第32話
優斗が母親から聞かされていた話では、車が暴走してきて正面衝突だったということ、相手は未成年の男性で大怪我をしたということだった。母親は自分の夫の事故死を詳しく調べようとはしていなかったと思う。優斗の知らないところでもしかしたら動いていたのかもしれないが、少なくとも優斗に話して聞かせることはなかった。
「貴重な時間を使っていただき、本当にありがとうございました。母は何も話してくれなくて、というか、あまり事故の真相とかには関心がないみたいなので、聞けなくて……」
「優斗君のお母さんとは数回あった程度だったけれど、聡明な人だという印象だよ。村の人たちは、お父さんと一緒に車に乗っていた女性のことを悪く言う人もいたのだけれど、それを制していたのはお母さんだったからね」
この村に来る前に母親にあらためて聞いてみたことがあった。それは父親の事故死をどう思っているかということだった。
「交通事故はお父さんの宿命だったのよ。それが寿命というものでしょう。お父さんに落ち度があったわけではないということは、はっきりしているから、それで私は死を受け入れたの。もし、暴走車がいなかったら、とか、お客様を車で送ったりしていなかったら、とか、考えだしたらキリがないし、そんなことをしたら、私も優斗の人生もおかしくなってしまう、それは、絶対にお父さんが望むことではないでしょう。だから、私の中ではお父さんの交通事故のことを考えることは、もうないの」
レストランの経営者として成功している母は、毅然とそして優しく微笑みながら優斗に語った。
「母は、父の交通事故は宿命だったって言っています。その女性を車で送っていくと言ったのも父だったそうで、むしろ、その女性のお子さんのことを心配していました」
「ああ、咲ちゃんだね」
「咲ちゃんって……あのクマさんの孫の?」
陽介の質問に優斗は頷く。
「咲ちゃんのお母さんが、ここに来ていて、夜中に家まで送る途中だったからね。私が聞いた話では、咲ちゃんがひきつけをおこしたと連絡がきたらしく、お酒を飲んでしまった咲ちゃんのお母さんを優斗君のお父さんが家まで送る途中の事故だった」
「じゃあ、咲ちゃんのお母さんはその事故で……」
「ああ、亡くなった」
「なあ、優斗のお父さんの事故って、俺たちが中三の冬、そうだ、十二月の頭頃か?」
「そうだけれど」
「俺の父親は優斗のお父さんの葬式には来ていないよな」
「そうかな。よく覚えていないけれど」
「ああ、確か来なかったはずだよ」
良純が答えた。
「自分の記憶も曖昧なのだけれど、母親が薬の過剰摂取で入院したことがあったんだ。それがその時期で、その日を境に、父親は別人のようになってしまって……」
「お父さんは元気かい?そう言えば、しばらく会っていないなあ」
「ええ、元気と言えば元気です……。以前は明るくてお洒落でよく笑う人だったのですが、その日以来、母の入院騒ぎがあってから、急に老け込んでしまって、気難しい人間になってしまいました。家族という形態を維持することには拘っていましたが、何て言うのか……抜け殻、そう魂の抜け殻のような人間になってしまいました。あの……もし、何かご存じなら、教えてください」
陽介が俯きがちに話すのを聞きながら、優斗は良純からの言葉を待った。優斗もこの村に来て咲の母親の噂話は聞いていたが、何が真実なのかは確かめたことはなかった。
「咲ちゃんのお母さんは優斗君のお父さんの店でアルバイトをしていたから、私も東京の店で会ったことがある」
「もしかして……そこで父も咲ちゃんのお母さんと知り合って、仲良くなった……」
陽介は絞り出すような声で言った。
「ああ、私たちは反対したさ。私が知っている限りだと、二年くらいで別れたはずだ。その後、咲ちゃんのお母さんは幼馴染の和臣と結婚をして子どもを産んだ。だが、このペンションで偶然に二人は再会をしてしまった」
そこに車が入ってくる音がして、会話が中断された。
「あっ、咲ちゃん……」
良純が困惑気味に言う。
「僕が呼びました。咲ちゃんが本当のことを知りたいと言っていたので」
優斗は咲をリビングまで連れてきた。後から多英子が続く。運転してきたのは多英子のようだった。咲は陽介と良純を見て驚いていた。
「良純さんから咲ちゃんと僕の父親が亡くなった時の話を聞いていたんだ。良純さんは僕と陽介の父親の友だちだから」
優斗は咲に、自分がそれまで良純から聞いた内容を静かな口調で話した。咲の顔色は蒼白でショックを隠せないでいたが、徐々に落ち着きを取り戻すと、ゆっくり息を吐いた。
「お母さんたちの事故の原因は私にあるのかも……」
「それは違うよ」
「でも……私がひきつけなんて起こさなければ、そもそも生まれてこなければ……」
「そう考えてはいけない」
優斗はきっぱりと咲の目を見ていった。
「お母さんはどうして……妻子ある人なんかと……それに、私のお父さんのことだって傷つけて……」
「二人は真剣だったよ。出会ってしまったタイミングが悪かったのかもしれないね。咲ちゃんのお母さんは誰も傷つけたくないと言って身を引いた」
「だったら、誰とも結婚なんてしなければよかったのに」
「和臣は、全てを承知していたからね」
「でも、だったら……」
咲が一番驚いていた。
「和臣と僕は従兄弟でね。結婚する時も、再婚する時も彼とは話をした。全てを承知で和臣は咲ちゃんのお母さんと結婚をした。咲ちゃんのお母さんも和臣と結婚をして幸せそうだったよ。だが、ここで二人は再会してしまったんだ。あの頃、山岸はとても沈んでいて、自棄になっているようだった。その姿を見た数日後、咲ちゃんのお母さんはここに来た。これは私の推測だけれど、ここでお酒を飲んで山岸を忘れようとしていたんだと思う」
「忘れる?」
「そう、勿論、和臣と結婚をしてから会ったことはなかったはずだし、ずっと、引きずっていたわけでもないだろう。だが、ここでしょぼくれている山岸と会って心が動揺してしまった。その気持ちにきちんと折り合いをつける目的でここに来て、信頼している優斗君のお母さんと少しだけお酒を飲んだ。次の日から家族で仲良く暮らすためにね」
「でも……」
「私もそう思うわ。あなたのお母さんにとってあなたも和臣さんも大切な家族だったのよ。確かにあなたのお母さんには弱い部分があったかもしれない、でも、家族を愛していたの。あなたを愛していたの。それは私が断言できるわ」
咲は多英子の胸に顔を埋めた。むせび泣く声が静かに聞こえる。しばらくして二人は部屋を出て行った。その後を追うように良純も部屋を出る。優斗は後姿の三人に深々とお辞儀をしていた。
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