第26話

「あの、聞いてもいいですか?」

 和香子が柄にもなく控えめに多英子に問う。

「何でも聞いて」

「多英子さんは東京で何をされていたのですか?」

 咲がしたことのない質問だった。多英子にも東京での暮らしがあったのだ。

「私は東京で編集の仕事をしていたの」

「出版社に勤めていたのですか?」

「ええ、でも、とっても小さな出版社だったけれどね」

「何歳の時にこちらに戻ってきたのですか?」

「三十八歳だったかな。咲が二歳の時ね」

「あっ、そうかあ、咲ちゃんのお母さんが亡くなったから……。何だかすみません。そうですよね、よく考えればわかることだったのに、改めて言わせてしまって」

「いいのよ。そうよ、咲を育てるために戻ってきたの。でもね、東京での生活に疲れを感じてもいたから、それはそれで渡りに船でもあったの。だから、咲には感謝しているのよ」

 多英子が東京で暮らしていたことは知っていたはずなのに、村に戻ってきた理由と自分とを結び付けて考えたことはなかった。多英子がいつも傍にいてくれたことに対し、何ら疑問も持たずに暮らしてきた自分の幼さに呆れてしまう。和香子の言う通り、よく考えればわかることだった。

「東京に戻りたいって思ったことはないのですか?」

「ないわよ。しばらくは東京で一緒に働いていた人たちから、飲み会やパーティーやらのお誘いはあったわ。でも、行きたいと思ったことはないわ」

「仕事の誘いもあっただろう?」

 クマの話に頷く多英子だった。

「でも、そんな気にはなれなかったわ。咲を育てるのが楽しかったし、それに、こっちでボランティア活動を始めていて、その方が私には向いていたからね」

「ごめんなさい」

「咲、あなたが謝ることではないのよ」

「だって……私、自分のことしか考えていなくて……」

 咲はそんな自分に腹が立ってくる。

「私の意思で戻ってきたの。それに私は咲がいてくれて、子育てを経験させてもらって、本当に感謝しているのよ。それは忘れないでね」

「子育てを経験させてもらって、って言葉、いいですね。私もそう思わないと」

 今度は留美が多英子の背中を摩る。二人の顔は母親の顔そのものだった。その笑顔に不本意ながら心が和むのを感じていた。

「多英子は咲が生まれたとき、産んだ本人よりも喜んでいたからね」

「そうだったの?」

「そうね。だって、これで私が子どもを産まなくてもいいんだって、思ったからね。クマさんをおばあちゃんにしてあげられて、ほっと胸を撫でおろしたものよ」

「多英子さんは結婚したいとは思わなかったのですか?田舎、いえ、地方だと結婚しないといけないみたいなことは……」

 茉莉の声は遠慮がちだがはっきりとしていた。

「田舎でいいのよ。ここは都会ではないのだから。田舎でも結婚をしていない人は多いのよ。この村にだっているわ。男性も女性も性別がはっきりしない人だって」

「そうだねえ。この村にだって昔から色々な人がいるよ。みんながみんな同じ生き方を選ばなくったっていいんだから」

 クマの言葉に茉莉も和香子も目を見開く。

「私はねえ、学生の頃から結婚はしないって決めていたの。自分には向いていないとわかっていたのね。それに、あの結婚式というのが嫌でね。式に参列するのは好きよ。でも、あの金屏風の前に自分が座ると思うと、鳥肌ものなのよねえ」

「それ、わかります。私もそうです。新婦の席から幸せを見せびらかすのがとっても嫌です。あそこがゴールみたいだし、あそこで主役をしてしまったら、残りの人生どうするのかって感じで」

 多英子の言葉に同調した和香子がまくしたてるように言った。

「ええ、どうしてですか?私は結婚式で主役をするのが夢ですけれど……」

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