Side 五十嵐美咲(いがらしみさき)の恋花(下)

『意外……妹さんと仲良くないんだ?』

『まぁな……』


 料理の煮込み時間の間、私と鷹矢君は部室の隅っこで話していた。

 と言っても、少しの隙間時間でも勉強する鷹矢君に、私が茶々入れてる感じだけど。


 鷹矢君が部室に来て、一か月ちょっと経ったくらい。

 冬休みに入った頃だったと思う。

 

 基本的に料理部は、冬休みは活動してない。だけど、鷹矢君と料理するのが楽しくて、冬休みでも、私は料理を教えていた。


 いつもは、明るく元気な鷹矢君の表情に影が射していた。だからこそ、鷹矢君の中でよっぽど大きな事なんだと分かる。


『五十嵐さんは弟と仲がいいの?』

『うーん、どうなんだろ……? 普通じゃないかな、一緒にご飯を食べたら話をするくらいの仲だけど』 

『グヌヌヌヌヌ……羨ましい……』


 血の涙を流さんばかりの勢いで、鷹矢君はハンカチを噛みしめていた。ハンカチ、そのために準備してたんじゃないんだよね? 

 相変わらず、面白いなー鷹矢君は。


『ほらほら、学年一位を狙ってるんでしょう? 手が止まってるよ』


 まぁ、手を止めさせた原因は私にあるんだけど。


『へいへい。それで、この問題なんだけどさ』

『ああ、これはね──』


 真剣な表情をした鷹矢君を見てると、表情がニマニマと緩んでしまう。暖房の効きが弱い家庭科室でも、鷹矢君といればポカポカと温かい気持ちに慣れる私がいた。


 なんでなんだろう……? 


 このときの私は分からなかった。

 でも、二番目な私が、コンプレックスに悩まなくて済むくらいに温かい時間だったのは間違いなかった。


 ありがとうね、鷹矢君。傍にいてくれるだけで救われてる私がいるよ。

 頑張って一番、とってね。


『ねぇ、鷹矢君?』

『あれ、下の名前呼び……』

『そうだよー、私の事もこれからは美咲って呼んでね』


 知ってるんだからね、鷹矢君が中世古さんに勉強を教えてもらっていることも、仲が良いことも。けどさ、私だって鷹矢君と仲がいいんだよ?


