第3話 助っ人登場。

「ただいま」

 玄関が開く音と同時に、親父の声がした。親父の声を聞くのも久しぶりだ。

「おじゃましてます。今日は、送ってくれてありがとうございました」

「一人じゃ迷子になるだろ。大丈夫だったか?」

「ハイ」

 笑顔で会話を交わす親父と春美が、家族に見えてくるから不思議だ。

「雪、学校はどうだ。友だちは出来たか?」

「まぁ、ぼちぼちね」

「そうか、それで、渚はどうだ?」

 俺は、親父に言うことがある。

「あのさ、父さん、俺のことだけど、何で女子の……」

「ねぇ、お父さん、お兄ちゃん、柔道部に入ったのよ」

 妹が割って入ってきた。

「そうか。そりゃ、いい。がんばれよ」

「イヤ、そうじゃなくて……」

 俺が話の続きを言おうとすると、親父は着替えに部屋に入ってしまった。

「ダメじゃない、その話は、もう少し、落ち着いてからにしなきゃ」

 妹に怒られる。俺は、ふて腐れてリビングでテレビを見ることにした。

部屋着に着替えて戻ってきた親父は、冷蔵庫からビールを出して、勝手に飲み始めた。

「お父さん、ご飯は?」

「軽く食ってきた」

「それじゃ、なんか作るわね」

「あたしもお手伝いします」

 キッチンで、妹と春美がなにかを作り始めた。なんなんだ、この家は。

男の威厳がまるでないじゃないか。

「渚、学校は、なれたか?」

「だから、そのことだけどさ」

 そこまで、言いかけたところで、また、妹が間に入ってきた。

「ハイ、おつまみよ」

「ありがとう」

 親父は、妹が作った、料理をうまそうに食べ始める。

「あのさ、お父さんに話があるんだけど」

「なんだ、何でも言ってみろ」

「お兄ちゃんのことなんだけど……」

 親父の前に座った妹は、俺の女子のことを話した。そして、柔道部のいきさつなども詳しく話して聞かせる。

もちろん、春美や双子の兄弟を影武者にして、大会に出場させることは、ないしょだ。

話を聞き終わった親父は、ビールを一口飲んで、盛大に笑った。

「そりゃ、傑作だな」

「笑い事じゃないぜ。このままじゃ、卒業するまで、女のままなんだぞ」

 俺は、やっとの思いで文句を言った。

「悪いと思ってるよ。すまんな、渚」

「そう思ったら、早く男に戻してくれよ」

「そうしたいんだけど、俺も事件で忙しくて、なにかと手続きが面倒だし、時間もかかるから、我慢してくれ」

「それじゃ、卒業まで、女でいろって言うのかよ」

「一年の辛抱だ。それに、今までも、女と間違えられることは、あったじゃないか」

 確かに、これまで数え切れないほど、女子に間違えられたことはあった。

あったけど、今回は、学校生活に関することだけに、我慢できない。

しかも、一年間は長すぎる。

「どうにかできないのかよ?」

