第四話 私はおにいの事が大好きだからね

「おにい、あわあわの入浴剤とかよかった?」

「あ、ああ……いらん」


 雫の声が、浴室のドア越しから聞こえてくる。

 ってか、泡の入浴剤とか使う年じゃないっての。


 現在、俺はで風呂に入ってた。勿論、一人でだ。

 最初、雫の言葉から一緒に風呂に入るのかと思ったが、俺の勘違いだったようだ。

 別に期待してたわけじゃないけど、そりゃあ、一緒に風呂に入るって勘違いしちゃうよな? そんなことを考えながら、体を洗おうとした時だった。


「じゃあ、おにい。私も入るね~」

「は?」


 ドアの開かれる音と共に、雫が入ってきたのが分かった。

 同時に、パサッとタオルのような何かが床に落ちる音もした。


「ちょい、ちょい、ちょい! なんで入って来てんだよっ! 俺が今、入ってんだろ!」


 見なくても分かるけど、雫って今、裸だよな!

 見たいけど、見たら絶対にダメだ、一線を越えてしまう自信しかねぇ……。


「それくらい知ってるに決まってるじゃん。私達、義理とはいえ兄妹なんだよ? 問題ないでしょ?」

「兄妹だからっていいと思うなよっ!?」

「もーう、うるさいなー。せっかく私が背中を流してあげるんだから、静かにしてよ。近所に響いたら迷惑でしょ?」

「何で俺がおかしい感じになってるんだよ……」


 そう押し問答をした時には遅く、雫は浴槽のお湯を体に流し始めていた。すでに手遅れだったようだ……一応というか、俺のムスコ様はタオルで隠してあるから見えない。


 え? ムスコの具合? そりゃあ……ねぇ?


「おにい、体洗ってないでしょ? 今日は私が、背中を洗ってあげるね~」


 上機嫌な雫は、鼻歌交じりに、俺の背中を泡立てたタオルで洗い始める。

 後ろを振り返ったらダメだ、後ろを振り返ったらダメだ、後ろを振り返ったらダメだ。


「んしょっ……んしょ……おにいの体って大きいんだね」

「お、おう……」

「ねぇ、おにい~。せっかく、私が洗ってあげてるんだから、もう少し嬉しそうにしても良くない?」


 いつも通りのテンションで話す雫だけど、俺はいつも通りでいられるわけもなかった。


 後ろで好きな子が、背中を洗っているのだ。

 いつも通りでいれるはずがなかった。


 むしろ、雫のいつも通りのテンションが俺には理解できなかった。こいつ……頭のネジが数本、外れてるんじゃないんだろうか。


 雫の事を必死に考えないようにしていた。頭に浮かべるのは円周率だけだ。落ちつけ、落ち着くんだ俺……そう、円周率っていうのはパイ(π)であるからして……パイ? おっぱ……だーめだぁ……。


 そんな自分に敗北して、情けない気持ちになっていると、


「終わったから、次は髪を洗うね~」


 そう言って、俺の髪を洗い始めてくれた。


「ほら終わったから湯船につかりなよ」

「お、おう……」


 逃げ出すタイミングも失って、俺は雫に言われるまま湯船に肩までつかった。もしかして、雫って俺の事を誘ったりしてないよな……?


