第二話 水瀬さんちの雫ちゃんの本音(上)
心臓がまだドキドキ言っている。
口の中はレモネードの味が広がっている。
意味もなく叫びだしたくらいに、胸の中でよく分からない何かが爆発しそうになっていた。
それは嫌な感覚じゃなくて、幸せな気持ちから起こるものだった。
思わず、唇に手が伸びてしまった。
キスがショートケーキの味なんて嘘だ。別に信じてたわけじゃなかったけど、唇は唇の味だった。
無我夢中で走っていた。
校門を抜けて、通学路を走って、私はどこに走っているんだろう。
でも、私の足は止まらなかったし、止められなかった。
とんでもないことをしてしまったっていう後悔と幸せな気持ち。コーヒーとミルクを混ぜている途中だった。苦いコーヒーになるのか、甘いカフェオレになるのか、答えが出なかった。
ぐるぐる。ぐるぐる。ぐるぐる──
※
私が小学一年生の時、おにいと初めて出会った。
ママが再婚するってことで、新しいパパと共に紹介されたのだ。物心つく前からパパはいなかったので、初めて私にもパパができるんだくらいの感覚だった。兄ができるということに関しても、そんな感じだったと思う。
おにいの第一印象は、優しそうな男の子。
幼いながらも、再婚するっていうことが、大変なことは感じ取っていた。
おにいもパパも、私やママに対してぎこちなかった。そして、それはママもそうだった。
そんな空気感を見てたからこそ、私はみんなに迷惑をかけないでいようって思ってたのに、上手くできなかった。
喘息がひどくなってしまったのだ。
私は元々、体が強くなかったこともあって、喘息を患っていた。大変な時期に喘息がひどくなってしまって、家族族に対して物凄く気を使わせてしまったのを覚えている。私も悲しかったり、苦しかったりですごく辛かった。
『ごめんなさい……』
看病してくれたパパやママ、おにいに何回、この言葉を言ったのかは分からない。
『いいのよ、気にしなくて』
私が謝罪する度に、困ったように笑うのが本当に辛かった。今なら分かるけど、あれは幼かった私に気を使わせていたからなんだって分かる。でも、幼い頃の私に、分かるわけがなかった。
そんな罪悪感にむしばまれながら、喘息で苦しかった日の事だった。
その日は、パパが仕事でママが買い物に行っていた。私の看病はおにいがしてくれていた。当時のおにいは、兄としての感覚じゃなくて、一個上の男の子って言う感覚だったと思う。
『ごめんなさい……』
いつものように、私は謝ってしまった。
『気にしなくていいからね……なんだって、兄貴って言うのは、妹を守ってやるもんだからなっ!』
天真爛漫な笑みを浮かべるおにいに物凄く安心感を覚えたのは、今でも覚えている。パパやママが困ったように笑う中、おにいだけが純粋に笑ってくれていたからだと思う。
だから、私はおにいにだけ、素直に自分の弱音を話すことができた。
『でも、私のせいでみんなにめいわくかけてる……』
話せば、話すほど、涙が溢れて仕方なかった。
『おにいは私のこときらいにならない……?』
体が弱ると、心も弱くなって、こんなことを聞いてしまうのだ。
そしたらおにいは、絶対に
『兄貴が妹のことをきらいになるわけないだろ。雫がだいすきだからなっ!』
こう言ってくれるのが分かってたから、つい聞いてしまうのだ。
そして、その度にこんな自分に嫌悪してしまう悪循環だった。そんな私の複雑な感情を察していたのかは分からないが、
『俺は雫がだいすきだからなっ! なんかいでもおなじことをきいていいからな』
そんな風に、私の心が軽くなってくれるようなことを言ってくれるのだ。手を握ってくれて、頭を撫でてくれて、ぎゅっと抱きしめてくれる。
心が温かくなって、胸がポカポカした感覚は今でも、鮮やかに覚えている。
『ニヘヘヘ……おにい、だいーすき』
そして、布団で顔を隠して、いつも私はボソッと呟くのだった。
多分、この頃だったと思う。
私がおにいに、兄以上の感情を抱き始めたのは──。
※
喘息もかなり良くなって、私も外で走り回れるようになった頃。
私はいつも、おにいの後をついて回っていたような気がする。登校も下校も一緒。
休日におにいの友達が私の家に来るなら、
『おにいは今日、私と遊ぶのでダメです!』
そんな感じのことを言って、追い出していたような気がする。
そんな風に、おにいにべったりだったある日のこと。
小学校の教室で、私は友達と話ながら、おにいのクラスの授業が終わるのを待っていた。
この日を境に、私はおにいの事をさけるようになったと思う。
きっかけは、ささいな一言だった。
『雫ちゃんって、お兄さんとずっといっしょだよね?』
『うん、おにいのことだーいすきなんだ! しょうらいはけっこんするのっ!』