「すまん、渚。父さんも母さんも、仕事で忙しくて、手が回らないんだ」

 親父が、軽く頭を下げる。そこまで言われると、俺もこれ以上強くは言えない。俺は、ため息を着くと同時に、顔をテレビに向けた。

「それで、柔道部の方は、女子の方か」

「そうなのよ」

「仕方ないな。それなら、女子で日本一になればいいじゃないか」

「それが、女子には、龍子さんがいるのよ」

 妹が説明する。そこに、春美までが加わる。

「おじさんも独眼龍子って、名前くらいは知ってるでしょ」

「去年の大会で、女子で日本一になった、片目の女子の選手だろ」

「そうなの」

 春美が、親父にビールを注ぎながら言った。

「その女子が、学校にいるのか?」

「そういうこと」

「それじゃ、渚も危ないな」

「危なくないよ。女に負けるわけないだろ」

 俺は、話を向けられて、言い返した。

「それと、その柔道部には、お兄ちゃんに決勝で負けた、真田正宗って人もいるのよ」

「そうなのか。そりゃ、いいライバルだな」

「ライバルじゃねぇって。向こうは、男子で、俺は女子なんだぞ」

 親父が笑いながら言うのが、いちいち腹が立つ。

「しかし、その柔道部が廃部の危機ってのは、残念だな」

「そうなの。だから、今度の全国大会は、なんとしても、勝ちたいのよ」

 春美が、親父の空いたグラスに、ビールを注ぐ。女子高生にお酌されて、まんざらでない顔をしている親父を見ると、なんだかイラつく。

「それって、なんとかならないかしら?」

「なんとかって言われても、父さんは、部外者だからな」

「部員をもっと増やして、強くしたいのよ」

「コーチとか、監督とか、顧問の先生に頼めばいいじゃないか」

「それが、全然ダメ。話にならないのよ。部活って言っても、練習は、正宗さんと龍子さんがコーチ兼任でやってるのよ」

 妹がため息交じりに話をする。

「お父さんの口利きで、強いコーチとか呼べない?」

「う~ん、そう言ってもなぁ……」

 当たり前だが、いくら警察官でも、学校に関する事までは口出しは出来ない。

「確か、前の警察署で、格闘技を教えていた外人がいただろ。なんて言ったかな?」

 その外人の名前なら、忘れようがない。何しろ、俺を鍛えた鬼コーチだからだ。

「アルフォンヌだろ」

「そうそう、アル先生だ。その先生なら、今も連絡してるから、話をすれば、やってくれるかもしれないぞ」

「ホント!」

 妹と春美が揃って喜んだ。俺は、二度と、会いたくないけど……

通称、アル先生。本名、アルフォンヌ・スタインベック・三世という、フランス人だ。元、フランス代表の柔道の選手で、引退してから、日本人の女性と結婚して、日本で住みながら子供たちや警察などで、柔道や格闘技を教えている、日本語ペラペラの変わった人だった。

