第三話 水瀬さんちの雫ちゃんの本音(下)

 ママが、おにいから話を聞いたと知って、第一に浮かんだ感情が悲しさだった。


 家族に迷惑をかけたから来る悲しさじゃない。おにいと引き離されるかもしれない。そんな私の卑しい独占欲からくる悲しさだった。今から怒られるかもしれないのに、こんなことまでおにいのことを考えてしまう私だった。


 胃にのしかかる不快感を無視しつつ、私はママの正面に座った。大好きな甘いカフェオレを出されたけど、飲めなかった。


「? 飲まないの?」

「い、いただきます……」


 本当は飲みたくなかったけど、、少しだけ飲むことにた。


 口の中で、ほどよい甘さがじんわりと広がっている時だった。



「で? 鷹矢のことはいつから好きなのよ?」



「っっ! ……ゲホッ、ゲホッ!」


 肺の変なところに入った。気持ち悪い……。


「ま、ママ!?」

「何よ? 私が気づいてないとでも思ってたの?」


 不思議そうな表情を浮かべるママだったけど、私はそれどころじゃなかった。

 まずい。まずい。まずい。

 この言葉だけが頭を占めていた。


「い、いや……あはは、……な、なに言って……」


 頭を回して、言い訳を考えろ。

 誰も傷つかなくて、誰にも迷惑をかけないような。


「だ、だって……私たちは血が繋がってなくても兄妹なんだよ……」


 私は、ママのことを正面から見れなかった。


「べ、別におにいのこと何か、す……」


 好きじゃないって言うだけ。

 簡単なことだ、簡単……。


「す……す、す……」


 悲しくない。悲しくない。

 私は一度、家族に迷惑をかけたから、もうかけちゃダメなのに……。

 そうなのに……。


 ぽろり。

 ぽろぽろ。


「ごめんなさい……」


 たった、その一言が言えなかった。


「おにいのことが好きなんです……」


 頬から流れる涙が止まらなかった。


「キスしちゃいました……迷惑ばかりかけてごめんなさい……」


 一度、吐き出した気持ちは止まらなかった。

 心の奥底にしまっても、セメントで固めても、鍵付きの箱にしまっても意味なかった。静かに涙を流し続ける私を、ママは黙って見つめるだけだった。


 それからママは、

「それは何に謝ってるのかしら?」

 と静かに告げるだけだった。


「だって……わ、私は……私は……い、妹なのに……おにいを好きに、な、な……ちゃった……ぐすっ」


 何とか絞り出すような声に、ママは呆れたようにため息をつくだけだった。


「いい、雫?」

「っ!」


 もう引けない。

 思わず、うつむいてギュっと手をきつく握りしめてしまった。


「お母さんはそんなところまで聞いてないわよ……私が聞いたのは鷹矢が好きってことだけ」


 苦笑しつつも、呆れたようにママは笑っていた。


「ママ……?」


 どうして、ママが笑っているのかが分からなかった。


「雫、アンタは一つ勘違いしているわよ」

「え……? どういう……こと?」


 ぐすっ、と嗚咽を漏らす私に、ママは苦笑しながら、その涙を優しく拭ってくれた。


「どうして私が、雫に鷹矢のことを好きなのか、聞いた理由が分かる?」

「だって……妹が兄に恋しちゃダメだからでしょ? 法律で禁止されてるじゃん……」

「あのねぇ、雫……」


 再度、深くため息を吐くママ。

 私は真剣に悩んでいるっていうのに、そのリアクションはひどい……。


「もしそうなら、緊急家族会議ものよ……」


 そうなら……? ママの話す『そうなら』が何を指すか分からなかった。


「ど、どういうこと?」

「繰り返しになるけど、雫が鷹矢のことを好きなんて、私はとっくに知ってたわよ」

「うそっ!」


「嘘じゃないわよ……あんだけ目で、表情で、好き好き訴えかけてたら、誰だって分かるわよ。分かってないのは鷹矢くらいよ」

「~~っっ!」


 私の隠していた気持ちって、一体なんだっただろう。とてもじゃないけど、恥ずかしてママの顔が見れなかった。


 その時、ハッと気づいた。

 ママは知ってた上で、静観しててくれていた。

 それはつまり、私がおにいを好きでも問題ないって意味になる。


「え、じゃあ……なんで……いつからおにいが好きって、聞いてきたの?」


 もしかして、そのままの意味で……?


 私が感づいた瞬間、ママの表情がニヤッとした物に変わる。


「だって、娘の好きな人の話なんて気になるじゃない?」


 優しく笑うママは、私にスマホの画面を見せてきた。

 私はその画面を見た瞬間、椅子ひっくり返す勢いで立ち上がってしまった。


 ──親の再婚相手の連れ子同士の結婚は、法律上禁止されていません。


「っっ!! こ、これって……」


 あれ? 私っておにいと結婚できるんだ……やった……え、じゃあ、もしかして私の勘違い……?


