第42話

それまで知り合いでも何でもなかった人たちが一緒に暮らすということに不安がなかったと言ったら嘘になる。だが、二人を見ているとそんな心配はなくなる優斗だった。

「そんなことないわよ。和香子さんて、こう見えて意外ときれい好きだから、私はいつも怒られてばかりなのよ。そのくせ、食べ物を畳の上に直接置いたりすることがあって、それで大喧嘩になったことがあったわね」

「何よ、こう見えてって。それに私は食べ物を直接置いたりはしていなでしょう。ちゃんと梱包されているアンパンだもの、別にいいじゃない」

「袋に入っているからって直接置くものではないじゃないの」

「でも、そうやって言いたいことを言い合える関係だからこそ、一緒に暮らしていけるのですね」

優斗は心からそう思っていた。

「そうかもね。留美さんは何でもやってくれるし、本当に助かっています」

「あら、和香子さんだって、意外と掃除や洗濯が得意じゃない」

「また、意外とって何よ」

「まあでも、本当の嫁と姑だったら、もっと嫌なところばかりを見てしまって、険悪になるのかもしれないわね。他人同士で世代も違うから上手くいっているのかも」

留美の話に和香子も頷く。

「それに、太一君がいるからちゃんとしないとっていう張り合いもあるしね」

「いいなあ、私もここでみんなと一緒に住みたい」

茉莉が大きな口であんころ餅を頬張りながら歩いてくる。

「何を言っているのよ。茉莉ちゃんは結婚が決まって、引越しも済んだのでしょう」

「はい、お陰様で。優斗さんの住まいを奪ってしまって、すみません」

「いえいえ、タダ同然で住まわせてもらっていましたからね。もっと早い段階で出ていくべきだったのです」

「彼のお爺様もお婆様も優斗さんが住んでくれていて助かったって言っていましたよ」

「でも、早かったね。結婚を決めたのっていつなの?」

将平も餅を頬張りながら、茉莉に聞く。

「えええ、恥ずかしいからいいですよ」

「本当は言いたいくせに」

和香子は茉莉の脇腹を指でつく。

「会ってすぐです。この人だってピピっときました」

「ビビ、じゃなくてピピねえ」

将平は呆れ顔になる。

「それにしても茉莉ちゃんが農家のお嫁さんになるとはねえ。でも、本当にいいの?彼は大手企業を辞めて農家を継ぐのでしょう?東京でサラリーマンの妻になるのが夢ではなかったの?」

和香子の質問は優斗が聞きたいことでもあった。

「私は結婚がしたいって言いましたけれど、東京とかサラリーマンの妻だとかに拘っていたわけではありません」

「本当に?でも、会社を辞めるって言われたときどう思ったの?」

「私がこの村に住みたいっていう話をしたからそうなったので、じゃあって感じですけれど……。彼は優斗さんに憧れがあって、以前からこっちに帰ってきたいって思っていたそうです」

「そうなの?」

優斗は照れた。誰かの人生を変えてしまうほどの影響力が自分にあるとは到底思えなかった。

「裕太君、ちょっとこっちに来なさいよ」

和香子が無理やり裕太を連れてくる。

「ねえ、咲ちゃんとはどうなっているの?」

あまりにストレートな質問に優斗の方が赤面してくる。咲の姿を探すも庭にはいなかった。

「そんなんじゃないですよ」

「そんなんって?」

「だから、恋人同士とかでは全くないです」

「これからなのね」

「違います。お互い、そういった感情はありませんから」

「お互いって、咲ちゃんの気持ちはどうなのよ」

「私もないですよ」

いつの間にか咲が和香子の隣にいた。

「どういうことよ」

和香子は咲に詰め寄る。

「アセクシュアル」

優斗は思わずインターネットで最近知った言葉を口に出していた。

「そうだとは自分でもわからないのですが、そうなのかもしれません」

「ちょっと何よそれ、アセクサイ?」

「アセクシュアルです。誰に対しても恋愛感情や性的欲求を抱かない人たちのことです」

「何それ、エッチしたくないってこと?」

「子どもの前ですよ」

留美が慌てるも太一は少し離れたところで庭に群生しているローズマリーに関心を寄せていた。

「自分でもよくわからないのです。私の場合は、子どもの頃からクラスメートの子たちが好きな人の話をしていても、ピンとこなかったのは事実ですし、今でも恋人という存在を欲しいと思ったことはありません」

「僕だって咲ちゃんと同じような感じです」

優斗は咲や裕太の感情は何となくだが理解できる。優斗にも同じような感覚はあった。ただし、優斗には過去に恋人がいたことはあるし、今でも恋人が欲しくないと言ったら嘘になる。

「まあそうねえ、私たち夫婦だって恋愛感情なんてとっくにないし、別に恋愛感情だけが大切だってことでもないわよね」

優斗は留美の言葉に大きく頷く。自分の場合は恋愛感情の先にある人同士の絆のような大切な何かが欠けていたのかもしれないと、ふと思った。

「そうよね。私なんて恋愛感情がなくたって、やることはやってきたし、まあ、ひとそれぞれよね、人との付き合い方なんて。他人がとやかく言うことでなない」

「和香子さんの言う通りだよ。男子と女子が二人で歩いていたら、即、カップルだなんて決めつけるのは、いけないことだよね。今は、色々な性のあり方があるんだし、結婚だってしたければすればいいけれど、しない人たちのことをとやかく言う筋合いはないからな」

「将平さんは同じ人と二回結婚したわけですものね」

「まあね、一度ちゃんと離婚をしないと、私たちの場合はいい関係が築けなかったからね」

「それもありだ。人って、自分の価値観しか認めたくないと思ってしまうけれども、色々な価値観を知ることで、自分自身の生き方だって心地よくなるものね。こんな私だって、どこかで女性は結婚して子どもを産んで育てるのが正しい生き方だって思い込んでいて、それに外れてしまった私自身を許せなかった。自信満々に生きているように見えて、どこかで私自身を認めてあげられなかった。でも、やっと私は私の在り方やどう生きたいのかが、ほんの少しだけれど見えてきて、一歩踏み出せたってところかな」


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