このアルフォンヌに鍛えられて、俺は、高校の一年、二年と続けて優勝できたのも事実だ。だけど、ちょっと、変わったところもある。そこが、俺とは相性が合わなかった。

「よし、明日、話をして見る」

「ありがとう、お父さん」

「おじさん、飲んで、飲んで」

 妹と春美にそそのかされて、顔をほんのり赤くしながら、デレデレしている親父を見て、これが、鬼警部と極道から恐れられているのかと思うと、信じられない。

 結局、この日は、親父は、久しぶりの我が家に緊張がほぐれたのか、ビールを二本も空けて、早々と寝てしまった。

これじゃ、話にならないので、俺も寝ることにした。春美は、妹の部屋で寝ることになった。

また、明日から、どうなることか、先が思いやられる気がして、なかなか眠れなかった。


 翌朝、俺が起きてくると、親父は、すでに仕事に行っていなかった。

妹が朝食を作っているところだった。

「おはよう、お兄ちゃん。お父さんは、春美さんを送りながら、もう、出て行ったわよ」

「えっ、春美も帰ったのか?」

「そうよ。だって、ウチは、遠いじゃない」

 確かに、俺の女子の制服姿を見られなくて、ホッとした。スカートを履いているところなんて、見られたらなんていわれるか。

「なにしてるの。早く、ご飯食べてよ。学校に遅れるわよ」

 妹に急かされて、俺は、朝食を急いで食べた。そして、またしても、屈辱の女子の制服に袖を通した。

この姿を親父と春美に見られなくて、心の底からホッとした。

 着替えを済ませて、一階に降りると、いきなりフラッシュが俺に向けて炊かれた。

「な、なに、撮ってんだよ」

「春美さんとお父さんに送ってあげるの」

「な、な、なんだって!」

「夕べ、制服姿を送るって約束したから」

「ふざけんな。絶対、するな」

「もう、送っちゃった」

「なんだと! 今すぐ、消せ。送信、取り消せ」

 俺は、妹のスマホを取り上げようと手をかけた。すると、それが、ピロリンと鳴った。

「あっ、返事きたみたい」

 そう言って、妹はスマホの画面を見ると、春美からだった。

「すごく似合う、可愛いって」

 くっそ…… なんで、俺は、いつもこうなんだ。不幸な星の下に生まれた、

哀れな少年なんだ。

「ほら、学校に行く時間よ。急いで、急いで」

 俺は、弁当をかばんに詰めた。

「これも、忘れないで」

 妹に渡されたのは、体操着が入った手提げかばんだった。

「なんだこれ?」

「今日は、体育あるんでしょ。体操着に決まってるじゃない」

「体操着って…… まさか、女子のじゃないだろうな」

「なにを言ってるのよ。お兄ちゃんは、学校じゃ、女子なんだから、女子の体操服に決まってるじゃない」

「バカヤロ。そんなの、着れるか。これじゃ、完全にヘンタイじゃないか」

「そんなこと、気にしてたら、女の子なんてやってられないわよ」

 俺は、完全に学校に行く気をなくした。

「今日は休む」

「ハイハイ、いいから、行くわよ」

 俺の返事を完全に無視して、妹は俺の手を掴んで、外に引きづり出した。

結局、そのまま、俺は、学校に行く羽目になった。

 三年の教室に入ると、他のクラスメートたちの視線が気になって仕方がない。

「おはよう、渚ちゃん」

「おはよう」

 俺は、女言葉で朝の挨拶を交わす。屈辱だけど、仕方がない。正体がばれて、変質者扱いされるよりましだ。

「今日は、三時間目は、体育だけど、体操服って持ってる?」

 隣の木村さんに話しかけられた。

「持ってきたわ。これでしょ」

 妹が持たせてくれた体操服の入った袋を見せた。

「渚ちゃんて、体育は得意なの?」

「まぁまぁかな」

 もちろん、謙遜だ。柔道で二年連続日本一のこの俺が、体育が苦手なはずがない。

「今日の体育って、何をやるの?」

 気になって聞いてみた。

「今月は、バレーボールよ」

「えっ! バレーボール……」

 いや、考えてみれば、苦手なものはある。それは、球技だ。

いわゆる、団体競技というのが、俺は、苦手だった。

チームワークとか、みんなで協力するとか、野球、サッカー、バレー、バスケットなどなどそういう種目が苦手なのだ。個人競技のが気にせず相手にだけ集中できる。だから、柔道というのは、俺にとっては、最高の競技なのだ。

 それが、よりによって、今日は、バレーボールとは、俺のもっとも苦手な競技じゃないか。やっぱり、見学すればよかったと、後悔したけど、すでに手遅れだ。

 一時間目の国語、二時間目の英語と、無事に終わったが、問題の三時間目がやってきた。

バレーの前に、体操着に着替えないといけないわけで、むしろそれのが難関だ。

「渚ちゃん、早く着替えないと、間に合わないよ」

 隣の木村さんに手を引かれて、女子更衣室に連行された。

「ちょ、ちょっと待って」

 いくらなんでも、いきなり女子更衣室に入ったら、確実にヘンタイ扱いされる。下手すれば、退学だ。しかし、後ろからきた女子に背中を押されて、中に入った。初めて入った更衣室だった。中では、ワイワイ言いながら着替えている。

