第5話 ご飯を食べよう
正ちゃんの姿が見えなくなるまで見送って、私はクーラーボックスを持って、アパートの部屋に戻った。キッチンのカウンターにクーラーボックスを置く。リビングを見ると、ソファにお父さんとお母さんが座っている。お父さんはあの姿勢、きっと本を読んでいるのだろう。
鼻歌を歌いながら、自分の部屋に行き、部屋着に着替える。洗面所に行き、釣りに着ていった服を洗濯機に放り込むと洗面台で手を洗った。再び、キッチンに戻ってきて、椅子に掛けてあるエプロンを着ける。さあ、ここからが本番だ。
「よし、やるぞ」
私は調理台の前に立つと、クーラーボックスを開けた。正ちゃんから貰ったきのことニジマスが入っている。きのこはアミタケだと正ちゃんは言っていた。アミタケは塩水に漬けて小さな虫をだしてから煮るのだ。鯖缶と一緒にお味噌汁として食べるのが美味しいらしい。
私は正ちゃんに教えてもらったがまま、アミタケのお味噌汁と、ニジマスの塩焼きをつくることにした。それに、ご飯と漬物があれば充分だ。
アミタケについた葉っぱや木くず、土をよく洗い流し、塩水をはったボールに入れる。ネットで調べたら半日から一日置くと書いてあったけど、別のサイトでは水を何回か変えるだけでよいと書いてあった。とりあえず、三十分置いて、よく洗えばいいかな。
その間にお米を研ぐ。夜の九時になると電気が止まってしまうから、今のうちにお米を炊き、明日の朝昼分のおにぎりも作っておくのだ。
お米を炊飯器にセットをして、今度はニジマスの処理を始めた。最初は下処理なんてできなかったけど、お父さんと一緒に釣りに行くうちに覚えた。
まず、ニジマスのぬめりを取るため、塩を揉んで洗う。それができたら、内臓を取るのだ。お尻の穴に包丁の刃を入れて顎下までかっさばく。白い内臓が飛び出してきた。最初は気持ち悪くて無理だったけど、そんなことも言っていられない。今では大丈夫になった。開いた腹に指を入れて、流水とともに内臓を洗い流す。血もちゃんと流さないと血なまぐさくなっておいしくないと、何度かやってわかった。
内臓と血合いを綺麗にとったら布巾で拭く。塩を振った。ここまでやって、私は小鍋にみそ汁用の水を入れた。市販のだしを入れる。
アミタケを見ると、水面に小さな粒が浮いていた。きっとこれが虫なのだろう。水がきれいになるまで、何回も流水で洗う。黄色いような茶色いような水がだんだんと透明になってくる。もう、いいだろう。
アミタケの硬い石づき部分を包丁で切り落とし、食べやすい大きさに切った。それを小鍋に入れていく。火にかけて、煮立ってきたら買い置きの鯖缶を入れた。蓋を閉める。それと並行に、油の引いたフライパンを火にかけた。少しして、ニジマスを入れる。だいたい、蓋をして弱火で片面七分、ひっくり返して四分だ。ニジマスから油がでてジュウジュウと音をたてた。良い感じだ。
そこまですると、お母さんが気になるのか、キッチンに様子を覗きに来た。ああ、邪魔だな。
私はお母さんをリビングに戻す。もう一人で、できるのに。いつまでも心配性なお母さんだな。
キッチンに戻り、小鍋のふたを開ける。鯖のいい匂いが漂ってくる。うん。美味しそうだ。私は冷蔵庫から味噌を取りだし、お玉ですくって入れた。箸で溶かすと、みそ汁の完成だ。
ニジマスもフライパンの蓋を開けて、ひっくり返す。ジュウジュウと音をたてて片面も焼けていく。魚と油の入り混じった水っぽい匂いが鼻先をくすぐる。香ばしく焼けた皮がなんとも美味しそうだ。
ピピっとセットしていたタイマーが鳴った。四分経ったのだ。
「できた!」
ちょうど炊けたご飯とみそ汁をお椀によそい、ニジマスをお皿に乗せた。小皿に白菜の漬物をだし、お全てをお盆に乗せる。箸を乗せ、私はキッチンとリビングの間、キッチンカウンターの横に置いてある食事用のテーブルに夕飯を置いた。椅子を引いて、席に着く。音がないのはさみしいので、テレビをつけた。最近は昔のドラマの再々放送なんかをよく流している。
テレビの音をBGMに、私は両手を合わせ、いただきますをする。両手を合わせて目を閉じると、今日起きた様々なことを思い出す。今日は一花と睦美に会えた。二人と会話できてよかった。海苔瓶が買えてよかった。魚屋のおばちゃんや、朝市が立って良かった。
正ちゃんと今日も会えてよかった。七弥が無事な様子で良かった。怜ちゃんは……わからないけど、治療法が見つかって、きっと早く治るといい。正ちゃんのおじいちゃんが元気で良かった。私の体が、元気でよかった。
きのこが貰えてよかった。正ちゃんに魚釣りを手伝ってもらえてよかった。おかげで無事に、今日もご飯が食べられる。
私は両手を合わせて深々と頭を下げる。箸を使って、ニジマスの白い身を口に入れると、油がじゅわーと口に広がり、柔らかく肉がほどけていく。うん。美味い。
アミタケの味噌汁も口をつけた。鯖の出汁と味噌が絡まって、塩気がきいて、よい味わいになっている。アミタケを口に含んだら、ちゅるんと喉を通りすぎた。うん。心地よい喉ごしだ。
味噌汁から湯気が立ちあがっていく。目の前がぼやけると思ったら、自分が泣いていることに気づいた。そうか、私、今日も頑張っていたのだな。
涙をのみこむように、味噌汁を飲む。口いっぱいに味噌の味が広がっていく。優しい味だ。家庭の、お母さんの味だ。
「……ふぇっ」
私は泣きながらご飯を口いっぱいにほおばる。
――大丈夫。大丈夫。食べられるうちは大丈夫。
三年ちょっとでゾンビになる。ゾンビ病が発病してから一年と半年が過ぎた。でも……。
ご飯をほおばると、甘い味わいが広がる。喉と胃はもっと欲しいと私に飲みこむことを要求する。
――大丈夫。大丈夫。食べられるうちは大丈夫。
私はまだ、平気だ。
<完>
3年ちょっとでゾンビになる つかだあや @ricorabbit
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