「ほら、私も入るからズレて、ズレて」


 流石に横にズレるだけだと、見えてしまいそうな気がしたので後ろを向いた。すると、俺の背中に雫の背中の感触が伝わってきた。


「ねぇ、おにい。美咲ちゃんから聞いたよ。学年順位、下がったんだって?」


 その瞬間、熱を帯びてた頭が、冷めつくよう感覚になった。


「……知ってたのか?」

「そりゃあ、あんな態度取りだしたら、何かあったって思うに決まってるじゃん」


 雫の言う通りだった。

 それで、あの後、美咲に連絡して教えてもらったんだろう。


「それが分かってるなら、一人にしてくれてもいいだろ」

「ダメ―です」


 即答されてしまった。


「あのね、おにい。しんどい事とか嫌なことがあって、一人で抱え込むとろくな事にならないんだよ」

「何かあったのか?」

「小学校の時だけどね、そのせいで、五年以上も無駄にしちゃった……」


 そう自嘲気に零す雫。そんなリアクションをされると、それ以上は何も言えなかった。


「だから、私が傍にいて一人にさせないからね?」


背中に伝わる雫の感触が、さらに重くなったような気がした。より体重をかけてきたのだろうか? それでも、嫌な気分じゃなかった。


「で? 何に落ち込んでるの? 真面目で誠実なおにいの事だから、成績が下がったとか、そんなことじゃないでしょ?」

「………………」


 図星だった。正直、なんで分かるんだよって感じだった。


「多分、おにいのことだから……みんなと釣り合いがとれるために、周囲の人から凄い、って思えるような何かが欲しかったんじゃないの?」


 だから、何で分かるんだよ……。


「そしたら、誰かと付き合うことになっても、お似合いだってまではいかなくても、変な陰口とか叩かれないもんね」

「別に、正解だとも言ってないだろ。何一人で勝手に話してんだよ」

「どうせ、正解でしょ? 違うなら否定すればいいじゃん」

「………………」


 あってるだけに、否定できなかった。


「ほーら、やっぱり正解だった!」


 ニシシと嬉しそうに笑う雫の声が、浴室で柔らかく反響していた。


「おにいが返事してくれた時にもいったけどさ、私達は気にしないんだって」

「…………俺が気にするんだよ」


「おにいって、結構、頑固だよね……まぁ、そういう所も好きだけどね。ここには、私しかいないから正直に話してもいいよ?」

「…………」

「おにいも知っての通り、私って成績良くないからさー、多分、すぐに忘れちゃうと思うなぁ」


 雫が俺に弱音を吐いてもいいよって、言ってくれている。俺が弱音を吐けば、雫は絶対に励ましてくれるのが分かっていた。


 だからこそ、口にするのをためらっていたはずなのに……


「……クラスでさ、俺が陰キャだったせいで揉めそうになったことがあったんだよ。そん時は美咲のおかげで、場は収まったんだけどさ、申し訳ないなって思ったよ。だって、俺がもっとしっかりしてれば、こんなことにはならなかっただろ?」


 背中にから伝わる雫の感触が優しかったのか、浴室内のリラックスした空間が、それを壊したのかは分からない。だから話してしまった。


「大丈夫だよおにい。こんなに素敵なおにいのことを馬鹿にする人の方が悪いんだから。見る目ないね」


「みんなのためにもさ、色々と頑張ろうって思った結果が、これだったよ」

「24位でも十分に凄いよ。去年のおにいからめっちゃ成長してるじゃん。私はすごく誇らしいよ」


 たった、二言、三言交わしただけなのに、凄く温かった。

 何か、このままの自分でもいていいよって言われてるような気持ちだった。


「どんなおにいでも、私はおにいの事が大好きだからね」


 スッと、優しく心に溶け込むような感覚だった。


「サンキューな雫」

「いいよ別に。おにいが私にしてくれたことを、返してるだけだから」


 そんなことあっただろうか。記憶にはなかった。


「だから、私も嬉しいんだ。何か、ちゃんと成長してるんだなーって」

「その割には、成績が低いままらしいじゃん」

「もーう、そう言うのは、今はいいんだよ」


 雫の不服そうな声に思わず笑ってしまった。

 風呂からでたら、勉強するかな。


             ※


 それから、もう少しだけ雫と喋ってから風呂を出ることに決めた。

 流石にそろそろ、のぼせそうだったからだ。


「じゃあ、雫。俺は風呂から出るな」


 この時の俺はうっかりしていたのだ。


 タオルを腰に巻いてたとはいえ、水を吸ったタオルは重くなる。

 つまりだ。

 雫の目の前で、俺のムスコ様を大公開したことになるわけで──


「おにい……って! キャァアアアっ!? なんでタオルを巻いただけなのっ! エッチ、スケベ!」

「なんでって、風呂だからにきまってんだろ……って、なに水着を着てんだよ!」


「普通、二人でお風呂に入るんだから、水着くらい着るに決まってるじゃんっ!」

「普通はそんな発想しねぇよ!」

「もーう、分かったから早く出て行って!」


 何とも、しまらない終わり方だったとだけ言っておく。


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最後まで読んでいただきありがとうございました~

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