当然、下着姿の女の子ばかりだ。そして、体操着に着替えているわけだ。

男子としては、どこを見ていいのかわからない。目のやり場に困るとはこのことだ。

「渚ちゃんは、ここが空いてるから、ここを使っていいよ」

「あ、ありがとう」

 俺は、木村さんに言われるままに、隅の方のロッカーを開けた。

着替えるにしても、ここで服を脱ぐのか…… 

それを思うと、なかなか手が進まない。

「おっと、ごめんね」

 突然、肩に当たってきた女子に話しかけられた。

「大丈夫よ」

 俺は、当たり前のように返した。そのときの女子の顔を見て、あっと思ったが手遅れだった。

「渚く……ちゃん」

「どぅも」

 そこにいたのは、片目の龍子だった。お互い、バツが悪い顔をして見合ってしまった。

「ちょっと」

 俺は、龍子に肩を掴まれて更衣室の外に連れて行かれた。

「何で、渚く……ちゃんが、ここにいるのよ」

「しょうがないでしょ。あたし、女子だもん」

「そりゃ、そうだけど」

 俺は、龍子の耳元でそっと言ってやった。

「俺だって、好きで女やってるんじゃねぇんだよ。しょうがねぇだろ。この格好で、男子更衣室に入れないだろ」

 龍子は、諦めて、手を離した。

「このこと、正宗くんには、話さないほうがいいわよ。きっと、怒るから」

「わかってるわ」

 堅物の正宗がこのことを知ったら、烈火の如く怒るに決まってる。

絶対に、言えない。

たまたま龍子が先に着替えていたからよかったが、着替えている途中だったらと思うと、背筋が凍る。

 俺は、再び、女子更衣室に入って、隅の方で手早く着替えた。

鏡を見て、愕然とする。白い体操服の胸に大きく『早乙女』と書いてある。

しかも、胸がいくらか膨らんでいる。ブラジャーを無理やりつけさせられた上、中にパッドまで入れる念の入れようだ。

やってなければ、胸はペッタンコなので、不自然に見える。妹に感謝だ。

 下半身は、男子と同じ白い短パンなのが不幸中の幸いだ。

もしも、これが、ブルマーだったらと思うと、ゾッとする。

俺は、手早く着替えて、急いで校庭に出た。バレーコートに整列していた女子たちの一番後ろに並んだ。

体育の先生の号令で、チーム分けをしてから、バレーコートに入り、試合が始まる。

 一組対ニ組という組み分けで、これまた、運悪く、俺のチームの対戦相手に龍子がいた。

龍子は、柔道だけではなく、他のスポーツも万能なのを忘れていた。

 まずは、サーブで試合が始まる。もちろん、二組のエースは、龍子だ。

これが、おもしろいようにサーブが決まり、我らが一組は、レシーブが下手すぎて、ボールを拾えない。

コートの向こうで、ドヤ顔の龍子を見るのが、ちょっと悔しい。

 それでも、何とか俺たちのサーブの番が来た。俺がサーブを打つことになった。

「がんばって、渚ちゃん」

 味方の応援を受けて、俺は、ボールを打った。

しかし、そのボールは、何とかネットを越えたものの、軽く拾われて、トスをあげると龍子のスパイクが決まった。結局、一組のボロ負けだった。

 他のチームが試合をしているのを、俺は見るしかなかった。

「ちょっと、渚く……ちゃん、真面目にやらないと、試合にならないじゃない」

 龍子が隣にきて文句を言いに来た。

「あたし、球技は苦手なのよ」

「だけど、体育の授業のバレーくらい、できるでしょ」

「だって、女の子だもん。ムキになったら、危ないでしょ」

「まったく…… 渚ちゃんには、二つも目があるのに、バレーの一つも出来ないんじゃ、話にならないわ」

 確かに、龍子は片目である。それだけでもハンデがあるのに、柔道以外にも、バレーもかなり上手だ。

やっぱり、負けていられないなと、思い直した俺は、重い腰を上げた。

「もう一度、勝負よ」

「そうこなくちゃ」

 俺と龍子は、それぞれのチームに混じって、もう一度試合をした。

龍子の強いサーブを俺は、全力でレシーブした。両手が、火がついたように熱くて痛い。

 俺のレシーブをうまくトスしてもらうと、俺は、思い切りジャンプして、そのボールを打った。

俺の弾丸アタックを受けてみろと、心の中で叫びながら打った。

しかし、俺のアタックは、龍子のブロックで簡単に弾き返されてしまった。