 この頃の私は、鷹矢君の努力の姿と自分を重ねていた。底辺の成績だった鷹矢君が一番になれば、いつも二番目な私だって一番になれるかもって思ったから。


           ※


 一月下旬。

 冬休み明けの実力テストが実施されて数日後の事だった。

 雪がたくさん降っていて、凍えるような寒さだった。


『どうだったっ!?』


 この日は、実力テストの順位が発表される日で、私は自分の事のように鷹矢君の成績が気になって仕方なかった。


 この時の私は鷹矢君が一番になると信じて疑ってなかった。

 だけどだ。


『それがさぁ……二番だったよ』


 ポカポカと温まっていた心が、一気に凍ってしまった瞬間だった。

 意地の悪いことに、点数差まで私の時と一緒だった。

 目の前が真っ暗になったような感覚だった。


『惜しかったんだけどなぁ……あれ、美咲?』


 鷹矢君の声が聞こえないフリをして、その日はすぐに帰宅した。流石に、平常心を保っていられる自信がなかったからだ。


            ※


 それから、学年末テストの結果が返却される日の事だった。


『どうせ一番はまた中世古さんでしょ……』


 頬杖をつきながら、私は灰色の空をボーッと眺めていた。

 それから、中世古さんの返却される順番になったが、いつもとは違う光景があった。


『今回はたまたまだって! 次は打倒水瀬君だよね!』『私、数学なら超得意だから、いつでも頼ってね』と、クラスメイトが、中世古さんを励ます光景だった。


『まさか……うそっ!?』


 思わず視線が、鷹矢君の方に向く。その鷹矢君はと言うと、ガッツポーズするやすぐに帰って行った。


 確認しないでも分かる。一番は鷹矢君だ。


『ま、待ってっ!』


 慌てて帰ろうとする鷹矢君を、慌てて引き留めた。


『美咲……? どうしたんだよ』

『なんで……なんで、一位が取れたの?』



『なんでって……そりゃあ、一位を取るための勉強をしたからな。ちなみに、その方法はお前が教えてくれたんだぞ』

『わ、私が……?』


 た、鷹矢君は一体、何を言って……。


『美咲ってさ、料理作る時、調味料を測らないで適当に入れてるだろ? それに、この調味料を入れることで、こういう効果が発揮されるかもあんまり考えてないみたいだし』


 ほぼ毎日、料理を作ってる人間からすれば当たり前の事だと思っている。


 調味料を測るのは面倒くさいし、洗い物だって増えるから。

 それに、調味料を入れる理由だって私は考えてない。


 考えるのが面倒くさいとか以前に、考えようと思ったことがないから。だというのに鷹矢君は、どうしてこの調味料を入れるのか逐一、聞いてきたのだ。


 その時の私は『そんなの知らないよー』とか答えたような気がする。

 だって、調味料の配分さえ暗記しておけば、割と適当に入れても、料理はそれっぽい味になるからだ。


 でも、それと鷹矢君の一番に何の関係があるんだろう。


『俺はさ、どんな問題も正確に理解して、問題を解く必要があるって思ってたんだよ。でもな、俺は妹と仲良くなるために勉強を頑張ってるんだから、どんな問題も正確に理解する必要はないって気づいてさ。俺は点数が取れればそれで良かったわけだし』


 鷹矢君、まさか……。


『だったら、解説読んでも分からない問題は、全部暗記しちゃえばいいやって思って。特に数学は、それで何とかなるって思ってさ。でもな、この発想は美咲がいなかったら、思いつかなかったんだぜ?』


『わ、私がいたから……?』 


 いっつも二番目でダメダメな私なのに……?


『だから、そう言ってんだろ。先生も意地が悪いよなぁ。問題集の隅っこの方に載ってる問題を出してくるなんてさ。まぁ、数字を入れ替えただけだから、すぐに解けたけどな。しかも、遥香は解けてなかった」


 あはは、楽しそうに鷹矢君は笑っていた。


『そういうわけだからさ、ありがとうな美咲。お前がいてくれたおかげで、俺は一番になれたよ。じゃ、俺はこれを雫に見せにいくから』


 そう言って、鷹矢君はどこかに行ってしまった。

 鷹矢君の言葉が頭から離れなかった。 


『私がいたからなんだ……私が常日頃から頑張ってきたことは無駄じゃなかったんだぁ……』


 今まで何にも上手くできなかった私の中で、初めて上手くできたことだった。

 ホロホロと涙が零れるけど、嬉しさから来る涙だった。その涙は私の胸に届くと、優しく芽を出して、きれいな花を咲かせた。


 言うまでもなく、鷹矢君への恋心の花だった。


『そっかぁ……私、鷹矢君が好きなんだぁ……大好きなんだぁ……』


 気づいてしまえば、どんどん膨らんで大きくなっていた。

 この気持ちの大きさは誰にも負けない自信あった。


『なんだ……私にもあるんじゃん』


 絶対に負けないものが、こんな近くにあった。

 そりゃあ、こんだけ近くにあったら気づかないのかもしれない。

 私の全部を鷹矢君に捧げたい……そう言ったら鷹矢君はなんてリアクションするのかな?



 それから私は春休みにまた勉強を再開した。


 流石に、寝る間も削って訳ではなかったけど、次こそは中世古さん……いや、遥香か、あの子に負けないように。勉強だけじゃなくて恋も。


 でも、最初は妹さんとの仲を取りもつことが大事よね? 甘い物でも作って、話す機会を作ってあげたら、案外、すぐに仲直りできたりして……。


『よぉーし! しばらくは、甘いものを作ろう!』


 それから、お菓子作って、迎えた始業式の日。


 鷹矢君からは、妹さんと仲が悪いと聞いていた。

 だというのに、そんなことは一ミリも感じられなかった。それどころか、気がつけばキスしていた。しかもその翌日、二人は仲睦まじげに登校していた。


 それだけじゃ飽き足らず、妹さんは、彼女面までしてる始末だ。


 予想もしてなかった展開に、やっぱり私の脳みそは拒絶反応を起こしていた。

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