第21話 嘘つき

 Mの話によると、Mの母親は少し前までホストに入れ込んでいた。だけど、そのホストがホストクラブを辞めて田舎に帰ってしまったことをきっかけに、母親は我に返る。


 残ったのは、別離に傷ついた恋心と、膨れ上がった消費者金融への借金。


 真面目な父親は、何も知らない。家計はMの母親がそつなく管理していると信じ込んでおり、母親がこさえた借金がどんどん膨れ上がっていることなんて知る由もなかった。


 母親は、家中にある貴金属や使っていない家電を売った。これまで溜め込んでいたブランド物の服やバッグはいい金額になったので、大部分の借金は返すことが出来たという。だけど、どうしてもあと百万円を捻出することが出来なかった。


 そこで母親が考えたのは、自分の身体を売ることだった。相手などいくらでも付くに違いない、そう軽く考えていたけど、甘かった。


 出会い系で知り合った男性と会った瞬間、明らかにがっかりされたのだという。それまで母親は、多少年齢はいっていても自分には十分価値があると思っていたそうだけど、世間はそうじゃなかったらしい。


 若い女を紹介してくれたらもっと出してやる。男にそう言われた母親は、あろうことか娘のMを差し出すことを約束してしまった。


 その時になって初めて、Mは自分の家に借金があることを知らされた。そして、もう逃げ場がないことも。


「どうせあんたのその顔じゃ、一生処女のまんまだったでしょ。それがお金になるんだからよかったじゃない」


 自分の娘にそんなことを言い放った母親にも、気の弱いMは逆らえなかった。母親が勝手に約束をした日、Mは重い足を引きずりながら男と待ち合わせた。いきなり肩を抱かれ、もう終わったと思った。


 そこに声を掛けてくれたのが大川さんだった、とMは語った。


 だけど、お金は受け取れなかったから、家に帰って叩かれて、傷になってしまったので一週間塾を休んだのだというMの言葉を信じた大川さんは、父親に話すことを勧めた。大川さんの場合は、それで辛うじて何とかなったから。


 その日から、大川さんとMは少しずつ話す機会が増えていった。周りに人がいない時だけ、Mは饒舌になった。


 如何に母親が酷い人なのか。父親に話そうとしたけど聞いてくれなかったこと。


 大川さんは、涙ながらに語るMに同情し、これまで誰にも話さなかった自分の事情も説明した。二人とも、母親に苦労させられた。その共通の話題が、二人の友情を育んだ。


 相変わらずMが語る家庭環境はそれは酷いものだったけど、大川さんに愚痴を言うことで発散出来ていると少しずつ出る様になった笑顔で言われ、だったら自分は聞き役に徹しようと思ったのだという。


 やがて受験シーズンが本格的に始まる頃、家の借金がなくなったという報告を受けた。何でも、母親が人のいい友人に嘘八百を並べて無期限無利子で借りたらしい。だからもう自分は大丈夫だ、大学に進学したら、毒親から自由になってみせる。


 相変わらず目に掛かる前髪の奥に見えたMの目は明るく、大川さんは純粋によかったなと思った。


 受験勉強に試験、合格発表に卒業と環境は目まぐるしく変化していく。第一志望合格と共に塾を辞めた大川さんは、最後にMに挨拶をと思ったけど、会うことが叶わなかった。これだけ塾で話していても、連絡先は交換しなかったから、連絡を取ることも出来なかった。


 きっと自分は、Mの心に降り積もる汚泥おでいの吐き捨て場所だったんだろうと大川さんは思った。これから先の未来に、過去は引きずって行きたくないんだろう。だったらそれでいい。