足元に転がるボールを見て、ガッカリする俺たちとは逆に、盛り上がる二組。

中でも、龍子は、俺に対してガッツポーズまで作って見せた。

 この借りは、放課後、柔道で返してやろうと思った。


 ようやく授業が終わり、女子たちが着替えが終わってから、一人こっそり、更衣室に入り、制服に着替えて急いで教室に入った。次の時間は、弁当の時間で昼休みだ。

俺は、周りの女子たちと机を並べて、楽しい食事の時間だ。

今日の弁当は、妹が作ったので、いわゆる女子弁なのだ。見掛けは可愛いが、量的に足りない。

しかも、弁当箱の蓋を開けると、のり弁とから揚げに卵焼きという、いたってシンプルだった。

あんにゃろ、また、手を抜いたな。俺は、心の中で妹を文句を言った。

俺は、隠すように急いで弁当をかっ込んだ。

「ちょっと、渚ちゃん、もっとゆっくり食べないと体に悪いわよ」

 隣の木村さんに注意されてしまった。まったく、情けないというか、女子は、窮屈だ。何事も気を配らないといけない。やっぱり、男のが楽だ。

 午後の授業も何とか終わって、いよいよ放課後だ。俺の柔道部の初日だ。

俺は、かばんと柔道着を持って、意気揚々と道場に向かった。

「失礼します。今日から、入部する、早乙女です」

 そう言うと、すでに来ていた正宗と龍子に、二年生の部員たちが迎えてくれた。

「よろしくお願いします」

 俺は、丁寧に挨拶をして、頭を下げる。二年生たちは、男子も女子も明るく迎えてくれた。しかし、正宗と龍子は、二人で何か話すと、俺を紹介してくれた。

「それじゃ、紹介する。柔道部の女子に入ってくれた、渚…… じゃなくて、早乙女渚さんだ。みんな仲良くしてやってくれ」

「ハイ、こちらこそ、よろしくお願いします。早乙女先輩」

 先輩なんて、いい響きだ。俺も、先輩と呼ばれる身分になったことがうれしくなった。

「それじゃ、渚ちゃん、こっちにきて」

 龍子に呼ばれてついて行くと、道場の隅にある更衣室に案内された。

もちろん、女子のほうだ。

「みんなが着替えてから、入ること。わかってるわよね。変な気を起こしたら、正宗くんがいることを忘れないでよ」

「ハイ、わかってます」

 俺は、明るく返事をした。しかし、俺の背中に正宗の鋭い視線が痛いほど突き刺さる。

とりあえず、空いているロッカーを使わせてもらうことにして、制服から柔道着に着替えた。

「早乙女先輩は、黒帯なんですか?」

「それじゃ、主将より強いんですか?」

 後輩の二年生の女子で、近藤奈々美ちゃんと沖田真弓ちゃんが話しかけてきた。

俺の黒帯姿を見て感心している。龍子は、茶色の帯なので、見た目で俺より下なのがわかる。

「そうでもないわよ。龍子…… じゃなくて、主将のが強いと思うわ」

 俺は、かなり謙遜してみたが、龍子には通じない。実力は、自分でもよくわかっているらしい。

正宗は、男子相手に黙々と練習をしている。厳しい指導は、正宗らしい。

当然、俺は、女子なので、相手は、龍子だ。もっとも、俺の稽古相手ができるのは、龍子くらいだろう。

「それじゃ、まず、実力を確かめさせてもらうわね」

「ハイ、お願いします」

 俺は、龍子と組み合った。

「手加減しないでね」

「ハイ」

 組み合ったときに、龍子が小さな声で言った。もちろん、手加減するつもりはない。相手は、独眼龍子だ。手加減していたら、こっちのがやられる。

 がっちりと組み合えば、相手の実力がわかるのが柔道だ。

襟と袖を掴んで、龍子を押した。しかし、相手も強い。俺の手を振りほどくと、逆に俺の襟を掴んで投げてくる。

俺は、それに注意しながら足払いを狙った。しかし、龍子の動きは思ったよりも早かった。

 龍子を甘く見ていた。かなり手強い。高校柔道の女子で日本一になるだけの事はある。

俺と龍子の試合を後輩はもちろん、男子たちも黙って見ている。正宗も興味深々で見ていた。

「うりゃぁ!」

 俺は、掛け声と同時に、背負い投げの態勢を取った。そのときだった。

「押忍! 失礼します。こちらに、渚のあにぃは、いますか?」

 俺は、龍子と組み合っている最中に、目の横から微かに見えた男二人に、思わず手が止まった。

