、全員、靴を履いて、私物を持って、外に整列」

 正宗の号令で、俺たちは、急いで支度をした。

「全員整列。これから、警察署まで、ランニングで行くぞ」

「ハイ!」

 こうして、俺たちは、二列に並んで警察署まで荷物を持ったまま走った。

全員明るい表情だ。もちろん、俺もやる気を抑えられない。

妹がハァハァ言いながら後を付いてきた。

 正宗は、警察署に入ると、受付でなにか言ってる。

地元の小さな警察署に、柔道着を着た男女が大挙して来たら、周りの一般の人はもちろん、受付にいる警察官も驚いてこっちを見ている。俺自身、親が刑事とはいえ、警察署にくることはほとんどないので、実は、緊張している。

悪いことをしたわけではなのに、なぜか、回りの視線が気になる。

「おおぉ、遅かったな。こっちだ、こっち」

 中から、聞き覚えのある声が聞こえた。まぎれもなく、俺の親父だ。

「正宗くん、大丈夫だから、気にせず入って、五階だから、案内するぞ。みんなもついてきなさい」

 そう言うと、俺たちを案内する。俺と妹は、思わず顔を見合わせた。

エレベーターに別れて乗ると、親父は俺と妹に言った。

「そういうわけだ。少しは、お父さんを見直したか」

 そう言って、大きな声で笑った。俺も妹も、何も言えない。

五階について、エレベーターを出ると、目の前にものすごく広い畳が広がっていた。

こんなに広い柔道場は、体育館の試合会場でしか見たことがない。

「なにしてんだ。入って、入って。練習相手なら、申し分ない、強いのが揃ってるぞ」

 親父がそう言うと、目の前には、レスラーみたいな体の大きな強そうな男たちが、稽古に励んでいた。これが、大人の稽古なのかと、俺も圧倒される。

 すると、その中から、そんな大男たちとは、一回りも二周りも小さな金髪のちょび髭の男が顔を出した。

「アラアラ、遅かったのだ。みんな、待ってたのだ。さぁ、稽古なのだ」

 アルフォンヌだった。こんな小さな男が、大男たちを軽く投げている。

「この人たちは、ここの刑事さんたちだ。警察署対抗柔道大会で、強いのばかり集まってもらった。キミたちの練習相手には、丁度いいだろ。しっかり練習しなさい」

「早乙女さん、ありがとうございますなのだ」

「イヤイヤ、私もアルフォヌ先生の力になれて、うれしいです。この子たちを、しっかり鍛えてあげて下さい」

「わかったのだ。今度の大会には、必ず優勝させるのだ」

「それじゃな、渚もしっかりやるんだぞ。雪、お前も、頼むぞ」

 そう言って、親父は、仕事に戻っていった。唖然とする俺は、そんな親父の背中を見送るしかなかった。

「さぁ、それじゃ、練習するのだ。男女に別れて、稽古をつけてもらうのだ。この人たちは、強いのだ。大会までに、一度でも勝てたら、優勝間違いなしなのだ」

 アルフォンヌの声に、俺たちは、一列に並んでこう言った。

「よろしくおねがいします」

 正宗に合わせて、しっかり声を出して挨拶した。

それからの二時間は、たっぷり汗を流した。俺と正宗は、辛うじてこんな大男たちを相手にしても倒されることはなかった。それでも、倒すことはできなかった。体力差と言うのを思い知らされた。

 なのに、アルフォヌは、汗一つかかずに、大きな刑事たちを軽く投げ飛ばしている。

俺たちと同時に、ここの刑事たちにも稽古をつけている。アルフォンヌのすごさを思い知った。

「龍子くん、キミの弱点は、その左目なのだ。左から来る相手は、見えずらいのだ。相手は、必ずキミを左から攻めてくるのだ。そのとき、キミは、どうするのだ?」

「自分の弱点ぐらいわかってます。右目で相手を視界に入れるように体を入れ替えます」

 龍子は、左目が見えない。しかも眼帯をしているので、相手に弱点を教えているようなもんだ。それでも、女子では、最強と言われる龍子だ。

「それじゃ、あたしとやってみるのだ」

 そう言うと、アルフォンヌと龍子が一対一で稽古が始まった。

アルフォンヌは、左から攻める。龍子が体の向きを変えて構える。

だが、それより先に、襟を組むと同時に、足を掬われて、あの龍子があっさり倒されてしまった。

龍子が唖然として、アルフォンヌを見上げる。

「学生相手ならそれでも通用するのだ。しかし、龍子くんより強い相手や、力のある者、すばやい動作が出来る者には通用しないのだ。キミは、上を目指すなら、もっと強くならなきゃいけないのだ」

