第33話
「自分の親父が全て悪いんだ。家族があるのに……。でも、あの人が妻だから、そうなった。悪いのはお袋の方か……」
陽介は誰に言うでもなく、呟くように言葉にしていた。
「誰が悪いっていうことではないよ」
優斗の声は静かだが力強く言った。
「でも……」
陽介にかける言葉が無くなっていた。優斗はとても後悔した。咲は間違った噂話のせいで苦悩していた。だから優斗は自分の口から真実を話して聞かせることで、その苦悩を少しだけでも取り除けたらと考えた。咲の本心はわからないが、多英子の車で帰った咲の表情は、以前の屈託のなさをほんの少しだけだが取り戻していた。だが、陽介にとっては自分が言わない限り、知るきっかけは無かっただろう。無理やり話を聞かせてしまったことで、陽介をより悩ませることになるとは、想定できなかった自分に腹が立ってくるのだった。
「陽介、すまない。余計なことをした。知らなくてもいい話だったよな」
「いいや、おやじがどうして今の姿になってしまったのかわかったから……ありがとう」
陽介の言葉を聞いても、優斗の後悔が減ることはなかった。
何事もなかったように一カ月が過ぎた。陽介は太一と一緒に農作業を楽しんでいるように見える。顔を合わせればそれまでと変わらない会話はあった。だが、陽介が知ってしまったあの事実を二人で話し合うことを避けているような態度だった。それが突然、優斗の暮らす磯野家の別棟に陽介はやってきた。これから風呂に入って夕飯にしようというタイミングだった。
「優斗、ちょっと話がある。今いいかな?」
「ああ、散らかっているけど、入れよ」
陽介の様子から深刻さは感じ取れなかった。
「悪いな、急に。昼に畑で会った時には言い出せなくてさ」
「何だよ、あらたまって」
「うん、そろそろこれからのことを決めなくちゃって思ってね」
陽介だけではない、ツアーに参加した誰もがこの村に定住するのか、元居た場所に戻るのか、新たな居場所を探すのか、自分のこれからを考え始めている。このツアーでの行き先は自分で決める。それだけがルールだった。
「ビールを買ってきた」
「そうか、夕飯はまだだろう?ちょっと待っていて、すぐに何か作るから。まずは先に風呂に入れよ」
「ありがとう。そうくると思って、食べ物は何も買ってこなかったよ。優斗の作るごはんを食べたいと思ってね。では、お言葉に甘えてお先にお風呂いただきまあす」
野菜を炒めただけだったり、茹でただけだったりと、簡単に作ったつまみを出すと、それを陽介は喜んで食べてくれた。優斗が知っている陽介には似合わない豪快な食べっぷりだった。
「何だかさあ、ここに来てから飯が旨くって」
「そうか、それは良かった。ここに誘ったかいが少しはあったのかな」
「少しなんてもんじゃないよ。本当に感謝している。見てよこの筋肉、自分史上初めてかも」
陽介が上腕二頭筋を見せる姿に感動する優斗だった。
「陽介と筋肉って、確かに今までだったら水と油ほど相性が悪かったからな」
「まあね。それは認めるよ。ここに来て生まれ変わった気分だよ」
「そんな大袈裟な」
「いいや、大袈裟じゃなく、本心だよ。親父のことも知ることができたし、自分も恋したみたいだしな」
「えっ?恋?」
陽介の口から初めてきく単語だった。衝撃が強すぎて、陽介の父親の話が飛んだ。
「何だかさあ、恋しちゃったんだよね」
「はあ?いつ?誰に?」
「そんな顔するなよ。自分が恋をしちゃ悪いか?親父だって好き勝手していたんだからいいだろうよ」
「まあ、そうだけれど、だから誰にだよ」
「茉莉ちゃん」
「ああ、でも……」
陽介はまだ知らないのだと優斗は思った。実は二週間前にここで茉莉と東京で大手電機メーカーに勤める良純の息子が出会っていた。優斗自身も初めてのことで戸惑ったのだったが、目の前で恋愛が成就する瞬間に立ち会ってしまった。二人はすぐに意気投合して連絡先を交換し、そこから交際が始まったと聞いている。
「何?だから、なんて顔しているんだよ」
「いやあ、茉莉ちゃんは若すぎるだろう」
「そうかあ?そうだよなあ。親父も若い子を好きになってるしなあ、それであんな結果だもんなあ。遺伝かなあ。まいったなあ、やっぱり駄目かなあ」
疑問形だったと思ったら、優斗が何か言う前に一人で勝手に落ち込んでいる。
「茉莉ちゃんはお前じゃないだろう」
「えっ?何で?」
「いやあ、何となくだがな。お前とは合わないよ」
やはり、茉莉に新しい恋人ができたとは言えない。
「そうだよなあ、たださあ、親父のこともあって落ち込んでいた時に茉莉ちゃんが心配してあれこれ世話を焼いてくれてさ、もしかしたらって思ったんだけれど。冷静になれば無理なことはわかっているのだけれどね。それに、ここ数日、態度がおかしいしさ」
恋愛方面には疎いはずの陽介には珍しく鋭い観察眼だった。恋をすると何かが研ぎ澄まされるのかもしれない。
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