次の瞬間、俺は、龍子にきれいに投げられて、畳に背中から落ちた。

「ちょっと、どうしたのよ?」

「ご、ごめんなさい」

 龍子が倒れた俺を起こしながら言った。

何で、バカ兄弟がいるんだ? 来るなんて一言も聞いてないぞ。

それにしても、間が悪すぎる。

「すみません。こちらに、渚のあにぃがいると聞いてきたんですが……」

 間の悪いやつだ。空気を読め。今、来るんじゃない。

てゆーか、聴いてないぞ。

「どちらさんですか?」

 正宗が二人の男の前に進み出た。道場破りか何かと勘違いしたらしい。

「お初にお目にかかります。俺は、服部金次、こっちは、弟の銀次と申します。以後、お見知りおきを」

「自分は、柔道部の主将の、真田正宗だ」

「えっ! それじゃ、あなたが、渚あにぃに負けた、正宗さんですか? これは、大変失礼いたしました」

 そう言って、深々と頭を下げた。しかし、その言い方に、正宗は、顔を引きつらせた。

言い方がまるでわかってない。やっぱり、こいつらは、バカだ。

「兄ちゃん、この人は、親分て呼ばなきゃダメだよ」

「わかってる。お前は、黙ってろ。それでは、改めて、正宗親分、よろしくお願い申し上げます」

 時代錯誤も甚だしい。極道じゃないんだから、高校生に親分はないだろ。

「それで、なんの用だ」

「昨日、雪姉さんから電話をもらって、この学校に来いということで、参りました」 

 あのバカ、俺に一言も言わなかったじゃないか。来るなら、来ると言え。

俺は、心の中で呟いた。突然の訪問者に、二年生たちも唖然としている。

「どうしたの、正宗くん?」

 龍子がどうしたらいいのか、わからない顔をしている正宗を助けに行った。

「この二人が、渚に会いに来たらしい」

「もしかして、キミたちが、双子の……」

「ハイ、服部金次です。こっちが弟の銀次と申します」

「あたしは、女子の主将をしている、伊達龍子よ」

 すると、あのバカ兄弟は、まじまじと龍子を見つめると、驚くように、また、深々と頭を下げた。

「もしかして、独眼龍子様で……」

「そ、そうだけど」

「龍子姐さん、失礼しました」

 親分とか、姐さんとか、高校生の会話じゃない。

「えっと…… それで、渚く……ちゃんに会いに来たのね?」

「ハイ、それで、渚あにぃは、どちらにおいでですか?」

 正宗と龍子は、顔を見合わせて困り果てている。この場で、俺が出て行くのは、かなり問題がある。

「すみませ~ん、遅くなっちゃった」

 そこに、今度は、妹が登場してきた。ある意味、天の助けだ。

「あら、金ちゃん、銀ちゃん。もう来てたの、早かったわね」

「ハイ、雪姉さんの御用とあれば、例え火の中、水の中です」

 揃いも揃って双子の兄弟は、頭が悪すぎる。いくら双子とはいえ、声が揃っているので、ステレオで聞こえる。

二人で同じことをしゃべるなと、何度も言ったはずだが、全然わかってない。

「紹介するわね。この二人が、昨日言った、代わりの部員の、金ちゃんと銀ちゃんよ」

 そこまで言って、やっと、正宗も龍子も事情が飲み込めたようだった。

「あの、雪姉さん、渚のあにぃが……」

 不安そうに尋ねると、妹が俺のほうに歩いてきた。どうやって、俺を紹介するつもりだ。

しかし、妹は、俺の襟首を掴むと、双子のバカ兄弟の前に立たせた。

「お待ちかねの、渚あにぃよ」

 すると、双子の兄弟は、俺の顔をまじまじと見詰めるとこういった。

「雪姉さん、からかっちゃいけませんよ。渚あにぃは、男ですよ。こんな可愛い女の子じゃありません」

「えーと…… ここじゃ、話にならないから、あっちに行きましょう。すみません、お姉ちゃん、ちょっと借ります」

 妹はそう言って、俺の襟首を掴んだまま、道場から出て行った。

「ほら、あんたたちもちょっときなさい」

 言われた双子の兄弟は、首をかしげながら後についていく。

「おやおや、金銀兄弟、なにをしてるのだ?」

「あっ、アルフォンヌ先生!」

なんと、今度は、俺の師匠のアルフォンヌ先生までが登場してきた。

この展開をどう収めるつもりだ……

「あらぁ、そこにいるのは、雪ちゃんなのだ。元気そうなのだ」

「アルフォンヌ先生、丁度よかった。いっしょに来てくれませんか?」