「ハイ」

「わかったら、あたしを左から攻めてみるのだ」

 そう言うと、手拭いで左目を隠した。

「さぁ、くるのだ」

 龍子は、左からアルフォンヌに立ち向かった。襟さえ掴めば、龍子の技術なら倒せる。そして、その通り、隙をついて襟首を掴んだ。俺は、勝てると思った。

だが、龍子は、あっさりアルフォンヌに投げられた。

 龍子は、投げられたまま、悔しそうにアルフォンヌを見る。

「どうして投げられたか、龍子くんにわかるのだ? 」

「わかりません」

 龍子は、立ちながら言った。

「それは、簡単なのだ。相手もバカではないのだ。左から行ったら、体を向き直るくらいは、わかるのだ。つまり、キミの場合は、一拍、遅れるのだ。その一拍が、命取りになるのだ」

「それじゃ、どうすればいいんですか?」

「簡単なのだ。龍子くんの実力なら、左からきたら、そのまま襟を掴ませてやるのだ」

「でも、それじゃ、倒されてしまいます」

「そうなのだ。でも、大丈夫なのだ。あたしが、とっておきのやり方を教えるのだ」

「ハイ、お願いします」

 龍子が、直立不動になると、流れる汗も拭かずに頭を下げる。

「ノーノー、そんな難しいことじゃないのだ。簡単なのだ。相手が左からきたら、そのまま体を預けて倒せばいいだけなのだ」

 そう言うと、龍子は、アルフォンヌに何度も立ち向かった。

一度、コツを覚えれば、後は、飲み込みの早い龍子は、ついにアルフォンヌに勝った。左から攻められたら、そのまま全体重を相手に預けながら、足を払う。

それだけだった。

「倒れたら、後は、得意の寝技に持ち込めばいいのだ」

「ハイ、ありがとうございます」

「さぁ、次は、正宗くんの稽古をするのだ」

 龍子の次は、正宗か。俺も負けていられない。正直言って、高校生相手なら

無敵の俺でもアルフォンヌにだけは、一度も勝てたことがない。正宗と龍子に稽古をつけられたら俺だって、勝てる保証はない。

「正宗くんは、体が大きいから、その体格を利用しないのは、もったいないのだ。相手を押し倒すくらいで充分勝てるのだ」

 そう言って、正宗を相手にするアルフォンヌだが、軽く正宗を投げている。

「足技をもっと練習するのだ。足元を掬われて、まさかという相手に負けるのだ」

「ハイ、わかりました」

「次は、ナギくんなのだ」

「えっ? あたしですか」

「そうなのだ。キミは、まだ、あたしに一度も勝ててないのだ」

 くっそ…… アルフォンヌなんかに負けてたまるか。

俺は、声を上げてアルフォンヌと組んだ。だが、どう攻めても、軽く交わされる。それどころか、投げられてばかりだ。

「相変わらず、ナギくんは、血の気が多いのだ。もっと、落ち着いて、相手を見て戦うのだ」

 いちいち、癪に障る言い方が気に入らない。でも、勝てないことには、説得力がない。

俺は、何度もアルフォンヌに立ち向かった。しかし、やっぱり、一度も勝つことが出来ない。

「ナギくんは、一度、徹底的に負けないと、強くなれないのだ」

 そう言うと、今度は、後輩たちの稽古に向かった。

負けないと強くなれないって、どういう意味だ?

