第35話

 二人で久しぶりに大笑いをしていた。飲み干したビール缶がテーブルの上に数本整然と並んで立っている。畳の上に寝転がってそれらを眺めながら、睡魔と闘っていた。ふと隣を見ると、早々に負けを認めた陽介から規則正しい寝息が聞こえてくる。その音に誘われて優斗も睡魔に降参していた。

 夜中に一度目を覚まし、二人分の布団を敷いてその上で寝たので、朝の目覚めは快適だった。陽介はまだ熟睡している。起こさないようにそっと布団から出て、朝食の支度をはじめた。銀行員時代には考えられないことだったのだが、お弁当まで毎日作る生活に優斗は満足していた。そうか、これがしたくてここにいるのかもしれない。そう思えるほど、自炊の楽しさに目覚めた。何か特別なものや手の込んだ料理をするわけではないのだが、何を食べようか、どう調理をしようか、考えることも好きだった。だからと言って、母親のレストランを継ぐつもりもなければ、料理を商売にするつもりは毛頭ない。むしろ、自分が生きるためだけの料理を楽しむことで十分だったし、それ以上にはしたくなかった。

「何だか楽しそうだな」

 陽介が布団の上から言った。

「おはよう。もうすぐ朝飯ができるからね」

「何だか彼女みたい」

「そうかしら」

 お道化て言った。

「エプロン姿が似合うね」

「ああこれね、母親からのプレゼント」

「へえ、そう言えばさ、お袋さんはここにいることをどう言っているの?」

「別に、好きにしたらいいって感じかな。まあ、あの人は自分のことで精一杯だから」

「そうか、いい関係だよな」

「付かず離れずって感じだからな。確かに心地よい距離感があって、悪くはないかも」

「羨ましいよ」

 陽介の言葉に何か返そうと考えていると携帯が鳴った。太一の父親からだった。

「わかりました。太一君と一緒にあの家で待っています」

「どうした?何かあった?」

「太一君のお母さんがこっちに向かっているらしい」

「それって連れ戻しにくるってことか?」

「ああ、引き留めることができなかったって、お父さんからの電話だった。お父さんも後を追っているそうだ」

 二人は太一の元に急いだ。


 太一はみんなと朝ご飯を食べていた。

「留美さんが作った卵焼き美味しい」

 太一は満面の笑みを浮かべている。

「じゃあ、これも食べろ」

 将平が自分の分を太一の皿にのせる。

「ありがとう」

「ああ太一君、鮭の皮、また残して」

「だって、皮は何だか……」

「ここに栄養があるのよ」

 和香子が太一の食べ残しを指でつかみ口に入れた。

「和香子さん、また手づかみで、お行儀が悪い」

「ごめんなさい。お母さん」

 何も知らなければ、普通の家庭の家族の会話だと思うだろう。微笑ましいやり取りに優斗は安堵するも、太一の母親がやってくる事実を伝えないといけないと思うと、気が重くなってくる。でも、待ってはいられない。太一が「ごちそうさま」と言ったのを確認し、お母さんがこっちに向かっている事実を告げた。

「僕、絶対に家には戻らない」

 太一は小さな子どものように、将平にしがみついた。

「わかった。お母さんと話し合うよ」

「何を話し合うの?あのお母さんには何を言っても無駄じゃないかしら」

「ちょっと、和香子さん太一君の前よ」

 留美から咎められ、「太一君ごめん」と和香子が言った。

「とりあえず太一は裕太と二階に行っていてくれ。裕太頼んだぞ」

「ああ、太一行こう」

 二人が二階に上がると、朝食の片づけを優斗も加わりみんなですることにした。誰も身体は動かすも言葉を発することはなかった。片づけを済ませた頃、乱暴な運転の車が敷地内に入ってくる音がした。優斗は縁側から黄色い車を見た。大きなバタンという車のドアが閉まる音が聞こえたかと思ったら、すぐに玄関が乱暴に開けられた。

「太一、帰るわよ」

 挨拶も何もなく、怒鳴りながら靴を脱ぐ。

「太一君は帰らないと言っています」

「そんなの関係ないわ。ちょっとどいて、太一はどこ?」

 玄関で阻止しようとした優斗を押しのけて、太一の母親はみんながいる部屋に入った。

「どこにかくしたの?太一はどこ?」

 大声で叫びながら家中を探そうとする母親を留美と和香子が止めようとする。

「落ち着きましょう」

「まずは座ってください」

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