「いいのだ。雪ちゃんのお願いなら、どこでも行くのだ」

 まったく、調子がいいやつだ。こいつが、元フランス代表なんて、きっと誰も信用しないだろう。

しかも、よりによって、こんなときに来るとは…… 

どいつもこいつも空気が読めなくて困る。

道場の裏に連れて行かれた俺たちは、そこで、双子の兄弟とアルフォンヌ先生に事の次第を説明した。

「うおぉぉぉ……」

「なんてことだぁ~」

 兄の金次が絶叫とともに膝から崩れ落ちた。ついで、弟の銀次が、坊主頭を抱えて地面に突っ伏した。

「俺たちの渚あにぃが、事もあろうか、女になるなんて……」

「兄ちゃん」

「銀次」

 二人は、大号泣して抱き合った。いくらなんで大袈裟だろ。気持ちはわかるが、そこまでしなくてもいいと思う。

「うぉぉ~ん、私は、ナギくんをそんな男に育てた覚えはないのだ。悔しいのだ。悲しいのだ」

 アルフォンヌも双子の兄弟に負けず、大泣きしている。

とりあえず、三人が落ち着くのを待つしかない。しかし、いつまでたっても、落ち着くような雰囲気にはならずこのままでは、埒があかない。

俺は、頭をかいて、首に巻いていたタオルを三人に差し出していった。

「とりあえず、これで涙を拭け。それと、ちゃんと立て」

 俺は、男の地声で怒鳴りつけた。

すると、その声を聞いた三人は、涙と鼻水でぐしょぐしょの顔を上げて、ビックリしていた。

「な、な、渚のあにぃ……」

「兄ちゃん、やっぱり、渚のにいさんだよ」

「いいから、いちいち、泣くな」

「うれしいのだ。ナギくんが帰って来たのだ。私は、うれしいのだ」

 俺が叱りつけると、三人は、タオルで涙を拭いて、ついでに鼻をかんだ。

このタオルは、卸したばかりなのに、もう、捨てるしかない。

そして、三人は、俺の前に立つと、背筋を伸ばして、ビシッと姿勢を正した。

「もう一度言うぞ。俺は、事情があって、女になってるけど、中身は男だから、間違えるな」

「押忍」

「押忍じゃなくて、ハイでいいから」

「押忍、じゃない、ハイ」

「もう一度、言うから、しっかり聞け」

「押忍」

「だから、押忍じゃないといってるだろ」

「押忍、じゃなくて、ハイ」

 やっと、落ち着いた三人に、妹が話を始めた。三人は、何度も頷きながら、真剣な表情で聞いていた。

この学校の柔道部の影武者になること。そして、次の大会で優勝すること。

双子の兄弟は、納得してくれた。何しろ、この二人は、俺が、引っ越しする前に同じ道場で稽古をしていた仲間だ。

俺には、一度も勝てないが、柔道の実力は、折り紙つきだ。

残念なことに、二人の高校には、柔道部はなかった。そこで、アルフォンヌの道場で稽古をしながら大学を目指していた。柔道の強い大学に進学するつもりなのだ。

「わかったか」

「押忍」

「だから、押忍じゃなくて」

「ハイ!」

「それと、俺が女だということは、秘密だからな。絶対に、誰にも言うなよ」

「押忍、じゃなくて、ハイ!」

「よし、それじゃ、話はそれまでだ。正宗たちに挨拶して、今日は、帰れ」

 これで、話は終わりだ。俺は、ホッとした。

「それと、アルフォンヌ先生、柔道部のこと、よろしく頼む」

「任せるのだ。この私が来たからには、必ず優勝させるのだ」

 アルフォンヌは、胸を張った。

「それと、お前ら、俺のこと、渚あにぃとか呼ぶなよ」

「それじゃ、なんて言ったらいいんですか?」

 そういわれると、俺も困る。早乙女さんとか、渚ちゃんとか言われているが、どう考えてもこいつらにそんな名前で呼ばれたくない。

「渚さんでいいんじゃないかな」

 妹が言った。

「そう、それでいいよ」

「では、渚……さん」

 なんとなく言いずらそうだ。

アルフォンヌは、確かに強い。指導力もある。

これまでも、たくさんの生徒を育て上げてきたことは、事実だ。

 俺は、正宗と龍子にアルフォンヌを紹介した。

アルフォンヌも、二人の事は、聞いて知っている。明日から、厳しく指導するという話になった。

 学校の方も、臨時コーチという名目で、話もついて、やっと一段落ついた。




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