「これで雫の誤解は解けたかしら?」

「う、うん……いや、でも!」


 なんでママはそこまで分かったんだろう。


 おにいの事を好きだけど、私は法律違反と勘違いして、この気持ちを隠そうとしていたことも……。色々と腑に落ちなかった。


「だって、小学生の時に一回、調べてたじゃない? 親としては、小学生のアンタが何を調べてたか、確認するに決まってるでしょ」

「う、うぅっ……」 


 もう、何か別の意味で泣きたかった。 


「ちなみにね、鷹矢からは、事故で雫が人前で恥ずかしいことをしたからフォローして欲しいって連絡をもらっただけよ」


 クスクス、と笑みを零しながらママは話してくれる。


「も、もしかして、ママって最初から全部に気づいてた……?」

「さぁて? それはどうかしら?」


 嘘だ……絶対にママは最初から気づいた上でからかうために聞いてたんだ。でも、私が泣き出したから、ネタバラシしたに決まっている。


「まぁ、アンタが人前でキスするとは思わなかったけどね」

「も、もーう! ママの──」


 顔から火が出そうだった。

 そんなママの意地悪さが我慢できなくなって、文句を言おうとした時だった。


「ただいまー」


 おにいの帰ってくる声が聞こえた。

 な、なんでこんなに早いのっ!? あ、そっか。今日は始業式だから……ど、どうしよう……。


「ほら、早く行ってきなさい。鷹矢ったら、アンタに嫌われてるかもって悩んでたのよ」


 そう言って、ママは買い物バッグ片手に外に行ってしまった。そして、入れ替わりでおにいが入ってきた。私は、おにいを見た瞬間──

 


              ※

(鷹矢視点)

 始業式が終わって、家の前に着いても、ドキドキが収まらなかった。


「落ち着け、落ち着くんだ俺……」


 頭の中にあるのは、雫にキスされてしまった時の事だった。

 思わず、唇に手が伸びてしまう。


「~~っっ!!」


 意味もなく、バンバンと膝を叩いてしまった、こーう、よく分からない胸のうずうずが爆発しそうになって、発散させているような──


「ねぇ、ママー」

「しっ! 見ちゃいけません」


 ……家に帰ろう。


 そうだよな。雫だって、事故って言い張ってたんだし、変に俺が意識するのも良くないよな。う、うん……きっと、母さんが良いようにフォローしてくれているはずだ。


「ただいまー」


 玄関で靴を脱いでいると、母さんが買い物バッグ片手にやってきた。


「あのさ、母さん」

「私は買い物に行っちゃうから、ほどほどにね。それと、ゴ──いえ、流石に余計よね……」

「? う、うん……」


 よく分からなかったが、まぁ大丈夫ってことでいいんだろう。

 母さんを見送ってから俺がリビングに入った瞬間、


「おにいっ!」


 雫に抱き着かれてしまった。

 えっ!? 何事……!?

 雫は、そのままの胸に顔をこすりつけてくる妹。


「し、雫さんや……?」

「ニヘヘヘ……おにい……」


 とろけるような笑みを浮かべる雫の姿が、俺を避け始める前のべったりだった時と重なった。


「お、俺の事を嫌ってたんじゃないのか……?」

「ごめんね、おにい。私ね、ちょっと勘違いして避けてたの」


 俺の背中に腕を回して体を密着させたまま、雫が上目遣いで話してくる。

 誤解……? じゃあ、最初から嫌ってなかったってこと?


「私はずっとおにいのこと大好きだよ?」

「そ、そうだったのか……? お、おん?」


 そこは安心したんだけど、そうじゃないのだ。

 なんでずっと密着してるの? とか、どうして避けてたの? とか色々聞きたいことがあるんだけどだ。ずっと抱き着かれてるせいで、頭が上手く回らなかっ。それに今朝はあんなことがあったせいで、雫の唇に目がいって仕方なかった……あわわ。


「もーう、違うもん。そういう意味の好きじゃないんだよ」

「……おん?」


 そういう意味じゃない? じゃ、じゃあ家族としてじゃなくてって意味になることで、それはつまり──



 ちゅぷり。



 その瞬間、頬に柔らかくて、温かい感触がした。


「お、お前っ!」

「おにい知ってた? 義理の兄妹って結婚できるんだよ」


 頬を真っ赤に染めた雫が、からかうように言ってくる。


「次はおにいから、ここにする番だからね?」


 人差し指で、唇を指しながら話す雫。


「私、中世古さんって人にも、五十嵐さんって人にも負けないから!」


 そう言って、雫はリビングを出て行った。


「あわわわわわわわ……」


 かくいう俺は、色々な衝撃が凄すぎて、腰が抜けてしまうのだった。



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最後まで読んでいただきありがとうございました。


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