第33話 虚言癖

 結局その日は終始梨花に話しかけられ続け、見かねた秋川さんが「ちょっといい? 聞きたいことあるんだけど」と会議室に招集してくれたことで、夕方からは何とか逃げることが出来た。


「あの子さ、仕事してないよね? 立川さんの言うことは聞かないし、全部片山に仕事振ってるみたいだし、ただの給料泥棒だろ。山田の奴はそもそも月島さんの部署だろうに、後輩の仕事を一緒に邪魔してどうするんだよ」


 会議室で向かい合わせに座りながら業務を進める秋川さんは、怒りながらもタイピングスピードを一切緩めない。さすがだ。そして仰ってることは至極尤もで、反論もない。


 眉間に深い皺をこさえながら、バチバチバチとキーボードを叩いていく。


「あのさあ、これいい加減社長に言うべきだと思う。だって完全にひとり遊んでる訳だろ。しかも周りの仕事の邪魔をしてる。僕さ、ああいう見た目だけで全てを乗り切ろうとする奴大嫌いなんだよな。中身すっからかんじゃないか」


 秋川さんの言っていることは正しい。だけど、こればかりは反論せざるを得なかった。


「秋川さん。社長に言うのは、やめた方が身の為だと思います」


 他に言いようがなく、この言葉の意味を秋川さんがきちんと受け取ってくれることを祈るしかなかった。


 私は直接ラブホテルに二人が消えていく姿を見た訳じゃないから、絶対にそうだとは言い切れない。だけどその可能性が高い以上、私のことで怒ってくれている秋川さんに余計な火の粉が飛ぶことは避けたかった。


 秋川さんは頭のいい人だ。そして人を冷静に一歩引いて見ることが出来る人でもある。私の言葉にピクリとこめかみを小さく動かすと、やがてふう、と小さな溜息を吐いた。


「……怪しいなとは思ってたけどな」

「絶対とは言い切れませんが、多分そうです」

「ん。分かった。じゃあ他の方法を考えるしかないな」


 無駄を嫌う秋川さんは、すんなりと引いてくれた。とりあえず、あまりにも程度が酷い場合はまた会議室に呼ぶから。そう言ってくれて、感謝の思いに自然と頭が下がった。


「立川さんにも相談するかなあ」


 秋川さんが呟く。


「僕さ、知ってるかもしれないけど、この会社の立ち上げメンバーのひとりなんだよね」

「前に仰ってましたね」

「そう。だから、女ひとりの為に色んな所から綻びが出てくるのを指を咥えてただ見ていられない程度には、ここに愛着があるんだよ」


 そろそろ帰らないとお迎えがあるんだ。そう言いながら立ち上がった秋川さんの背中には、一抹の寂しさが窺えた。



 結局仕事は片付かず、定時ちょっと過ぎに執務エリアに移動すると、案の定梨花も山田さんももういなかった。残っているのは、デイリーフレックスで遅く出社してきた数名と、片山さんだ。