そんな謎解きのようなことを言われても、俺にはわからない。

それから、しばらくここの刑事たちと組んで練習をしていると、時間が来てしまった。

「ハイ、今日は、これまでなのだ」

 アルフォンヌがそう言って、練習時間の終了を告げた。

「明日からも、ここで練習するのだ。学校が終わったら、各自集まって、揃うまで準備運動をしておくのだ。明日は、双子の兄弟と春美ちゃんも参加するのだ。それじゃ最後に、ナギくん前に出るのだ」

 言われた俺は、前に出た。

「それじゃ、二年生のキミ、ナギくんと試合をするのだ」

「えっ、あたしがですか?」

「そうなのだ」

「でも、あたしは、渚先輩には、勝てませんよ」

「大丈夫なのだ」

 そう言うと、二年生の後輩の女子になにやら耳打ちをする。

「それじゃ、やってみるのだ」

 なにを言ってるんだ、アルフォンヌは。いくら強くなったとはいえ、二年の女子だぞ。俺は、ホントは男だし、負けるわけがない。片手でも勝てる相手だ。

「お願いします。渚先輩」

 白帯の二年の女子は、お辞儀をすると、掛け声を上げて構える。

俺も構えた。俺は、相手の出方を待った。襟でも袖でも、掴んできたら、投げればいい。足技にきたら、その足を引っ掛けて後ろに倒すだけだ。

もっとも、相手は、女子だから、手加減はする。

「えいっ!」

 思ったとおり相手は、袖を掴んだ。このまま引きつけて、投げれば終わりだ。

ところが、そう思ったとき、なぜか俺は、畳に背中から倒されていた。

呆気に取れた俺は、天井を見詰めていた。二年の女子は、うれしそうに喜んでいた。回りで見ていた、正宗と龍子は、まさかと言う顔をしていた。

「わかったのだ、ナギくん。キミは、相手を見下すという、真剣さがないのだ。だから、負けるのだ」

 そういうことか。だったら、今度は真剣に、相手が二年の女子だろうが、

手は抜かない。

「もう一度よ」

 こんな時でも、女の言葉遣いは忘れない。

俺は、立ち上がって、相手を睨みつけた。

「さっきの調子で、もう一度、ナギくんを倒すのだ」

「ハイ」

 俺を倒したことで、自信がついたのか、二年の女子は、真っ赤な顔で俺を見詰める。二度も同じ相手に負けるわけにはいかない。次は、負けない。

「やぁ!」

 俺は、相手をビビらせるつもりで、声を張り上げた。

今度は、先手必勝だ。俺から先にいく。体格的には、俺と同じくらいだ。

しかし、二年生なのだ。しかも女子だから、組んでみると体が小さいのがわかる。

 俺は、袖を掴むと同時にその腕を強く握る。そして、体をひきつけて、腰に乗せるようにして投げた。

ところが、相手は、その動作に自分から付き合うようにすると、俺の体を軸にして、回転するように畳に着地すると同時に足を払われて、あっさり倒されてしまった。

「やったぁ! 渚先輩に二回も勝てたわ」

「よくやったのだ。ナギくん、どうして、同じ相手に二回も負けたのか、わからないうちは、あたしには勝てないのだ」

 そう言うと、この日の稽古は終わった。その後、俺は、どうやって帰ったのか覚えていない。

「渚、どうしたんだ。相手は、二年の女子だぞ」

「渚くんが二回も続けて、同じ相手に負けるなんて、信じられないわ」

「お姉ちゃん、しっかりしてよ」

 俺は、正宗と龍子、妹と帰った。だが、その間、一言も口を利けなかった。

後輩の女子に二度も負けたことのショックのが大きかった。

この俺が、同じ相手の、しかも女子に負けるなんて、自分でも信じられなかった。負けた原因がまったくわからない。慢心なのか、それともアルフォンヌが

俺の弱点を教えたのか?

