第十六話 頑張って……! 

「美咲―? ここにある食器は使っていい?」

「……………………」

「勝手に使うからな」


 電気ケトルでお湯を沸かしている間に、食器の準備をする。 


 美咲に『泊りに来てよ』と言われ、俺は五十嵐家に訪れていた。その帰り道、じめじめした雨が降り出して、俺達は軽く濡れてしまったのだ。


 と言っても、本降りになる前には五十嵐家に着いたので、軽く濡れる程度ですんだ。それでも、雨水で体温が下がって、肌寒いくらいにはなっていたので、温かいお茶を用意していたのだ。


「ご両親は? それに弟さんも」

「…………仕事と泊まり」


 まるで、電報のような返事だった。


 膝を抱え、顔を隠すように俯いている美咲は、余計なことはしゃべりたくないと態度で示しているようだった。


 加えて、部屋の電気もつけようとしないのだ。一応、豆電球だけは、つける許可をもらった。それでも、手元が何とか見えるくらいだった。


 豆電球のついた静かな部屋、二人きりの空間、以前泊まった際に一線を越えてしまいそうになった事。


 様々な要因が絡み合って、自然と美咲を見つめる視線に熱が入ってしまう。だからこそ、ある程度、美咲の気持ちが落ち着いたら、帰るつもりだった。


 そう思っていたのにだ。


「ほら、美咲? お茶が入ったぞ」


 そのまま、美咲の隣に腰を下ろす。

 相変わらず、美咲は無言のままだった。お茶にだって手を付けようとしなかった。


 お茶の湯気が立ち込めて、天井へと昇って見えなくなっていく。天井を眺めながらも、美咲に何て声をかければいいのか分からなかった。


 必死に努力して、死ぬ気で努力して、それでも目標に届かなかった時の悔しさは分かるつもりだ。言い訳ができなくて、あの時もっと、ああしてればっていう、どうしようもない事ばかり考えてしまって。


 そんなネガティブなことばかり考えてしまうと、照明をつける気にもなれず、暗い部屋が何だか居心地よくて。


 誰の顔も見たくなくて、一人になりたくて──


「……ん?」


 何かが引っかかった。


 ショックだった時に、一人でいたい気持ちは分かる。反対の事を言うけど、傍にいて欲しいって言う気持ちも分かる。


 それなのに、美咲は傍にいて欲しくないって態度だった。じゃあ、なんで美咲は俺を呼んだ?


 それこそ、何もかもがどうにでもなれって気分になって──


「ねぇ、鷹矢君?」


 無機質で、どこか冷たさを感じさせる美咲が、俺の膝に手を乗せてきた。そのまま、俺の太ももを誘惑するように撫でてくる。


「み、美咲……?」

「ん、どうかした?」

「いや、何でもない……」


 俺の太ももをさすった美咲の手が、膝に戻ったからだ。曖昧な動作だったがゆえに、気のせいかと思ったら、次は美咲の頭が俺の肩にのしかかってきた。


「ねぇ、鷹矢君……慰めてよ……」


 良くない雰囲気だった。俺だって、胸が嫌に高鳴って、体が熱を持っていた。

美咲は、先ほどまで涙を堪えていたせいか、瞳が潤んでいた。ただ、照明のせいで、泣くのを我慢しているのか、熱に浮かされそうになっているのか分からなかった。


 それでも多分──


 美咲の手が俺の頬に添えられて、顔が近づけられる。

 そのまま、目を閉じて、俺に顔を近づけてくる。


「鷹矢君も、目を閉じて。二人だけの秘密にしてさ──」


 甘美な魔法にかけられてしまったように、体が動かなかった。ただ、この一線を越えてしまうのが良くないことだけは分かった。


 絶対に戻れなくなるからだ。

 それでも、流されてしまいそうになった時だった。


「美咲、やめてくれ。こんな形でお前とこんなことはしたくない」


 俺はキスする寸前で、何とか踏みとどまることができた。


「な、なんで……あはは……こんな私には興味ないか……」

「そうじゃない」

「っっ! じゃ、じゃあ、何でよ……」


 気づいてないのだろうか?


「美咲が泣いてるからだろ。そんな奴をどうこうできる性格をしてないよ俺は」

「う、うそっ……!」


 俺の指摘で、ようやく美咲自身、自分が泣いていることに気づいたようだ。その姿が、何だか見ていて痛々しかった。


「止まってよ、止まってよぉ……! 何でよっ!」


 美咲の涙を見てしまったからこそ、踏みとどまれた。


 絶対に今、この一線を越えたら後悔するっていうのが分かったし、美咲だって傷つくのが分かったからだ。


「美咲……狙ってた結果じゃなくてショックだったのは分かる。けどさ、こんなことしても何の解決にもならないだろ」

「…………い」


「俺はさ、美咲が強くて、努力家な人間だって知ってる。失敗したって大丈夫だよ。また挑戦でき──」



「そんなきれい事ばかり言わないでよっ!」



 俺の手をパチンと跳ねのける美咲。


「そりゃあ、鷹矢君は一位じゃん! だから、そんなことが言えるんでしょ! 私だって頑張ったんだよ……寝る時間削って勉強したよ! 鷹矢君に振り向いて欲しくて頑張ってるよ!」


 眉をキッと吊り上げる美咲が俺の肩を掴んで怒声をぶつけてくる。


「なんでよ……私だって一生懸命頑張ってるのに……遥香は私の事なんて眼中にない……いつの間にか、鷹矢君の隣に三島さんがいて……何でこんなに上手くいかないのっ! 私だって……私だって!」


 掴みかかる勢いで怒声をぶつける美咲の体重を支えきれなくなって、背中をついてしまった。


 美咲が俺に馬乗りなって、胸を叩いて来る。


「頑張って! 頑張って! 頑張って! 頑張ったのに……結局ダメだった……結果が出てないから意味ない……うっ、ううう……ぐすっ……誰も私の事を認めてくれない……」


 馬乗りになっていた美咲は、泣き崩れるように俺の上から落ちた。


「結果が出てないから意味がないとか、そんな悲しいこと言うな」


 美咲の頭に手を乗せて、撫でる。


 綺麗ごとかもしれないが、俺の気持ちが届くように、美咲にとっての追い風になってくれるようにって。


 ポロポロと真珠のような涙が、美咲の瞳から零れる。


「結果なら出てるよ」

「どこによ……どこにもそんなの……」


「今回のテスト期間、一番頑張ったのは絶対に美咲だって。少なくとも、俺はそう思っている。よく頑張ったな」


 頭を撫でると、美咲は首を横に振っていた。


「クラスの奴らが、頑張ってないとか言ったら、すぐに俺に言え。そいつを俺がぶっ飛ばしてやるから。俺はお前の事を認めてるよ。テストの順位だけが結果じゃないだろ。お前が一番凄いよ、美咲」


「ほ、本当に……?」


「おう。俺だって一位から陥落した時はショックだったけど、ここまでじゃなかったもん。そんだけ、美咲が努力した証拠だろ。何度だって言う、俺はお前のことを認めているよ」


「あ、あり……うっ、うっ……うわぁああああああああん!」


 大きな声をあげて泣く美咲をそっと胸に抱き寄せて、背中をさすった。

 美咲が泣き止むまでずっと……


──────────────────────────────────────


 最後まで読んでいただきありがとうございました~

 色々と考えたのですが、ここからは一気に読んでもらった方が、読者さんに楽しんでもらえると思ったので、連続投稿になります。


 分割したのは、こっちの方が読みやすいのでは、と思ったからです。

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