第38話
「何で?」
「えっ?何よその言い草は。いけないの?自分の家に来ちゃ」
「はっ?ここはクマさんの別荘だよ」
「そういうことにしておいてもらったのよ。その方が、村の人たちも利用しやすいでしょ」
「そうなの?てっきり、売ってしまったのかと思っていたよ」
「そうしようと思ったわよ。でもね、やっぱりお父さんとの思い出の家だし、お父さんの理想が全部詰まった家だからね……。手放すことはできなかったけれど、ここに来るのは十何年ぶりね」
「どうして来なかったの?」
「自分でもわからない。クマさんとは定期的に連絡を取り合っていて、村の皆さんもこの家を大事に扱ってくれていることは知っていたわ。懐かしかったし、いい思い出ばかりだし、来ない理由はなかったかもしれない。だけれども、足が向かなかったの」
「僕が来るって言った時、嫌だった?」
「それはないわ。むしろ、嬉しかった」
「だったら、良かった」
「あなたがここに来てから、私も色々と考えたの。交通事故のことも良純さんから教えてもらったわ。そして、陽介君とも話をした」
「えっ、いつ?」
「数週間前だったかしら、クマさんを通して連絡があってね。一度、クマさんの家で、咲ちゃんとも会ったわ」
「どうして誰も言ってくれなかったのだろう」
「私が優斗には内緒にして欲しいって言ったからよ。私の口からちゃんとあなたには伝えたかったの。これからはここに住もうと思っているのよ」
「ここで?東京の店はどうするの?」
「全て手放すわ。今ちょっとピンチなの。今ならまだ店を人に託せば、どうにかなるから」
「順調なのかと思っていた」
「そうねえ。体力と気力さえあれば、何とかしたのだけれど、もう、若くはないってことよ。少し疲れたわ。ここでお父さんの理想とするペンション経営を、のんびりしようかなって思ってね。実はね、あの頃私は、お父さんに反対をしていたのよ。東京でもっと勝負をしようって言っていたの。もし、お父さんが交通事故に遭わなければ、もしかしたら私はお父さんと離婚していたかもしれないのよ」
「嘘だ。そんな素振りは微塵も感じなかったけれど」
「仲は悪くなかったから、お父さんだってそんなこと気付きもしていなかったはずよ。私の心の奥底で、密かに思っていただけだから。私だって、あなたもいたし、そんな勇気はなかったと思う。だからね、お父さんの死は複雑だったの。私にとっては全てがお誂え向きだったから。お父さんが死んでここの借金はなくなったし、保険金だって入ってきた。その上、あなたと二人で生きていくためにと、シングルマザーとしてがむしゃらに働いても誰も文句を言う人はいなかった。同情さえしてくれて、色々な人が手を差し伸べてもくれた。何だか怖いくらいに全てが私の思う通りに運んでいったの……だからなのかな、事故のことは記憶から消してしまいたかった……」
「僕が余計なことをしたのかな」
「それはないわ。むしろ、感謝しているわ。記憶って消すことはできないでしょ。私の心のどこかには常にお父さんの交通事故のことがあった。私が代わりに運転していたら、とか、それ以外でも口にしたくない、もしこうだったら、というのが無限にあって、それを忘れるために事故のことを掘り下げることはしてこなかったけれども、事故に関わった人たちのことを知ることによって、ちょっとだけだけれど、私の胸の重しが分散されたような感じなの」
「分散?」
「変な言い方かもしれないけれど、何て言うのかなあ、私だけが悲劇のヒロインぶっていたって仕方がないってことよ」
母らしい言い方だと優斗は思った。
「すごいよ。母さんは」
「そうでしょう。はい、ご飯を食べましょう」
「今何時?」
「午後六時を過ぎたところだけれど」
「やばい、一日が終わってしまった」
「どうしたのよ。一日くらいどうとでもなるでしょう」
「今日は植え替えをしないといけなかったんだ」
「何の?」
「ブルーベリー」
「あら素敵」
「今年から村の人たちとブルーベリーの栽培を始めたから」
「新しいことにチャレンジしているなんてさすが私の子だ」
「まだ始まったばかりだし、失敗の連続だよ」
「それでいいのよ」
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