『あははっ! 何言ってるの? きょうだいはけっこんできないんだよー』
当時の彼女に悪気がなかったのは覚えている。それでも、その言葉がショックすぎて、苦しかったのは覚えている。
『ウソッ! そんなことないもんっ!』
その言葉を信じたくなくて、私は急いで家に返ると、ママからスマホを借りて調べた。すると、兄妹が結婚するのは違法っていう言葉がすぐに目に止まった。
『そうなんだ……ダメなんだ……うっ、うぅうううう……!』
悲しくて、ポロポロと涙がこぼれて仕方なかった。胸が張りさそけなほどに辛くて、家族を喘息で苦しめてた時の比じゃなかった。多分、この日ほど悲しいことはなかったんじゃないかと思う。
この時に、私は初めて自分が兄に恋しているのだと気がついた。
同時にこの恋を成就させてはダメだってことにも気がついた。私は喘息のせいで、家族として一番大切な時期に迷惑をかけてしまった。それなのに、私の恋心まで知られてしまったら、さらに迷惑をかけてしまうに決まっている。
だから、この気持ちを胸に隠すことに決めた。
そして、この日から私はおにいを避け始めた──
※
隠しているつもりだった。
心の奥底にしまって、セメントでガチガチに固めて、鍵付きの箱にしまっているつもりだった。
おにいも私の気持ちをどれだけ察していたのかは分からないが、あまり私に話しかけてこなかった。その気持ちが嬉しくて、悲しくてと複雑ではあっても何とかギリギリ、この気持ちを我慢することができた。
だというのに、去年の十月頃から、急におにいは色気づき始めた。
いつもの1000円カットから、少し値の張る美容院に行くようになって。
底辺ギリギリの成績から、一番になって。
料理下手から、料理上手にもなって。
自分を磨き始めたおにいは、ハッキリ言って世界で一番かっこよかった。どんな俳優でもyoutuberでもおにいは敵わないと思う。
断言できるし、即答できる。
そんなカッコよくなったおにいを前に、私のこのギリギリな気持ちは、徐々に崩壊し始めていった。その証拠にとでも言えばいいのか、関わらないって決めていたはずなのに、ケーキを買ってしまった。
友達から割引券をもらったのなんて嘘だ。おにいが勉強を頑張ってたのは知ってるし、一番を取るって私は信じていた。そして、私が一番におめでとうって言ってあげたかった。言葉にはできなくても、何かで伝えたかったのだ。
この時から、私の気持ちはとっくに傾き始めていたのだと思う。
とどめとなったのは、始業式の日のことだった。
私は、どうしておにいがオシャレも勉強も料理も頑張り始めたのか知らなかった。 正確には、あまり考えてこなかった。でも、中世古さんって人と五十嵐さんって人のおにいを見つめる目に、特別な色が混ざっているのには、すぐ気づいた。
それから、おにいの友達の中村さんに話を聞いて、私は思ってしまった。
おにいは二人の内のどっちかが好きで頑張り始めたんじゃないかって。
そしたら、おにいは私の傍から、いなくなっちゃうんじゃないかって。
こんな可愛くもない妹が、嫌いになったんじゃないかって。
でも、そんなのは嫌だ。
ずっと、おにいの傍にいたい!
誰にも渡したくない!
私が一番じゃないと嫌なのっ!
気がついたら、私はおにいにキスしてしまった。
足がしびれたなんて、嘘に決まっている。
ずっと私の気持ちはシンプルなままだった。
──おにいが、好きで好きで仕方ないの……。
※
「はぁ……はぁ……」
ひたすらに走り回って、少しだけ気分がスッキリとした私は家に帰った。
始業式初日からサボってしまったけど、明日からは挽回しよう、うん。
あー、おにいに会いたくないなぁ……なんて話せばいいんだろう……。
そんなことを考えながら、自室に行こうとした時だった。
「雫―! なんで、初日から学校サボってるのよ?」
「マ、ママ!?」
なんで家にいるのっ!? 何て言い訳しよう……
「え、えーとその……」
「ちょっと、話があるから下に降りてきなさい」
「……はーい」
まぁ、学校をサボったことを怒られるよねぇ……そんなことを思っていたのに、
「用件は言わなくても分かると思うけど、一応、言っとくわ。朝のことは鷹矢から聞いているから」
「……うそ」
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最後まで読んでいただきありがとうございました。
皆様の温かい評価のおかげで、日間ランキング9位という大変すばらしい結果を頂けました。
本当にありがとうございます。
次話でございますが、雫ちゃんの決意回とキス事件の後の主人公に焦点を充てた話になっています。
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