第36話
六人対一人であることの不利をやっと理解したのか、しぶしぶと出された座布団に母親は座った。茉莉が用意していた日本茶を出す。何も言わずに一口飲んだ。
「ふん、意外と美味しいわね」
「日本茶好きですか?太一君は大好きですね」
「そうかしら?知らないわ」
「太一君が好きな卵焼きの味を知っていますか?」
和香子が挑みかかるように言う。
「えっ、それは……どうだったかしら、でも、そんなこと今は関係ないでしょう」
「いいえ、大いに関係があります」
「どうしてよ」
「なぜなら、それも知らないのであれば、母親とは言えませんから」
「そんなことどうでもいいじゃないの。私は母親として太一のことをちゃんと考えています」
「そうですか?この間来た時に、お店のことを言っていましたよね。お店の跡継ぎである太一君が大切なのであって、一人の人間としての太一君をちゃんと愛しているとは思えませんでしたけれど」
和香子の言葉に一瞬ひるむ母親だったがすぐに反論してくる。
「そんなことはあるわけないじゃないの」
庭に敷いてある砂利が音を立てる。エンジン音も静かに太一の父親が母親とは正反対の態度で玄関先に立った。
「ごめんください」
将平が太一の父親を母親の元へと案内してくる。
「私たちは帰ろう。しばらくはここにいた方が太一のためだから」
「あなたは何を言っているの?太一には学校の勉強があるのよ。ちゃんといい大学を卒業して、海外留学で経験を積んで、帝王学を学んで人の上に立つ人間にならないといけないの」
「どうしてそうやって決めつけるんだ。太一の人生は太一だけのものだ。太一が決めればいい。私たちはそれをサポートしてあげることしかできないんだぞ」
「サポート?何よそれ。太一は逃げているだけじゃない。こんな田舎で何ができるっていうのよ。私はここが大嫌いなの。あなたは負け犬なのよ。何をやっても負けてばかり。私はずっと勝ち続けているわ。車の運転だって誰にも負けたことはないの。昔ここで私を追い越そうとして事故を起こした車があったけど、私に勝てるわけがないのに本当に馬鹿よね。私は競争することが大好きなの。あなたはいつもその競争にだってのってこなかった。本当に情けない人」
優斗の頭は真っ白になる。太一の母親が乗ってきたのは、黄色いポルシェだ。まさか、世の中には黄色いポルシェなんて沢山あるはずだ。そう思っても、鼓動の高鳴りは加速していく。
「お前、十七年前の交通事故のことを言っているのか?」
「ちょっと、お前って何よ、さっきから思っていたのだけれど、止めてよね」
「優斗君、本当に申し訳ない」
太一の父親は優斗の正面に立って深々と頭を下げた。こめかみが振動している。頭に血が上るとはこういう状態なのかと、冷静なもう一人の優斗は思った。
「君のお父さんの交通事故の原因は私たちにもあるんです」
「えっ?」
頭では理解できていたが、心はついてきてくれない。何をどう考えたらいいのか、どの感情を引き出せばいいのか、優斗は混乱していた。
「あなた、どうしてそれを?」
「私は交通事故の当日、この村にいたんです。まだ入社したばかりで社長のお供で来ていました。社長のお嬢さんが村の若者たちと暴走族のように車で危険な運転をしていることは知っていました。誘われることもあったから……でも、あの時ちゃんと危険な運転を止めていれば、そう思うと私にも責任があります。あの事故の後、私は事故を起こした運転手のところに行って運転手のお母さんに口止めをしました。一緒に走っていた車のことは黙っていて欲しいと。ただ、お母さんは自分の息子が悪かったのだからと、お金を受け取ろうとはしなかったけれど、私は無理やりお金を渡しました。それ以来、この村に来たことはありませんでした」
頭を下げた太一の父親をじっと眺める優斗だった。それが事実だとしても今更何が変わるわけでもなかった。
「ちょっと、ちょっと、どういうこと?説明してくれない?」
和香子の言葉に留美が頷く。将平と茉莉はどこまで踏み込むべきか戸惑っている様子だった。
「僕の父親が亡くなった交通事故のことを言っているのですよね」
「そうです。優斗君のブログを見つけたのは私でした。最初は場所がわからなかったけれど妙に懐かしくてね。アップしている写真の山並みや風景を見ているうちに気が付きました。ここに来たことがあるってね。以前は会社の別荘があったこと、そして交通事故があったことを思い出しました。いいえ、思い出したというのは嘘です。交通事故のことは忘れたことがなかった。いつも頭から離れたことはない。だから優斗君が被害者家族だということもわかっていました」
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