しかし、俺に弱点なんてあるわけがない。

でも、それが、慢心なのかもしれない。

 真剣さが足りない? 俺は、いつだって真剣だ。

だから、これまで優勝してきたんだ。

あの正宗にも勝った俺に、慢心とか真剣さが足りないなんて、あるわけがない。

 結局、俺は、無言のまま帰宅した。その日は、帰っても、女子の制服から着替えるのも忘れて頭を抱えて椅子に座ったきり動けなかった。

 それを見た妹が、夕食の準備を始めた。そこに、親父が帰ってきた。

「ただいま、腹減ったな」

「お帰り、お父さん。今夜は、カレーよ」

「雪の作るカレーは、うまいからな。ところで、お母さんは?」

「今頃、マレーシアよ。日本に帰るのは、まだ先みたいよ」

「そうか、しばらく会ってないから、お父さんは、淋しいよ」

「娘の前で、それ、言うかなぁ~」

「それで、渚は、なにしてんだ?」

 女子の制服のまま、椅子に座っている俺を見て、親父が不思議そうな目で見ながら言った。

「お兄ちゃんね、二年生の女子に、二度も負けたのが、ショックだった見たいよ」

「なるほど。お前の悪い癖が出たみたいだな」

「お兄ちゃんの悪い癖ってなんなの?」

「それは、自分で考えなきゃ、癖は直らない。それがわからないんじゃ、渚は、今年は勝てないかもな」

 なにを言ってるんだ? 俺が勝てない? そんなわけがあるか。勝つに決まってるだろ。第一、俺の悪い癖ってなんだ? そんなの俺にあるわけがない。イヤ、ない。

ないに決まってる。

「渚、お前、わかんないのか。それじゃ、ホントに負けるぞ。お前が負けたら、お父さんは、何のために警察署で練習できるようにしたのか、意味がなくなるだろ。しっかりしろ」

 そういや、警察署の道場で練習できるのは、親父のせいでもあるらしい。

どういうことなんだ?

「そうそう、正宗さんも言ってたわ。お父さん、どうやったの?」

 妹が俺の代わりに聞いてくれた。

「アソコの署長が、俺と同期でな。もっとも、あいつのが出世したけどな」

 そう言って、親父は、勝手に冷蔵庫からビールを取り出して、飲み始めた。

「昨日な、アルフォンヌ先生から電話をもらってな、練習場を確保しなきゃいかんてことで、署長に相談したんだ。あいつには、借りがあるからな。そう言うことで、うまくいったんだ」

 なるほど、そんな事情があったのか。しかし、そんなことより、俺の悪い癖のことだ。

「なぁ、親父、俺の悪い癖ってなんなんだ?」

「その前に、着替えてこい。息子の女装した姿を見ながら飲むビールは、まずくなる」

「教えくれよ。俺の悪い癖って、なんなんだ」

 親父は、一口ビールを飲むと、泡だらけの口のままこう言った。

「アルフォンヌ先生は、なんか言ってたか?」

「真剣さが足りないとか何とか言ってたけど……」

「ハッハッハ、さすがだな。お前の悪い癖ってのは、そこだよ」

 そう言われても、俺には、サッパリわからない。

「今のお前なら、雪が相手でも、勝てないな」

「え~、そんなわけないじゃん」

「いやいや、雪でも勝てるぞ」

 親父は、自信満々に言いながら、ビールを煽った。そんなわけあるか。柔道をやったことがない妹に負けるわけがない。

「渚、今、お前が思ってることを当ててやろうか」

 俺は、?マークが頭にいくつも並べた顔をした。

「柔道なんてやったことがない妹に負けるわけがない。そうだよな」

 俺は、黙って頷いた。

「そこだよ。お前は、格下とか、後輩とか、自分より弱いやつを相手にすると、自分は強いと思って試合をするよな。確かに、今までは勝てた。だけどな、アルフォンヌ先生は、お前をよく見てる。子供の頃からの師匠だからな」

 親父は、俺の子供の頃を思い出したのか、懐かしそうに話を続けた。

「あの頃は、何度倒されても、泣きながらアルフォンヌ先生に向かっていったよな。そうして強くなった。中学、高校でも敵なしの無敵になったわけだ。自分に勝てる相手はいないと思ったんだよな」

 また、大きく頷いた。確かに、そうだ。でも、それも事実だ。

「でも、ちょっと、アドバイスされると、お前は弱いんだよ。気持ちの問題だな」

 気持ちの問題? なんだそれ。そんなのが悪い癖だというのか?

「そうだな。正宗くんとやったときのことを、思い出せば、わかるかもな」

「正宗と?」

「あの時は、どう思って、試合をした? 勝てると思ったか? 弱い相手だと思っていたか?」

 そんなことはない。正宗は強い。あの頃も今も…… 

あいつとの試合は、どっちが勝っても不思議じゃない。

あの正宗を格下とか、弱いなんて思ったことは、一度もない。

それだけ、俺は、正宗を認めていた。それが、何だというのか、俺にはわからない。

「その顔は、まだ、わからないみたいだな。明日、正宗くんと試合をして見ろ」

「試合をすれば、わかるのか? 」

「さぁ、それは、お前次第だな」

 そう言うと、妹が作った、カレーライスをうまそうに食べ始めた。

俺は、それを黙ってみていた。  

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