 念の為、確認する。


「片山さん、あの……帰りました?」


 小声で尋ねると、片山さんは小さく笑いながら頷いた。


「用事があるんだって言って定時きっかりに帰ったよ」

「そうですか」


 顔だけでも出したい。そう思ったけど、今日は無理そうだ。


 だったら明日、確実に行ける様に今日の内に出来るだけ片付けておこう。そう思った私は、マスターと大川さんにそれぞれメッセージを送ることにした。


 内容はそのままだ。今日は仕事が終わらなくて行けないので、明日必ず行きます。そのまま送信すると、暫くしてマスターからは『了解。頑張って』と返信が来た。


 大川さんはどうだろう。すると、遅れること数分して、こちらも返信があった。


『じゃあ僕もそうする。君に絶対に会いたいから』

「ぶふっ!」


 あまりにも大川さんらしいストレートな言葉に、思わずむせる。片山さんが怪訝そうな表情で私を見たけど、愛想笑いをして誤魔化した。


 お互い頑張って明日会おうね。そう送ると、今度は『うん』と短いメッセージが届いた。


 寄り掛かり合い、支え合う。今が正に正念場だ。


「――よし!」


 日中の遅れを取り戻す為に気合いを入れると、目の前の仕事に取り掛かった。



 翌朝も早く出勤したお陰で、大分溜まっているものは消化出来た。


 梨花はいつも定時ぎりぎりに出勤してくるので、これで梨花に日中捕まろうが早く退社して『ピート』に行けそうだ。


 今日こそ立川さんの近くに座ろうと思って待ってたけど、一向に出社してこない。定時になり、昨日と同じ場所に座っていた私の隣に梨花が品を作りながら座ってきた。


 PCを開いてメールを確認しているんだろう、「えー面倒くさーい」とかひとり言を繰り返している。無視を決め込んでいると、梨花が突然くすりと笑った。意地の悪そうなその笑い方に、思わず視線を向ける。


 私の視線に気付いた梨花が、満面の笑みで私を見返した。


「立川さん、体調不良で今日もお休みだってえ。ふふ、いつもヒステリー起こしてるから頭の血管でも切れたのかもー」


 梨花が直属の後輩だから、梨花にもメール連絡が入ったらしい。


「体調不良? 大丈夫なのかな」


 風邪か何かだろうか。そう思って何気なく聞くと、梨花が笑みを浮かべたままこそっと教えてくれた。


「これは噂なんだけど、立川さんって山田さんのことが好きだったみたいだよお。だけどほら、山田さんて相手にしてないでしょ? これまでも仕事で言い争いが多かったらしいんだけどお、山田さんがこの間キレちゃって。面白かったあ」

「え……」


 梨花が、私の耳元に口を近付ける。心から楽しんでいる様な声色に、只々ただただ恐怖を覚えた。


「人の恋路って、眺めてるの楽しいよねえ」

「梨花……何したの」


 聞いちゃ駄目だ。分かっているのに、止まらなかった。梨花の顔から目を離せない私を、梨花が至近距離で上目遣いで見つめる。


「私とマリモの仲を邪魔するじゃない?」

「邪魔なんか何もしてないでしょ……!」


 思わず声を荒げると、梨花がぱっと離れて大袈裟に怖がる素振りを見せた。


「やだあマリモ、怖い」


 じゃあこの話やめようか。そう言った梨花は、あろうことか「けんちゃん」との夜が如何に濃いものだったかを急に語り出した。


「けんちゃん、私がもう駄目って言ってももっとってねだるの。昨日の夜も、凄かったんだあ」


 嘘だ。昨日の夜は、大川さんは遅くまで仕事をして会社に残っていたのを私は知っている。お互い家に着いたら声が聞きたい、そう言われて、寝る前にちゃんと電話で短いけど会話を交わした。明日会えるのが楽しみだよ。そう言われてじんわりと幸せな気持ちになったから、あれは夢なんかじゃない。


 だけど、梨花は嘘を吐き続ける。


「ほら、私って結構胸あるじゃない? けんちゃん、これがぴったり手にはまるから好きっていつも言うんだよね。あ、そうそう」

「……なに」


 苛々は隠し通せただろうか。無視したくても、返事をしないと梨花は私の手や腕を掴んで揺さぶり、振り向いて相手をするまでやめてはくれないから。


 今日は山田さんは朝から会議で席にいない。こんな時にいてくれたら少しは感謝出来るのに。そんなことを考えていると、梨花がさも可笑しそうに言った。


「月島さんってどこもかしこも小さいから、あんなので彼氏は満足するのかねって言ってて、つい笑っちゃった! ごめんねマリモ!」


 怒りを通り越して、哀れみを覚えた。梨花は、これまでもこうして大川さんの周りの人をことごとく排除してきたのだ。さも全部大川さんが言ったかの様に。


 だけど、私は大川さんの本当のことを知っているから。


 今日大川さんに会ったら、「梨花の言うことなんて信じなかったよ」と伝えたい。


「……そうなんだ。楽しそうでよかったね」


 にこりと笑って返すと、梨花のこめかみがピクリと動き、はあー、と長い溜息をつく。望んでいた反応が得られなかったからだろう、「クソが」という呟きが聞こえた気がしたけど、これ幸いにと仕事に集中することにしたのだった。

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