第28話
「ごめんください」
咲の思考を止める声が玄関先から聞こえてきた。
「はあい」
茉莉が率先して立ち上がる。しばらくして戻ってきた茉莉は困った表情をしていた。
「太一君のご両親が……」
「とりあえず、上がっていただきましょう」
多英子が玄関に向かい、太一の両親を案内してくる。
「太一はどこですか?」
興奮した母親の大声が家中に響き渡る。ここにいる誰をも敵だとみなしている。自分の意に反することにはとことん闘う姿勢が見て取れた。
「落ち着きなさい」
父親が母親を宥めるがどこか弱弱しい印象だった。明らかに母親優位の家庭のようだ。
「すみません。事情を説明してはいただけないでしょうか。太一からはしばらく留守にする、探さないで欲しいとLINEがあっただけでして。その後、こちらの方からここにいるから安心してくださいとの連絡が入りまして……」
興奮した母親とは正反対の父親の様子は、どこか他人事だった。
「太一君がここに来ることを望んだと聞いております」
多英子が淡々と説明する。その態度が母親の心に火をつけたようだった。
「中学生を勝手に連れ出して、それって誘拐じゃないですか」
「いいえ、太一君は自分で選んで参加していますよ。それに、東京を出るときは沈んだ表情だったけれど、こちらに来てからは、本当に楽しそうで、幸せそうです」
和香子が母親に対抗してより大声で言う。
「幸せそうですか?」
父親が少し嬉しそうな声を出す。
「ええ、それはとっても。今も畑を見に行きました。楽しそうにねえ」
クマの穏やかな言葉に母親も冷静さを取り戻したようだった。でも、それはほんの一瞬だった。
「でも、あの子は代々続く店の跡取りなのです。この人が婿だから……あの子には店を継いでもっと大きくしてもらいたいの。だから、いい大学に行って、留学だってさせたいし、もっともっと勉強しないと駄目なのです」
言いたいことを言い終えると、母親は満足そうな顔をしていた。自分の主張は正しいことだと心から信じているのは明らかだった。一方の父親はその主張に同意していないようで、それでもそのことに異を唱える勇気はないらしい。ただ黙っていることが彼の今までのやり方だったのだろうと、咲は思った。店を大きくしたいということはもっとお金儲けがしたいということなのだろう。多英子であれば招待された結婚式でしか着ないような服に高そうなワニ革のバッグ、大きな派手な宝石の指輪が光る手は白くて細くきれいだった。黙っていれば大人しそうで上品な女性なのに、その手に触れられ、抱きしめてもらいたいとは少しも思えない。太一がこの母親から逃げ出してきた理由がわかる咲だった。
「太一君が死んでもいいのですか?」
和香子の顔は真剣そのものだった。
「そんなはずはないじゃないですか。何を言い出すの」
「だって、太一君は優斗君に死にたいと訴えていたのですよ。それで、この村に来ることになって、今は生きようとしています」
「太一が死にたいと」
父親の声は小さかったが、はっきりとしていた。
「はい、もう限界だと」
「太一を追い込んでしまったのですね、私たちが……」
落ち込む父親に向かって、さすがの和香子も『はい』とは言えなかったが、無言で肯定しているのは両親に伝わったようだった。
「なによ……私が悪いって言うの?」
「もう、やめてくれ。私がもっと早くに気付いてあげればよかった。いいや、私は気が付いていた。でも、お前を止められなかった。私が悪い」
父親の声は今までとは別人のように張りがあった。
「でも……店を……」
「もう、いい加減にしろ。太一の命と店、どっちが大切なんだ」
「そんなの……」
「店なんか今のままで十分だろう。いやむしろ、これからは縮小して堅実にやっていく方がいい。継ぐのは太一でなくてもいいし、潰れたっていいじゃないか」
「あなたは婿だからそんなことが言えるのよ」
「そうでしょうか」
クマが夫婦の会話に割って入る。
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