第2話 学校に行こう

 制服に着替え、身支度を整え、出かける。冷たい朝の空気が頬をなでる。スカートの下はタイツだが、ジャージをはきこんでもいいかもしれない。


「遅いぞ、きらり」


 後ろから声をかけられたと思いきや、振り向くまでもなく、声の主は私の横を流れるように通り過ぎる。あの、見慣れた坊主頭と、荷台付きの黒い自転車、近所に住む幼馴染の正二だ。


「まってよ、正ちゃん」


 と言い終わる間もなく、見慣れた姿はどんどん小さくなっていく。振り返りもしない。正二はそういう奴だ。


「……」


 少しさみしくなって、私はいつもより小さい歩幅で歩いた。なんで遅れたか、もう少し、人のこと気にかけてくれてもいいんじゃないの。お父さんとお母さんの世話を焼いていたって答えるのに。

 さみしいのと悲しいのと怒りがわいてきて、心の中でとぐろになる。こういう時、私は小さな火みたいだ。感情が全身を支配して、身の内を焼く。

 うつむきながら歩いていると、段々、にぎやかな声が聞こえてくる。前を向くと、学校の門が見える。高校についたのだ。


「きらり、おはよう!」

「おはよう、きら」

「おはよう、一花、睦美」


 門を通ると、クラスメイトの一花と、睦美が声をかけてくる。二人は両手に荷物のたくさん入ったエコバックを持っていた。

 睦美が、赤いエコバックをかかげて、


「遅いよ、きら。もう、朝市、始まっているよ」

「朝市……そうだ! 魚! イカ、エビ!」


 またあとでねと二人につげて、私はダッシュした。玄関を右手に曲がり、外廊下を横断して、校庭につく。

 広々とした校庭には、たくさんの露店が出ていた。会議室の長机やビニールシートの上に品物が並べられている。毛織物や木工、アクセサリー、野菜や果物などの様々な商品が売られていた。私は真っ先に魚エリアに向う。二週間に一度、新鮮な海の魚が食べられるチャンスだ。

 大型トラックが止まっている一角まで来た。その下で、白いテントを張り、長机の上に発泡スチロールの箱を広げている店がある。魚屋さんだ。

 私は慌てて駆けこんだ。氷を入れた発泡スチロールの箱の中に、サンマが一匹だけある。

勝った! と思って、私はいそいでリュックからお財布を取りだす。


「あ、あの、サ……」

「サンマください」

「はーい。380円ね」


 目の前で、私のサンマが氷と一緒にビニール袋に入れられていく。横を見ると、自分より年上の女の人が財布からお金を出していた。


「……」

「お嬢ちゃん、なに?」

「あ……は、あの、その海苔の佃煮をください」

「はーい。670円ね」

「……」


 私はサンマの代わりに海苔の佃煮を買って、その場を離れた。いや、いいんだけど。保存がきくし。

 サンマとは違う海苔瓶のずっしりとした重さに釈然としない気持ちを抱きながら、私は校舎を目指した。渡り廊下に差し掛かると、正ちゃんがいる。正ちゃんの四歳年下の弟、七弥に買った品物を色々と渡していた。そのうちの一つ、ビニール袋から魚のしっぽがはみ出している。

 私は思わず叫んだ。


「あー! 正ちゃん、魚買えたんだ」

「だから、遅いっていっただろ。きらり」

「いいなー。さんま? あ、鯛じゃん! しかも大きい!」

「うちには育ちざかりが二人いるからな」


 正ちゃんには弟が二人いる。二つ年下の玲と小学生の七弥だ。それにおじいちゃんとで四人で暮らしている。

 私は気になったことがあった。


「怜ちゃん、どう? 具合」

「……だいぶ進んでいる。時々、意識ない時あるから、家で休ませている」

「そっか……」


 怜ちゃんは去年の冬に発病して、進行が人より早いのか、だいぶ病状が悪化していた。


「まあ、もうほとんど食わないけど、それでもな」

「うん……気持ちわかるよ」


 私もお母さんがそうなった時、そしてゾンビになってからも数日間、お父さんと一緒にお母さんの食事の用意をしていた。もしかしたら、病気が良くなって、少しでも食べ始めるんじゃないかと思って。


「……治るといいね」

「まあな」


 しらじらしい言葉はただ、舌の上を滑っていく。でも、治るといい、そう思うのは本当だ。

 正ちゃんは気を持ち直した調子で、


「じゃあ、きらり。俺、帰るわ。じいちゃんと山にきのこ取りにいくんだ」

「うん。またね」

「たくさん取れたら分けてやるよ」


 ありがとうと私が言うと、正ちゃんは小さめの買い物袋を数個、七弥に渡した。自分は野菜が入ったいかにも重そうな買い物袋を持つ。これから駐輪場に行って、自転車に積んで帰るのだろう。


「ばいばーい。正ちゃん、七弥」


 私が手を振ると、七弥が小さく手を振り返した。正ちゃんは相変わらず、こういう時、振り返らない。そういう所が硬派でいいっていうクラスの女子もいるけど、私はやっぱり、少しさびしくなる。一人っ子だから、常にかまって欲しいのだ。私は。


「さて……と。私も行くか」


 教室で一花と睦美が待っている。私は海苔瓶の入った買い物袋を持ち直して、上履きに履き替えるために玄関に向かった。

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