 これで少しはあの親子の様になれたかな。そう思うと、心がじんわりと暖かくなった。


 大学の入学式には、父親が来てくれた。ダメ元で声を掛けたけど来てくれたので、大川さんは心から喜んだ。


 いつか弟が本物の医者になれたら、その時に母親に会いに行こう。そう考えたんだそうだ。きっとその頃には、母親を縛っていた呪縛も少しは解けているだろうからと。


 新しい環境、新しい友人。これからきっといいことが沢山ある。そんな期待に胸を膨らませつつスーパーに向かっていた大川さんは、以前スーツ姿の中年男性とMを見かけた例の路地をたまたまフッと見た。たとえ話を聞くだけでも、人助けが出来てよかった。そう考えながら。


 目に飛び込んできたのは、おさげではないMがあの時の中年男性そっくりな後ろ姿の男の腕にしなだれかかっている姿だった。


 唖然とした。足が止まり、ただ見ていることしか出来なかった。


 二人は楽しそうに笑い合いながら、やがてラブホテルの中へと消えていく。


 一体何が起きたのか、大川さんは理解出来なかった。あの男に会ったのは、あの時が最後じゃなかったのか。何で今も会っているのか。Mのあの様子から、Mが逢瀬を嫌がっている様にはとてもじゃないけど見えなかった。


 ――嘘を吐かれたのだ。


 だけど、一体どこからどこまでが嘘だったのか、大川さんには皆目検討がつかなかった。


 人助けが出来た、そう思って暖かくなっていた心が急激に萎んでいくのが分かったけど、ラブホテルの前で待機して事実確認が出来るほどの根性は持ち合わせていない。


 騙されたその事実に動揺は隠せなかったけど、きっと二度と出会うこともない。進学する大学も違うし、もう二度と関わり合うことはないだろう。


 受けた衝撃を必死に誤魔化しながら、大川さんはMのことを忘れることにした。


 幸いにも、環境が変わったお陰もあって、大川さんがMのことを考える時間はそれほど長くはなかった。


 少しずつ増えていく友人との付き合いもあったし、部活かサークルか何かしらに入ろうと思った大川さんは、これまで読みたいと思っていたけど勉強に時間を取られてなかなか読めなかった読書を堪能する為に、読書同好会に入った。


 ただ単にお互いお勧めを読み合うだけの緩い同好会だったけど、それまで騒がしい環境に慣れていなかった大川さんは、大学デビューを果たす周りの学生たちからは少しだけ距離を置いて、今度こそゆったりとした心安らぐ時間を満喫した。


 一度、塾でよく大川さんに話しかけてきた女子とすれ違った。同じ大学の違う学部に進学した彼女は、お化粧もばっちりですっかり垢抜けていて、話しかけられた時は一瞬誰だか分からなかったくらいだ。


 そして彼女が語る塾時代の思い出話の中に、Mのことも含まれていた。


「あの子さ、援交しながら少しずつ整形してたんだって」

「整形?」


 大川さんは、塾の仲間内では一番Mと接点が多かった筈だけど、気付かなかった。だからそれは根も葉もない噂だと思った。


「時折休んでたじゃん? あれ、手術した後のダウンタイムとかいうやつだったみたいよ! 同じ学校の子が教えてくれて、どん引きしちゃった! いくら豚みたいだからって、普通そこまでする?」


 しかも相手はおっさんだって、と男子学生に声を掛けられるまで喋りまくっていた彼女は、大川さんに手を振ると去っていった。男が彼女の腰に手を回したところをみると、彼氏なんだろう。


 時折休んでいた。それは事実だ。だけどあれは、母親に叩かれたからだと言っていた。


 ――まさか、それすらも嘘だったのか。


 一体どこからどこまでが嘘でどれが本当なのか、大川さんには判別が付かなかった。


 自分の見る目がなかった、そう思ってもう本当に忘れよう。改めて自分に言い聞かせた大川さんは、それからは意識的にMの存在を自分の中から追い出す様にした。


 そしてそれは成功しかけ、もう殆どMのことなんて思い出さないで充実した穏やかなキャンパスライフを送っていた大川さんだったけど。


 何の巡り合わせか、大川さんは再びMに出会ってしまったのだ。

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